花外2

 充分に体が温まった空は、逆上せる前に湯から出る。痛みは殆ど感じなくなっていた。

 脱衣所に出ると、空が起きた時に最初に部屋に来た二人の童女わらめが控えていて、大層驚いた。


「わっ」

「主人がお待ちです」

「此方の服にお着替えください」

「あ、ありがとうございます……」


 真っ裸の空に対し二人の童女は表情ひとつ変えず、淡々と着替えを手渡して来た。空ひとり慌てふためくのも気恥ずかしく、しかし受け取った服で前面を隠して、棚の間に逃げ込んだ。

 空が普段着ていた服と違い、上下に分かれた内の下穿きは袴よりも細く随分と動きやすそうだ。

 どうにかこうにか慣れぬ服を着終える。湯殿に来るまでに着ていた服は回収されたようであった。


「すみません、お待たせしました」

「ご案内します」


 童女はくるりと体の向きを変えて、湯殿から出て行く。


「あの、何処に……?」

「主人のお部屋です」


 部屋を貸してくれた主人の部屋は、更に地下にあるらしく、所々に引っ掛けられた灯火を頼りに階段を下って行く。

 何度か折り返しすと、階下の先に扉が見えた。

 童女は扉を三回叩き、次いで四回叩くと、中から応えがあった。二人がそれぞれ左右の取手に手を掛け、扉を開ける。顔を伏せて、空に入室を促した。

 おそるおそる足を進めると、湯殿とはまた違った気が顔に降り掛かる。煙管から出る煙だ。

 相当煙管を吹く人なのか、はたまた煙が多く出るたばこを使用しているのか。しかし甘く粉っぽい香りは、たばことも違う気がした。

 中は先ほどの湯殿に比べると非常に閉塞的で、重厚に造られている。全体的に薄暗く、一等目を惹くのが中央の壁にある水墨画だ。

 その正面に女性がひとり。そして彼女と対峙するようにヨミが座っていた。

 女性は緩やかに口角を上げ、冷たい目線を師に向けていたが、空の入室に気がつくと、少し目を見開いた。


「あ、あの、女の子二人に案内してもらって……あ、いや、していただいたんですけど」

「ほほ、緊張なさんな。此方においで」


 女性は煙管を置くと、空を手招く。先程と違って慈愛に満ちた表情だ。

 空はそろりと進むようにして師に行く。ヨミの膝の上にはハクが毛玉のように丸くなって眠っていた。


「その男の傍で止まるでない。ほら、此方へおいで」

「え……でも」


 ちらりとヨミに視線を向けるが、彼は蔵面のせいでどんな顔をしているか分からなかった。しかし顔の向きは同じ場所に固定したままで、空を見返すこともなかった。

 女性は此処に座れと己の隣を叩く。

 仕方なしに空は手招きに従い、彼女の横に座ると、両手が伸びて来て頬を挟まれる。


「ほんに、よう似ておる。怪我はもう良いのかえ?」

「は、はい。あ、冷泉とお湯をありがとうございました」

「良い良い。此の地の物は好きに使え。湯加減は丁度良かったか、熱くはなかったか? 若様の肌が焼けてしもうたら大変じゃ」


 すすっと袖口から腕を撫でる様に手が這わされ、空はびっくりして少し仰け反った。

 彼女はその分距離を詰めて、空の顔を殊更じっくりと見つめる。


「嗚呼、ほんによう似ておる……目も顔立ちもそっくりじゃ」

「だ、だ、誰にですか?」

「母君よ」

「ははぎみ?」

「然うじゃ。懐かしいのう、もうどれくらい前になるか」


 彼女は何故かヨミの方を睨みつけて然う云った。

 空はそんなことより「母」という言葉の方が気になる。


「母ってどういうことですか? 俺の親を知ってるんですか?」

「知っておるとも。父君の方もな。大層世話になった」

「桔梗」


 ヨミが話を遮るように言葉を挟む。女性の名は桔梗と云うらしく、彼女は忌々しそうに舌打ちをすると空の頬から手を離す。


「やれ、ほんに勝手だこと。若様、ご両親の話はまた今度してやろう……漸く用向きを聞けるようじゃからの」


 桔梗は脇息に凭れ掛かると煙管を再び手に取り、咥え、師に向けて吐き出した。ヨミはわざとらしく袖を口元に持って行き、こほんと軽く咳をする。


「突如、夜半もとうに過ぎた頃にやって来て、部屋を用意しろとは。久しく顔を出したにしては随分なことよ」

「何度も聞いた」

「何度でも云うてやるさ。わたしが見世に居たから良かったが、あの子が来ていたら見世がどうなることやら。せめて先触れを出して欲しいものだ。しかもこんな子どもを血塗れにしおって」

