憧れの彼の方に
《side:羊ノ家 煌》
息が、苦しい……。
身体を押し潰す瓦礫の重み。呼吸のたびに喉を焼くような痛みが走り、右脚は……動かなくない。折れているのでしょう
崩れた建材の匂い。焼けた鉄と血の入り混じった空気に、胸が軋むほどの不快を覚えながら、私はただ一人、崩壊の只中に取り残されて。
なんて、情けないのでしょう。
悔しさで押し潰されそうになる。
私は、羊ノ家の一員として失敗は許されない。
十二支家の名を背負う者として、幼い頃から徹底的な訓練を受け、首席でヒーロー学園に入学を許された者です。
その私が、仲間の判断ミスで……リベレーターの罠に嵌められて、このような醜態を晒しているだなんて。
これが、正義を掲げる者たちの現実なのでしょうか? 危険なことは承知していました。
信じていたはずのヒーローは、誰一人として戻ってきません。
いえ、それを望むことは間違っていますね。
私は全て一人でできるはずでした。
このまま、誰にも見届けられず、息絶える。
そうだったとしても、そんな結末が、私に用意されていたのだとしたら……受け入れる覚悟を私は示し続ける。
「情けない我が身。申し訳ありません」
ドガンッ!
耳を劈く破砕音。鉄骨が吹き飛ばされ、視界の向こうに漆黒の影が現れた。
「……誰?」
紅のバイザーに仮面。漆黒の装甲に包まれた、その姿はあまりにも異質で、悪の象徴のように、現実離れした存在。
「俺が誰かって? 決まっているだろ。ヴィランだ」
ヴィランですって?
混乱の中で思考が追いつかないまま、その人は私のもとへと歩み寄り、瓦礫を除け、躊躇うことなく私を抱き上げたのです。
ヴィランと名乗られたということは、ヒーロー協会に所属しておられないということでしょうか?
「私を殺すのですか?」
「殺す? 冗談だろ? それのどこが目立てる? 俺がやるのは、もっとインパクトがある初登場の演出だ!」
……演出? 目立つため? 意味がわかりません。
そんな……馬鹿げた理由で、私を助けに来たとおっしゃるのですか? そんな方がいるはずがありません。
誰かはわかりません。ですが、正式な理由で私を助けに来ることは問題があると判断して、ヴィランを名乗っておられるのですね。
私を救ってくださったのは、この方だけです。
正義を標榜するヒーローたちは、誰一人として戻っては来なかったのに。十二支家ということで妬みを抱いていたのでしょうか。
けれど、彼はヒーローと名乗るのではなく、ヴィランと名乗ることで、十二支家のしがらみ外から私を助けようとしてくれているのですね。
誰よりも速く、誰よりも大胆に、危険な場所に飛び込み。
私のことまで気遣ってくれている。
理由も、バカなことを言って、目立つためで、人助けをする人などいません。
……この方の言葉は、嘘ばかりです。ですが、それがとても温かい。
仮面の奥の表情は、私には見えませんでした。でも、あの声は、耳ではなく、胸の奥に届いているようです。
私を救うために、爆発が起きて倒壊するビルから救い出し。さらに、凶悪なリベレーターたちに一人で立ち向かって倒してしまいました。
どこまでもヒーローらしくカッコいい本物を私は見ました。
「覚えておけ。俺の名は『シン・クロノス』」
……シン・クロノス様……。
あのときの彼は、どうしようもなく輝いて見えたのです。
ヒーローと呼ばれる存在が、どうあるべきか。
私の理想が、その背中で伝えてくれているようでした。
だから、私は……誓います。
十二支家など関係ない。ヒーローとして自分が信じる道を進むべきなのです。
たとえ悪を名乗る存在であろうとも、自分の信じる正義を、あの方に恥じない存在になりたい。
シン・クロノス様。どうか、見ていてくださいませ。
私の信じる正義が、たとえ世界に否定されようとも、あの日の貴方に、恥じぬ生き方を選んでみせます。
♢
救出されてから数日が経ちました。
私は、再びヒーロー学園へと戻って、今までとは景色が違うように見えていました。
回復処置は万全。骨折も完治し、今では普通に歩行も可能です。
教室に響く笑い声。廊下を駆け抜ける足音。
誰彼かまわず騒がしく絡み合う会話。
そこにあるのは、正義の担い手たる自覚も、節度ある品位もない、ただの子どもたちの群れ。
……なんて、幼稚なのでしょう
あの瓦礫の下で味わった、静かなる死の気配。
その淵から私を掬い上げてくださった、悪を名乗るシン・クロノス様の姿と比べてしまえば、この場のすべてが、あまりにも軽く、浅薄に思えてなりません。
「おい、羊ノ家の嬢さん。あんた首席のくせに、任務に失敗したらしいな。勘弁してくれよ。俺たちまで弱く見られるだろ」
「そうだな。足を引っ張らないでくれよ」
背後からかけられた声は、Bランク所属の生徒。
彼らは実戦経験も乏しく、ただ出力の大きい異能だけでAランクを目指している、典型的な異能社会が産んだ。
結果だけの子供。
名家出身の私に対して劣等感を持ち、こちらの穴を見つけるといつまでも責め立てる。皮肉まじりの態度を取ることに、どこか満足げな笑みを浮かべている。
「あら、それは申し訳ありません。けれど……あなた方にご心配いただくほど、私は弱くありませんよ」
微笑みながら、私は異能を発動する。
彼らは、わずかに顔を強張らせ、それ以上言葉を返すことはできません。
「ぐっ?!」
「うっ?!」
私の異能は精神に干渉するものです。
人を相手にした際には、効果的な異能ではありますが、前回の事件の状況に弱いことを知ることができました。
「助け!」
「やめ!」
私如きに反抗できない程度の器量しかない者が、正義の名を背負うなど、シンクロノス様に申し訳ありません。
ヒーロー学園に通う生徒は、特別な異能を持つ優秀な者が多いです。
ですが、統計的な異能値、適正評価、遺伝的血統……。
けれど、人間性をもう少し勉強すべきでしょうね。
苦境にある仲間を顧みず、作戦失敗を恐れて距離を取った“ヒーローたち”。
命の灯が消えかけていた私に、目を向けなかった“未来のヒーロー”たち。
そんな者たちが、自分たちの“正義”を語るだなんて、滑稽な仮面舞踏会のようです。
私にとってのヒーローはシン・クロノス様一人だけ。
あの方は悪を自称し、けれど、その偽りの中にあった行動こそが、誰よりも誠実で鮮やかでした。
今、私の中でヒーローという概念は、すべて塗り替えられているのです。
だからこそ、思います。
この場所には、“理想”が足りない。
この場所には、“責任”が欠けている。
この場所には、あの方のような“覚悟”がないのです。
「……ふふっ。せいぜい、騒いでいればよろしいですわ。いつか、自分たちの未熟さを思い知る日が来るのだから」
私は彼らを背に、優雅に歩き出す。
その足取りは、誰にも縋ることありません。
私は、変わりました。
あの日、あの瓦礫の下で、死を見つめ。
そして、悪の名を冠したヒーローに救われたことで。
今の私に必要なのは、友情でも、共感でもありません。
必要なのは、覚悟と、あの方の背中に追いつくための誇りだけ。
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