ちぐはぐアーツ ~TS爺さんと侍になりたい陰陽師~

ナイカナ・S・ガシャンナ

序幕

第壱話 猪なのに空を飛ぶ

 巨大な猪が宙を飛んでいた。



 体高が大人の倍はあるだろう猪の妖怪だ。その突進は牛を簡単に轢き殺し、太く長い牙は人体を容易く貫く。そんな凶暴極まりないケダモノが軽々と空中で弧を描いていた。

 妖猪は自分の意志で飛んでいるのではない。投げ飛ばされたのだ、この――否、このに。


 は十二歳。白髪を腰元まで伸ばしている。顔立ちは美少女と言って過言ではない程に整っているが、表情は硬く、まるで古樹の幹の如き渋さだ。手足は枝のようであり、筋肉は殆ど付いていない。どう見ても猪どころか犬一匹を持ち上げる事にすら苦労しそうだ。


 だが、誰に想像できようか。彼女こそがこの国における最強の剣客と謳われている事実を。


『剣聖』、『武神』、『仙人』――数々の二つ名は男を讃える為にあった。その二つ名のいずれにも相応しい実力を男は持っていた。よわい一五〇歳を迎えてもなお彼に敵う人間など国内には一握りしかいなかった。

 それが今はこの有様だ。だが、それでもなお妖猪を投げる程の技量を男は有していた。


 妖猪が木々を落下して圧し折る。ここは森林の只中だった。鬱蒼と樹木が生い茂る中、この妖猪が襲ってきたのだ。それをこの男――否、この少女が投げ飛ばした。

 落下した衝撃で妖猪は死んだ。過剰な自重が猪の骨を砕き、自らの内臓を潰したのだ。息絶えた猪を少女は冷徹な瞳で見やる。


 少女は一人ではなかった。少女の傍らには少年がいた。年の頃は十五歳。元服を迎えているが、その童顔はまだまだ未熟さを感じさせる。猫目の瞳は湖畔の如き透き通った青色だ。癖の強い黒髪を掻き上げて額を覗かせている。

 少年は妖猪を投げた少女を愕然とした顔で見ていた。だが、その瞳の奥には確かに尊敬と渇望の光が輝いていた。


 ここは魔法世界カールフターランド。地球ならざる異世界。剣と魔法を文明の基盤とし、機械工学の発展を拒絶した世界。『勇者』と『魔王』が幾千年もの間、戦いを繰り広げている世界。血を血で洗い、肉を肉で拭い、骨を骨ではらう戦火の螺旋に囚われた世界だ。


 そんな世界の住人でありながら二人の格好は洋服ではなかった。スカートでもなければシャツでもない。軍服でもなければメイド服でもない。マントでもなければローブでもない。ましてや中世ヨーロッパよろしく全身甲冑プレートアーマーでもなければ水着型の鎧ビキニアーマーでもない。

 和服――いわゆる着物だ。腰には少女が小太刀、少年が打刀と脇差の二本を携えている。全身くまなく和風一色だ。



 これは異世界なのに和風ファンタジーを舞台に、

 中身は武闘派爺なのに見た目は幼女TS姿な老人と、

 陰陽師なのに侍になりたい少年が展開する物語である。

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