水炊き
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水炊き
複数路線が乗り入れる都市の駅。電車を降りれば、眼前に開発されたライトグレーの街並みが広がる。
液晶広告が忙しなく動き回り、大型店舗の出入りは絶えない。時期もなく飾られたイルミネーションがそこら中でピカピカと光る。
コート姿で行き交う人々はスマホに専門用語を捲し立て、カフェのテラス席ではハイブランドショップのショーウインドウを眺めながらプレゼントの話題を咲かせている。
海外からの旅行者と思しき集団が大型スーツケースを転がして通ったかと思えば、街角では着飾った若い二人組が肩を寄せ合い笑っている。
そんな景色に背中を向けて、線路の高架下を歩く。油の臭いがする通りにラーメン店。リュックサックを背負った地味な色合いの男が数人並んでいる。光のないバーの看板が建物陰にちんまりと収まり、上には風俗を想わせる妖しい色合いの文字と女性のイラストが貼りついている。
更に進めばいよいよ喧騒は減り、周囲は正体の分からないビルばかりとなり、隙間を埋めるように住宅と癖のある個人商店が顔を出す。
古めかしい店舗が煤けた暖簾を掲げ、草臥れ顔の男が僅かな段差に腰を下ろし煙草を燻らしている。
郵便バイクが走り、路上に停車したトラックにはエプロン姿の男が酒樽を乗せている。
ゆっくりと歩道のゴミを拾い歩く老人の姿があれば空にむかって馬鹿野郎と叫ぶホームレスの姿もある。老いた親に手を引かれながら空を見上げて歩く老いた子供と行き違い、女が走らせる自転車に追い抜かれ、そこからスマホが転がり落ちたかと思えばニッカポッカを履いた男が慌てた声を上げた。自宅と思しき店先で箒を振り回す幼児と制服制帽姿の小学生の集団に道を塞がれつつも、避けて通る。
思い出したように現れた小さな公園では二、三の子供が遊んでいる。飛び出し防止の手すりに小鳥のオブジェがついており、誰が作ったのか分からない小さな帽子を被っていた。
地面に転がる黄色い網と籠。地面にこびり付いた汚れ。警告シールの張られたゴミ袋がポツンと一つ転がっている。
路地の隙間には古びた社が見え、その手前を猫が歩いていた。
十分十五分と歩き続けて辿り着いた一軒の店。
藍色の大きな暖簾より上に視線を向ければ窓と柵があり、草臥れたタオルとジャージがぶら下がっている。
ガラガラと鳴る引き戸を開けるとすぐにレジと板場が見えた。
「いらっしゃい」
老いた夫婦の皺枯れた声に促され、進めば座敷スペースの襖の奥から招く手がある。
「よう」
一言目が孕む戸惑いは、いつになっても消しきれない。
「おう」
「早かったじゃん」
久し振りに合わせた顔。面影はあるが体形も髪型も服のセンスすら変わっていた。
突然の小さな会合。
どれだけインターネットが発達しても一時を過ぎれば二時がやって来る。何をしようがしまいが一日は始まり終わる。
そんな中で人と集まる難しさ。例え生活圏が近かったとしても学生時代と同じような付き合いは出来ない。予定を合わせる内に残ったのは三人ばかりとなってしまった。
「早かったな」
「ああ、この辺りは近いからな」
「俺は暫くぶりでさぁ。いや驚いたよ、記憶と全然変わってるから。迷いそうだったけど、こいつと丁度駅で会えてラッキーだった」
「俺はたまに使うんだけどな。でも変わって来てると思うよ」
「そうだな、店が増えて便利になった」
「でもなぁ、観光客が多くて歩きにくくなったのは勘弁だろ。ここまで来るのに道塞がれてまー大変だった、大変だった」
おしぼりで手を拭く内に届いたビールのグラスを軽く掲げ、口元へ運ぶ。小鉢の中身をつまみながらの近況報告。当たり障りのない仕事の話、家族の話、最近興味を持ったトレンドの話から趣味の話。更には最近顔を合わせた共通の友人の話。
かつての頓珍漢は夜の仕事に就いたらしい。決して悪い人間ではなかったが、正しい人間でもなかった。
政治家を目指していた男は無事にその道を進めたようで、時折手紙や連絡が届く。
