第4話
「ご依頼ですか」
事務所の玄関口についた鈴の音を聞いた蘭子は、おざなりながらも来客への定型文句を告げる。
この二日間、店番を任され、事務所に寝泊まりをした蘭子だったが、常に馨のことで頭がいっぱいだった。それにも関わらず、事務所に出入りする律世に調査の進捗状況を尋ねても、いい加減にはぐらかされるだけ。苛立ちと焦燥感だけが募っていた。
「助手さんだけですか?」
事務所に入ってきた相手の姿を認めて、蘭子は凍り付く。姫坂京香。アキはちょうど買い出しに出ている。
肩を落とした京香はカウチにと腰を落ち着けた。委縮しつつも蘭子は、律世が調査に出かけていることを告げる。
「助手さん、聞いているとは思いますけど、今日が約束の日です。依頼していた調査結果を伺いに参りました」
「いつ戻るかは私も聞いてません」
「そうですか。せっかく学校を早退してきましたのに」
会話が途切れると、脚を組んだ京香は紬の袖から煙管を取り出す。火皿に詰めた煙草にマッチで火を点けて咥えるまでの悠々とした丁寧な所作を、蘭子は思わず目で追っていた。
「まさか逃げられたのではないですよね……?」
二人だけの気まずい空気と共に煙管を喫った京香が呟く。
「ま、まさか……アハハ……」
苦笑しながら弱々しく応えた蘭子。対照的に京香は呵々と笑った。
笑えない。現にあの探偵は逃げようとしていたのだ。嫌な予感が過って蘭子ははっと顔を上げる。もしかして助手だけを事務所に残したのって……。京香は、ただ静かに生贄を見る目をしていた。
「冗談ですよ。私の立場を知る人間で、かつ同じぐらいの年齢の相手が目の前にいると思うと少々浮かれてしまいまして」
当たり障りなく相槌を打った蘭子だったが、剛毅な態度の裏に隠れた彼女の孤独を思うと、少しだけ同情できる気がした。
「そういえば、思いを寄せるお相手がいるんですって?」
京香がふと思いついたように訊く。
「まぁ。一応は……」
「いいことだと思いますわ。キュンキュンしちゃいます」
年相応に頬を緩ませる京香を見ていると、蘭子はつい彼女の立場を忘れそうになる。
「それって、誰から聞いたんだ?」
「愛しのお姉ちゃんからです」
堂々と胸を張る。中に着込んでいるセーラー服のリボンが小さく揺れた。このシスコンぶりについては、依然から気になっていたけど、まあ、訊かないでおこう。
「姫坂さんにも、そういう人がいるのか」
深堀されるのが心地いいわけでもないので、蘭子は先手を打った。
「もちろんですよ。私には家族がいますから。父から継いだ組を私は愛していますわ」
「アキさんから、色々苦労があったとは聞いてる」
「少し前まではそうでしたね。今は襲名のごたごたも取り合えずは落ち着きました。とはいえ、私のやり方に文句を垂れる輩は他所に山ほどいますわ。ですけれど、美学だけで一家を食わせていけるほど今は穏やかな時代ではないですから。賭博にカフェーに政治屋どもの薄汚れた仕事。家族のためならどんな仕事も厭わないつもりですわ」
淑やか口調でも存在感抜群な口汚さから苦々しさを滲ませる京香は、その身の丈には似つかわしくないほど過重な覚悟が決まっていた。恥ずかしいから誰にも言わないでくださいね、と付け加える。
何となくだけど、一方的に気に入られている。京香の話しぶりから蘭子はそんな感じがしていた。
そんな絶妙に弾まない会話をしていると、事務所に律世とアキが帰ってくる。
「さて、辛気臭いお話はお終いにして、仕事の話をしましょう」
京香は、合図のようにパンッと手を合わせて、微笑んだ。
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