第46話 反撃開始
げほごほと派手な音を立てて、目の前の少女がうずくまる。その姿を、敬吾はただ茫然と見ていた。
――何が起きた?
気が付いたときには彼女が小瓶を取りだしていて、止めようと動くにはもう遅かった。毒、という言葉が脳裏に過ぎる。
――どこで間違えた。あの小瓶の中身は何だ。私が次にとるべき行動は……。
と、彼は考えてしまう。理解しようとしてしまう。その結果、彼は瞬時に動くことが出来なかったのだ。
そして、それこそが致命的な誤ちだった。
一瞬のうちに依月は純蓮へと駆け寄ると、彼女を抱き寄せる。そのまま後ろへと飛び退き敬吾から十分な距離をとって、彼は不敵に笑みを浮かべたのだ。
「――……これで、状況は五分ですね」
その言葉の通り、状況が圧倒的に傾いた、と言い切ることは出来ない。それだというのに。依月の言葉は、表情は、まるで自らの勝利を確信しているかのようだった。
◇◇◇
「純蓮……っ!?」
遠くから響くそんな声を聞きながら、純蓮は目尻に涙を浮かべて激しく咳き込む。
苦い。苦い。あまりに苦い。触媒を介さず直接に舌へと触れた苦味は想像以上の代物で、純蓮は咳をしながらしゃがみ込んだ。純蓮が飲み干したのは、アルマから渡されていた予備のビタミン剤。その苦さは事前にわかっていたものの、やはり苦いものは苦い。
この世のものとは思えないその不味さに悶絶しながらも、狙いは成功した、という確信に、彼女は小さく笑みを浮かべる。純蓮の耳に届くのは、階下から響く治彦の驚愕の声と、自らへと迫る聞き慣れた足音だった。
ぎゅっと、彼の腕が純蓮の肩に固く回される。その温かさに、力強さに、純蓮は安堵の吐息を漏らした。視線を上げて彼の目を見た途端、じわり、と先程までとは違う涙が目尻に浮かぶのを感じる。
「――お嬢様。本当に……、よかった……っ」
純蓮を抱き、そう声を震わせたのは他の誰でもない依月だった。彼は、純蓮の様子に一瞬だけ表情を緩ませると、すぐに純蓮をその腕に抱えたままで敬吾から距離をとる。
「――……これで、状況は五分ですね」
と、上から降ってきた依月の声に、純蓮は思案する。確かに状況は好転したが、それは純蓮が人質の立場から解放されただけに過ぎず、いまだ状況を打破できたとは言い難いだろう。
「……状況は五分、だと? ハッ、笑わせるなよ。何を飲んだかは知らないが、そんな状態のお嬢様を庇っているお前が、たった一人で私を制圧出来るとでも?」
込み上げる苛立ちをあらわにしながら、敬吾は唸る。その表情は憎悪に満ちていて、ぞくり、と純蓮の身の毛がよだつ。
「お前に武道を叩き込んだのが誰だと思っているんだ? ……お前があくまでお嬢様を庇うと言うのならば、私は先に旦那様を殺そう。そうすれば、あとはお前を無力化して、残るのは無力なお嬢様だけ。……簡単な話だ」
そこまでを言うと、彼はすっと純蓮たちに向かって手を伸ばす。
「依月。……お前は私に敵わないということぐらい、わかっているだろう。大人しくお嬢様をこちらに渡しなさい」
その言葉と同時、純蓮を抱く依月の腕にぐっと力が込められる。おもわず純蓮が彼を見上げれば、彼は純蓮を見て微笑んだ。
「……安心してください、お嬢様。私は絶対にあなたを、そしてあなたの家族を傷つけさせたりしませんよ」
「か、影吉……?」
そう告げると、彼は純蓮をその腕から解放する。彼が純蓮を庇い、敬吾と相対しようとしているのは明白だった。
――どうして。このままでは、影吉まで危険になってしまう。自分に、できることはなんだ。
咄嗟に思考を巡らせて、純蓮はついにひとつの考えに思い至る。
――きっと。きっと、
依月の裾を引き、彼をぐいと引き留める。驚いたように目を見張る彼を視界の端に捉えながら、純蓮はふっと笑みを浮かべた。
「……先ほど、
純蓮の唐突な問いかけに、敬吾は怪訝そうにこちらの出方を伺っている。
「ですが……、いつわたくしたちが依月くんひとりだなんて言いましたの!」
きっと
「――……助けてください! アルマさん……っ!」
その声とともに、ガシャンという轟音が耳をつんざいた。その音の発生源は、踊り場に面した一面のステンドグラス。派手な音ともにステンドグラスは砕け散り、色とりどりなガラスの破片がきらきらと月光を反射している。そして、降り注ぐガラス片の下で、赤い瞳の彼は笑った。
「――よく頑張ったな、お嬢サマ。ここからは……、俺の仕事の時間だ!」
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暗殺喫茶ルミナリク―殺されたい少女と殺したくない殺し屋の七日間― 如月トオカ @kisaragi_10
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