仲の良さで評判だった姉弟は、姉の方が亡くなったとも聞いた。果たして死因は事故か病か。しかしこんな話にも強いショックは受けなくなってしまった。
それ以外の同級生達は今どうしているだろう、最早知る由もない。
奥に居たらしいエプロン姿の中年女性が新たに乾き物を運んでくる。そのまま酒を追加で頼み、更に話題は広がる。
「最近車を買い替えたんだ、いい加減狭くて駄目だって」
「へぇ、良いな」
「車種は?」
「×××の××。家族もいるからワゴンだ」
「はー、良いよなぁ」
「そういやお前はまだバイク乗ってるのか?」
「いや、流石に最近は乗っていない」
「通勤には何だかんだ電車使うよな」
「そうだなぁ」
「トラブルはあっても大体は時間通りにつけるし自分で運転しなくていいのは帰りが楽だよ」
「そういや今時は免許持ってない子も多いな」
「本当にな」
「いざって時にどうするんだろうな、あれ」
「徒歩圏内に必要な物があれば問題ないんだろ」
「そうかぁ?」
「教習所代はそれなりの値段だからな。取った後も車は高いしそこに税金、ガソリン代、免許更新料がかかるんだ。頻繁に乗るんでもないと割に合わないって考えなんだろうさ」
「あー、それは確かに」
「地方行ったら車ないと生活できないだろうに」
「地方に行くつもりがないんじゃないか?観光位ならバスでも足りるし」
「はい、おまちどう。真ん中開けて」
「ああ、はい」
いよいよ席が盛り上がる頃、店主が土鍋を両手に現れた。背中はやや曲がりかけていたが運ぶ姿に不安定さはない。
備え付けのコンロの上に鍋が乗り、熱が加わるとすぐにグツグツと音を立て始めた。
「もう食べられるよ」
「はい、どうも」
「飲み物のお代わりは?」
「いや、今は大丈夫」
「俺頼もうかなぁ、日本酒って何があります?」
「品書きにある三種類だよ」
「えーっと、じゃあ……これで」
「あ。それとウーロン茶もらえます?」
「はいよ」
蓋を開ければ、自宅で食べるそれよりも整った姿の中身が見えた。
肉に野菜、豆腐、その他。
長箸で各々取り分け、備え付けられたタレを回しかける。
「いただきます、と」
「行儀いいな」
「もう癖だよ」
暫しの無言。
始末が良いのか、質が良いのか。矢鱈美味い。肉は弾力を持ちながらも柔らかく、筋がある野菜は歯切れが良い。酸味と辛味のある特製ダレもまた合った。
酒がどんどん減っていく。
「おまちどう、ウーロン茶と日本酒ね」
「あ、はい。どうも」
見計らったかのように飲み物が運ばれてくる。
「そっちのタレってどうだ?」
「美味い。家だと甘ったるい味付けが多いから余計に美味く感じる」
「子供に合わせるとそうなるよな」
「でも家族がいるってやっぱ良いよなぁ。俺、考えてみたら、こんなまともな飯食うの久し振りだわ」
「それはな。だけど大変だぞ、子供がいると。大体、赤ん坊の頃はこんな事出来なかったし」
「今いくつになったんだっけ?」
「もう小学生だよ。手がかからなくなったと思ったら今度は別の厄介事を起こすんだから目が離せない」
「そうだな」
「自分の頃の感覚で物を言おうにも時代が違うらしい。教育に悪いから下手な事を言うなだの、皆の事を考えてアレをやれコレをやれだのとも言われるしな。その皆に俺が入ってる気がしないのはどういう事なんだってたまに思う」
「まぁ、嫁さんも嫁さんで大変なんだろう。うちは子供居ないからその辺は気楽だけど」
「仲良いもんな、お前んとこ」
「羨ましいわ」
「いや、喧嘩もするよ。時々腹立つ事もあるし、向こうも向こうで思う事あるみたいで。二人だから家でそうなると気まずくてな。修復するのもまた面倒臭い」
「いいじゃんかよ、俺なんて喧嘩したり揉めたりする相手も居ないんだぞ!」
「好きに暮らせてるんだから楽しくて良いじゃないか」
「そうだけどな、でも結局は孤独なんだよ。自分で選んでこうなってる訳でもないし」
「彼女はどうした」
「出来てりゃ悩みはしないの。努力が足りないだのどうのこうのと言われりゃ肩身は狭いし、だからって無理をしてみてもロクな事はねぇし」