「血に塗れるは弱き故」


 カンッと強く叩く音が部屋に鳴り響く。煙管が割れたのではと思うほどであった。

 桔梗は眦を吊り上げ、憤怒の表情でヨミを睨みつける。


「弱いと分かっておるなら、何故鬼なんぞの相手をさせた? 臓腑まで傷つくほどになるまで、主は何をしておった? このような頑是ない子どもを見殺しにするつもりだったか!」

「十五に等しい。刀も完成した。あれの血を継いで死ぬものでもない」


 ヨミはいつの間に持って来ていたのだろうか、空の刀を手に取り、刻まれた文字を桔梗に向ける。

 彼女はじっくりとその文字を見て、ますます忌々しそうに、憎々しげな顔をして吐き捨てた。


「弥栄であれば良かったものを」


 ヨミは刀身を鞘に納めると、空に向けて放り投げた。空は慌てて両手で掴む。

 刀を投げるとはどういうことだと不満の目を向けるが、彼は桔梗に向けて「ぎょくを」と催促していた。

 何だろうと思っていると、桔梗は首を横に振って「此処にはない」と答えた。


「ない?」

「あの子が随分前に持って行ってしまってねぇ。主に渡したくないのだろうて」

「…………」

「あの子を殺して取り返すなんてしないでおくれよ。嫌われておるのは主のせいじゃろう。わたしだってお役目がなけりゃ、今すぐ主の首を燃やし千切ってやりたくて堪らぬわ」


 口調は淡々としていたが、目は昏く、殺気が溢れ出ていた。

 空は思わず刀を抱きしめるようにして後退る。桔梗はそれに気がつくと殺気を仕舞い込んだが、ヨミに向ける殺意のような目線は残されたままだった。

 一体、この男は何をしでかしたのだろうか。


「すまぬな、若様。昔ちとあってのう。我らはこの男を殺したくて堪らないのだ。何、役目が終わるまでは殺さぬから安心をし。わたしはの」


 わたしは、ということは、先程から話題に上がっている「あの子」とやらは然うではないのか。


「さて、花柳に入ったことはあの子とて知っておる。せいぜい寝首かかれぬよう気をつけることじゃ」

「あれに私は殺せない」

「若様はどうかのう」

「えっ!」

「まだばかりじゃ。あの子とて、若様なら害せよう」


 何故ヨミを殺せないなら空になるのか。冗談ではない。何の事情も知らないままで、見知らぬ人から殺意を抱かれてはたまらない。


「この顔をか?」

「主が云うのかえ? 似ているからと好むわけもなく、似ているからこそ憎くなるもの。でなければあの子は今頃尻尾を振って此処におるじゃろう。それに、主とて顔が似てるだけの、中身が異なる者を愛せるかえ?」

「……心に留めておこう」


 何の話かさっばりであるが、どうやら過去にこの男が何かしたせいで怒らせた人物が二人。そのうちひとりは空を害さないようだが、ひとりは空も害する可能性があるらしい。

 大変迷惑である。

 取り敢えず今の空は「あの子」とやらより弱いのだろう。昨晩、散々痛めつけられて己の弱さは身に染みている。

 しかし訳も分からず殺されるのは勘弁願いたいため、強くならなければならない。そのためには体術など、修練の相手が欲しいところだが、果たしてこの師は相手になってくれるのだろうか。


