第44話 はじまりは些細なことばで
純蓮たちの断絶を仕組んだのは自分だ、という敬吾の告白に、
「何を、言って……」
と、純蓮は声にならない声を漏らす。彼の言葉は確かに耳に届いているはずなのに、純蓮の脳が、心が、その意味の理解を拒絶している。
「何をもなにも、言葉の通りですよ。旦那様があなたに冷たく当たっていたのも全て、私が仕向けたことだった、と言っているんです」
順を追って説明しましょうか、と彼は静かに告げた。その声はいっそ穏やかなほどで、それが尚更恐ろしい。
「はじまりは八年前です。……陽乃様が亡くなってしまったあのときに私の計画は全て水泡に帰し、……私は絶望の中にいました。もう、あの方の笑顔を見ることは叶わないのだ、と。……そんなときだったんです」
そこまでを一息に告げると、彼はふと純蓮に向き直る。その瞳は、爛々とした狂気の色を覗かせていた。
「あなたが私に、道を示してくれたんですよ」
◇◇◇
「……しつじ長。お父さまは……、すみれのことをおきらいになってしまったのでしょうか」
少女の問いは、唐突だった。
陽乃の葬儀が終わってから数日、一之瀬家の邸宅でようやくひと息をついた敬吾に向かい、純蓮はそう問いかけたのだ。その肩はひどく震えていて、どこか怯えているようだった。今までのはつらつとした彼女との差異に内心で驚きつつ、敬吾は少女の言葉を確かめる。
「……お嬢様? それは一体どういった意味でしょうか」
敬吾が疑問に疑問で答えると、純蓮は困ったように眉を下げる。そして、少しの逡巡のあとでこう切り出した。
「……お父さまは、お母さまが事故にあってからおうちに戻ってこないでしょう? すみれのせいで、……お母さまは事故にあったから。お母さまとの約束を守れなかった悪い子だから。お父さまはすみれのことを……、嫌いになってしまったのでしょうか」
途切れ途切れに彼女は話す。その声はひどく震えていて、今にも泣き出してしまいそうだった。
かける言葉を見つけられずに、敬吾が口をとざすと、彼女はさらにぽつりとつぶやいた。
「だからお父さまは……、お葬式のときにすみれのことを、怒っていたのでしょうか」
「……お嬢様のことを怒っていた?」
葬式の日、敬吾は治彦とともにいた。ただ思い返してみても、敬吾はその言葉にまったく心当たりがない。あの日彼はずいぶんと憔悴していたが、だからといってまさか娘に当たるような人間でもないだろう。
治彦が陽乃や純蓮を溺愛しているのは、はたから見ても明らかなのだ。
「……お父さまが、お母さまのひつぎの前で言っていたのです。どうしてあんな目に、って。代わりに……って」
純蓮の言葉に、敬吾は軽く目を見張る。まさか彼女があの場にいたとは。
そんな敬吾の内心も知らぬまま、彼女は嗚咽混じりに口を開いた。
「きっと、お父さまは……っ、お母さまの代わりに、すみれが事故にあえばよかったと、おっしゃったのです……!」
違う。誤解だ。と言うことは簡単だった。
なぜなら、あのとき治彦が吐いた言葉。それは――、
『どうして……、陽乃たちがあんな目に。代わりに私が死ねばよかったのに』
という自分自身への呪詛だった。その言葉を敬吾はおもわず遮ったものの、それがむしろ信憑性を高めてしまったのだろう。
彼女に真実を告げようとして、敬吾はふと思いつく。
――もしもここで、誤解を解かなかったら?
どう足掻こうと、もう陽乃が生き返ることは無い。分かっている。目の前の少女は加害者ではない。だが、この少女が彼女の死の要因のひとつであることは紛れもない事実だ。
――それならば、少しくらいの憂さ晴らしなら。許されるのではないだろうか。
「……そうですね。きっと大丈夫ですよ。旦那様も奥様を亡くしたばかりで気が動転していたのでしょう。……直ぐにいつも通りの旦那様に戻りますよ」
「……それは。……そう、でしょうか。……しつじ長、ありがとうございます」
くしゃりとぎこちない笑みで礼を告げ、純蓮はその場を立ち去った。そんな彼女を見送って、敬吾は口の端を吊り上げる。
――そうだ。これはあの人を殺した彼女に対する、正当な罰なんだ。
そう論理を歪曲させて、敬吾は自身を正当化する。
それからの彼の行動は早かった。娘を見ると事故や陽乃を思い出してしまって辛いと言う治彦には、「それでは、お嬢様の面倒は私たち使用人に任せてください。……あなたも被害者の一人なんですから。少しばかり時間が必要なんでしょう」と甘い毒を吐く。そして、父の不在を不安がる純蓮には、「旦那様は今……、少々多忙にしているようでして」と囁き真実を隠した。
また、依月が純蓮から預かったという成績表は、治彦の目に入る前に敬吾が書斎で処分した。依月がその残骸を発見して治彦の仕業だと勘違いしてくれたときは、あまりの都合のよさに笑い声さえこぼれそうなほどだった。
そして、そんな生活が続くにつれて、敬吾の中の真実はゆうに捻じ曲がっていったのだ。
「純蓮が事故の際陽乃のそばにいた」という事実は、「純蓮が陽乃の死の原因である」という
そんな彼に残っていたのは、業火にも似た、世界への憎悪だけだった。
――アイツらが居たせいで。この世からあの眩い光は、姿を消してしまったのだ。
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