「まぁ、相性もあるからな」
酔いが回る程に口は軽くなり、普段は胸の内にしまい込んだ愚痴や弱音が零れ出す。お前はいいよ、いやいやお前こそ、そんな事を言い合いながら何処か安心した気持ちにもなる。
老若男女、誰も彼もが何処かで苦労をし、不意に悩みを抱え、時に不幸を感じている。一方で誰かと比べて自分は優れている、正しいと感じてもいたい。人間なんてそんなものだ。
けれども不用意な所で口に出せば、あれやこれやでややこしい。昨今は益々その傾向が高まっているようで、どこで誰に何を言われるかと思えばちょっとした相談すら躊躇われる。
こんな時代にはこれ位の関係と距離が心地良い。
「女って面倒臭ぇー」
「まぁ仕方ないだろ、そんなもんだよ」
「お互い様だよ、お互い様」
「暫くは無理だろうけど、今度この三人でパァっと遊びに行こうぜ」
「行きたいよな、たまには」
「一人で遊び歩くなって怒られるから、先にはなるな」
「……はー、面倒臭ぇ!」
「お客さん、そろそろ〆を持って来ていいかい?」
「あ、すみません。お願いします」
「日本酒、同じの追加でー」
「はいよ」
鍋の中身はすっかり空になり、そこにうどんが運ばれて来た。
湯が注がれ、うどんが入ると再度蓋が閉められる。
「これもすぐ食べられるからね」
「はい、どうも」
「あと酒ね、空いたのはこの盆に乗せといて」
「分かりましたぁ、おばちゃんあんがとー」
「お兄ちゃん、大概にしときなよ」
「へーい」
「こいつがどうもすいませんね」
「あーはいはい、慣れてるわよ」
茹で立ての温かいうどんを鍋から引き上げる。
汁が跳ねただの熱いだのと言った声も収まりズルズルと啜る音ばかりになった。
「やっぱうどんって良いよなぁ、頼んでおいて正解だった」
「いつもは雑炊だけど、これは美味いな」
「家だと雑炊になりがちだよな、米が余ってるからって」
「確かに、冷凍庫に矢鱈入ってる米が出されるんだよな」
「なぁ、ラーメン入れるのって何鍋の時?」
「ラーメンはあまり出て来ないな」
「うちもだよ」
平打ちの麺は滑らかで弾力があり、癖になる食感だ。鍋の出汁とタレが絡まり、口の中に風味が広がる。あれだけ飲み食いしたにも関わらずただただ箸が進んで、あっという間に鍋は空になった。
「食べた、食べた」
「本当に」
「しっかし、汗かいたな」
「暫く寒かったし丁度良いさ」
「まぁなー」
「そろそろ会計行くぞ」
「えぇ、まだ飲もうぜ」
「明日もあるんだよ、こっちは」
「じゃあ便所に行ってくる」
「金置いていけ」
「分かってるって」
重たくなった腰を上げ、酔っ払いがよろめきながら靴を履く。
自分達の事ばかりで気付かなかったが店内は客で一杯だった。中年女性が忙しそうに狭い通路を行き来している。それを避けつつレジへ向かい、店主に声をかけて支払いを済ませた。
「ご馳走様」
「はいはい、またよろしくね」
「こちらこそ」
外は人気がなく暗い。街灯が所々で光っている。
遅れて出てきた一人と共に、声を響かせながら道を歩く。行きより足取りは軽く、あっという間に駅へと辿り着いた。
「それじゃあまた」
「出来たら近い内にな」
「本当にだぞ!忘れるなよ!」
「お前、ちゃんと駅で降りろよ?」
「途中まで一緒だから様子見とくわ」
改札で別れ、コンビニで水を買う。
馬鹿馬鹿しくも楽しい会合だった。
何を話したのかなんて思い出せない。いや、思い出す必要等ない。
酒の席の話は明日に忘れる。つまらない世間話の中身なんてそうであるべきだ。
小さな店の中で結び直された友情は嘗てと変わらなかった。或いは昔よりも成長した分、余裕があって穏やかだったかもしれない。
数十秒前に電車は出発したらしく、人気のないホームに一人立てば不意に夜風の冷たさを感じた。
電光掲示板を見慣れた駅名が流れている。
水炊き sui @n-y-s-su
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