「して、これからどうするつもりじゃ? よもや、まだ成長しきっておらぬ若様を連れて、花街に行くつもりじゃあるまいな」

「ひと棟使う」

「勝手じゃの」


 桔梗は気に入らぬとばかりの態度であったが、拒否するつもりもないようだ。


「丁度良い。最近鬼がよう出てくるのじゃ。駄賃代わりに片付けておいておくれ」

「分かっている」

「若様の修練に使うのは構わぬが、家屋を倒したり田畑を荒らしてくれるなよ」

「空に云え」

「えっ」


 桔梗は呆れを含ませた溜め息を吐く。


「主が指南役を務めるのじゃろう? ならば弟子の不始末、責を取るのも主じゃ」

「……」

わたしは刀は専門外じゃからの。それこそあの子を探して手懐けねば」


 先程の話を聞いている限り、この師が「あの子」を手懐けるのは随分無理なように思える。桔梗も分かって云っているのだろう。

 ヨミの表情は相変わらず分からないが、桔梗の言葉に目を伏せるかのようにして顔をやや俯かせた。


「せめて刀に出たのが弥栄であったらのう。わたしらは喜んで引き取ったものを。田畑を荒らそうと山を削ろうと、いくらでも責を取ろう。しかし出たのが凌雲となれば、主がやるしかあるまい。たいして役に立たないのじゃから、それくらいおやり」


 役立たずと云われてもヨミはたいして気にした様子もなく、ただ蔵面の下で息をふ、と吐いた。

 取り敢えず師が桔梗ともうひとりから殺意を抱かれるほど恨まれていて、空の刀に刻まれた文字が凌雲であったことから、桔梗たちは空を引き取らず、ただ家を貸してくれることは分かった。それ以外は何も分からない。

 ハクにこっそり聞こうにも、ヨミの膝の上で大福のような姿で寝たままである。

 この場で口を挟み、気になることを聞くべきか。あとでハクが起きた後に存分に聞くべきか悩んでいると、二人の会話が一段落ついたのか、桔梗が空に問いかける。


「若様」

「あ、はい」

「この男、気に入らぬが強さは確かじゃ。技を存分に盗みや。教えるのは下手じゃろうがの。わたしはいつも居るわけではないが、もし用があれば、灯されている火に呼びかけや。然うすればわたしに届く」

「火……」

「嗚呼、明火符は無理じゃから気をつけや」


 明火符とは呪符の一種で、符自体が明かりを灯すものだ。見た目は符から火が灯されているように見えるため、桔梗は然う付け加えた。


「玉を集めるは大変じゃろうが、無理せぬようにな」

「あの……」

「何じゃ?」

「その、さっきから話に出てくる玉って何ですか? あとあの子って?」


 空にとっては至極当然の疑問であったが、問われた桔梗は呆けた顔で固まってしまった。

 そして信じられないと云わんばかりの表情をヨミに向ける。


「主、まさかこの子に何も話してないのかえ?」

「意味がない」

「意味がないじゃと? 何も話さず知らさず、それで危険なことをさせる気かえ? そこな獣物けだものは何をしておった?」

「これは見るだけ」

「はぁ……」


 ヨミと桔梗の付き合いは長い。どれだけの月日が流れたかを数えるのが億劫になるほどだ。それほど深い付き合いではないため、互いのこと、特に桔梗はヨミのすべてを知っているわけではないが、人の心の機敏に疎く、感情の動きを理解していない様は昔より酷くなっているように思えた。


「中途半端な妨害が入っている。余計なことを教えず、為すべきことだけ為せば良い」


 ヨミの言葉に桔梗はハッとして身を起こすと、再び空の頬に両の手を伸ばして、何かを探すように覗き込んできた。

 居心地の悪さを感じつつもその視線を受けていると、桔梗は深く息を吐いて身を離した。


「これでは見鬼の才も封じられておるではないか……どうやって鬼を滅することを教えるのじゃ」

「玉があれば問題ない」

「ふん……繋がりということか。それなら尚更あの子が持っておるのは危険じゃの」

「……あれはそこまで頭が足りないのか」


 ヨミの言葉に桔梗は少々むっとした顔を見せたが、何も云わなかった。

 またしても話に取り残された空は、二人の会話の詳細をどう聞き直そうかと思ったが、その心配はなかった。


「すまぬな、若様。どうやら若様にはタチの悪い呪いが施されておるようじゃ」

「呪い?」

「この男のせいじゃが……今は嘆いても仕方あるまい。まずはあの子から玉を返してもらわねばならぬな。鬼と対峙したところとて、闇雲に戦うだけになってしまう」

「あの、あの子って?」

「菖蒲じゃ。巷呼ばれる草火は大抵あの子を指すのう」



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る