序章 2

 空と森を映す川は明澄と輝き、水面みなもから突き出た青土色の石は根本を黒く濡らす。


 周囲の木々は風に騒ぎ、蝉と鳥の声が響き渡る。


 妹の須未すみが、「あったよ!」と顔を上げた。すきっ歯に笑顔を浮かべてから、右手の白い石を裾で拭く。


「ねえっ、にいさ、あったよ、白いの……!」

「いいな。やるじゃねえか、須未」


 すうと肌寒くなり――顔を上げると、暗い雲が流れてきて、辺りを覆った。


「うおォーーッ!」


 遠くから聞こえる怒鳴り声。突如、真っ暗闇に包まれる。目の前に、何者かの影。


 蓮二れんじは暗闇に目を広げ、迫ってくる影を見上げた。闇の中にぼうの輪郭が浮かび上がる。


 闇の中でなお、黒くけぶる瘴気の澱が、詰めかけてくる。


 白い光が閃いたとき、顔に衝撃が走る。の爪に襲われたのだろう。


 後ろによろめき、闇の中に問いかける。


「須未ィ、どこだ! 須未ィーーッ!」


 すると、童女の声が聞こえた気がした。


にいさァ…………」


 その声は夜風に紛れて、果てしなく遠くに消えていった。




 ◇



 温い夏の夜風に、焚火は絶えず揺れて、きしきしと薪を食む。


 蛾などの羽虫が火に堕ちて焼かれる。


 周囲の森には、点々と獣の目が光る。


 焚火の周りには五人がいた。


 丸太や地べたに座っているのは、体格はまばらながら、同じ姿なりの若者たちだった。


 いずれも夜の森を切り取ったような、暗緑色の着物に袴、頭に同じ色の鉢巻を締めている。――手近に置く得物は多様なれど。


 これが銀狼衆ので立ちであり、彼ら薊班あざみはんであっても、装束だけは規律だっていた。



 その中で、いましがた目を覚ました青年がいる。焚火の前の木にもたれて座っていた。


 左手を顔の――左目に当てて、油汗を浮かべる。浅黒い顔と蓬髪を火影に照らせ、口を半開きにして、「須未……」そう呟くと、蓮二は左手を見る。


(血は……ついていねえ。血は……)


 そうして、両目をきつく結ぶ。


 あのときに見たものを、忘れようとするかのように。


 ――訳のわからぬ獣。見たくない。思い出したくもない。



「どうしたの? 眠っていたの?」


 そう云ったのは、右側にいる奈義なぎだ。白い髪を目まで垂らし、人形の如き白磁の顔を妙に濃い翳で染めた少年。――奈義は首を傾げて、


「ねえ、うなされていたよ。蓮二……」

「あァ。かもな。ちと、思い出してた」

「何を?」

「何でもねえよ」


 蓮二は汗を拭うとため息をついて、顔を上げた。焚火を囲んでいるのは五人。――もっとも、一人の女は背を向けて、闇を見ているが。


 左手にいる、無言で弓の弦を張っている青年が静迦しずか。花魁の如き優美な細面を隠す長髪は、わずかに青みかかっている。


 その奥の、焚火の向こうが伊月いつき。髪を頭頂に束ねている。がっしりとした顎で、先ほどから胡桃を噛んでいる。右手には槍を立て、精悍な面構えで火を見つめる。


「おう蓮二、目ェ醒ましとけよな。いつ、襲われるかわからねえ」


 そう云うと、悪戯いたずらそうに嗤う。


「醒めてらァ。益体やくたいもねェ」


 蓮二は答えて、唾を吐いた。


反魂者はんごんものの奈義。弓使いの静迦。それに、没落武士の伊月……。こいつァ、ろくでもねえ取り合わせだな。いや、この俺よりは、マシか……)


 内心で毒づき、またため息をつくと、伊月の声がした。


「おい、何か見えたか?」


 伊月が声をかけた相手は、森の闇に向かって立つ一人の少女――鶫水つぐみだ。銀狼衆の暗緑色に鉢巻。前髪を垂らし、後ろ髪を束ねて背に落としている。腰には小ぶりの刀。


 蓮二は座ったまま、鶫水の横顔を見る。


 鶫水は右手に銅貨を持ち、右目の前にかざしていた。――五貝銅貨。その穴から、夜の森を覗くように。


「話しかけ、ないで…………」


 うるさそうに云って、鶫水はじっと、銅貨を覗き込む。やがて、「あ……」と声を漏らすと、銅貨を握って振り返った。目の焦点は合わないようで、黒目を泳がせた。よろめいて火に突っ込みそうになる。


 伊月が立ち上がって、鶫水の体を支える。


「気をつけろッ! 視力――先視さきみの直後は、見えてねえんだろ……」


 鶫水は左手を宙にばたつかせて、伊月の着物の裾を掴んだ。


「うん……。でも、見えた。未来が。の、居場所」

「よし、行くぞ。――鶫水は、蓮二が見てやってくれ。俺が先を行く」


 と、伊月は左手に槍を掲げ、闇の先を見た。


 蓮二の右手にいた奈義は、「はじまる、ね……」と、右手の中に金属のかけらを握り、じゃら、と音をたてた。


 蓮二は太刀を左手に掴み、立ち上がった。



 獣道の先頭をゆくのは、左手に松明、右手に槍を持った伊月。ついで、弓を持った静迦。


 蓮二は松明を左手に、右腕で鶫水を支えながらしんがりをゆく。奈義の姿は見えない。


(奈義――やつだけは、読めねえな……)


 白い髪と顔を思い出しながら、蓮二は静迦の背中を追う。


 辺りには濃密な森の匂いと、獣脂の匂いが漂っていた。得体の知れぬ羽虫や蛾が顔にぶつかってくる。ふくろうや獣の呻き声がする。


 そんな中で、薄墨のような瘴気が、夜の森を浸しているのがわかる。


 蓮二がかつて、瘴魔と邂逅したがゆえに、発現したかもしれない力だった。しかし蓮二は瞬きし、首を振って、瘴気の澱みから目を背ける。


 ――あの、村を襲撃されたときの、獣の残像が現れる。叫び声、血の匂い、金色の目、白い牙。須未の泣き声。視るということは、過去につながっていた。



 やがて伊月の声がした。


「おい、道が分かれてるぞ!」


 と松明が照らす先は、確かに二又になっていた。森の中にずっと、二つの獣道が伸びている。


 蓮二は右腕で支えている、足元の覚束ない鶫水を見て、


「鶫水の先視さきみは、まだ使えねえぞ」

「くそッ。は、どっちだ! わからねえ。――まったく、これだけ雁首揃えて、観気かんきノ術を使える奴は、いねえんだからよ」


 そんな伊月に、静迦が云った。


「そう焦るものじゃない。観気ノ術は、天性でもなけりゃ、そう簡単に身につくものじゃない。――道を選んで、用心して進もう」



 蓮二はまた、先ほどから周囲にひしめいている、瘴気の流れに意識を向ける。相手の――瘴気憑きの大熊の気配や瘴気を、感じることができる。


 蓮二には、生まれつきにがあった。


 けれど、見れば見るほど、あの夜に近づく気持ちに襲われた。身震いして、また蓮二は首を振った。


「大丈夫?」


 そう尋ねてきたのは、右腕の先にいる鶫水だ。


「あァ、何でもねえよ」

「そう? ――ごめんね。わたしが、こんな風だから。まだ、見えなくて……」

「いいや。仕方ねえ」

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