第43話 きっといつかは愛だった。
――「
そしてなにより
敬吾から陽乃への強い執着や彼の高い計画性に影吉家という立場、そしてなによりも「もうすぐ手に入るはずだった」という彼の言葉から、純蓮はひとつの真実を導き出していた。
「……
それは、敬吾こそが
純蓮の声が静まり返った玄関ホールに響き渡ると同時、敬吾はぴたりと動きを止める。そして、彼は少し驚いたように純蓮を見やった。
「なぜ、あなたがその名を……。いえ、今となってはそんなことどうだっていいですね」
その言葉は、肯定と同義だった。今更取り繕う必要もないだろうと、彼は笑う。
「えぇそうですよ。お嬢様の言う通り、私は
階下の依月と治彦に語りかけるかのように、彼は朗々と言葉を放った。彼の告白を聞き届けると、治彦はおもむろに口を開く。
「殺人犯……? おい、敬吾? お前は何を言っているんだ……? お前が陽乃のことを好いていたというのはよく分かった。それがどうして……、殺人なんていう話に……」
動揺に揺れる彼の瞳は、敬吾の行動の理解ができない、と明らかな恐怖を映し出している。敬吾は、そんな彼を見て、表情を歪ませた。
「……治彦様には分からないでしょうね。今まで、何も与えられたことがない人間が、暗がりで生きた人間が……。やっと見つけることが出来た大切な光が既に他人のものだという感覚を。どれだけ足掻いても、今更手に入ることなんてないのだと気付いてしまったときの虚しさを」
彼の言葉は血の滲むような実感が籠っていて、まるで圧倒されるようだった。そして彼は、ふっと淡く微笑む。その表情は、これまでのどれよりも柔らかい、穏やかなものだった。
「だから……、もう手に入らないから。そんなあの人を私の元で『永遠』にしたいと思ったんです」
その、あまりにも静かな彼の狂気に、純蓮はごくりと喉を鳴らす。どうやら何も言えないのは依月や治彦も同じようで、彼らは茫然と敬吾を見上げていた。
「……そうして、やっと準備が整ったんです。夏場はすぐに腐ってしまったから、あの人を綺麗に残すためには、きっと冬がいいだろうと思って……。予行練習だって何度もしてきたんですよ? それなのに、それなのに……!」
それはもはや叫声に近く、絞り出す彼の声は悲痛な色を帯びていた。彼はようやく息を吐き切ると、純蓮をぎろりと睨みつける。怒りや憎しみがぐちゃぐちゃに混ざり合ったその瞳は、目のあった一瞬の間で、体の芯から震えが込み上げてくるようなものだった。
「あなたがあの日、あの人とともに出かけたから……。あなたがあの時あの場にいたから……っ! あの人はもう二度と私の元に手に入らない! ……あなたさえいなければ!」
真っ赤な色が目の前を鮮やかに染めて、鉄の錆びた匂いが鼻をついた。そんな記憶が蘇る。夏の日のじわじわと照りつける眩い日差しが。ミンミンと煩い蝉の音が。目の前でひしゃげたガードレールが。蘇る。
「わ、わたくし、は……っ」
息が詰まる。声が出ない。あのとき自分がいなければ、なんて、今まで何千回と考えたことだ。分かっている。あの事故は、純蓮のせいではない。それなのに、他人から向けられたその激情にぐにゃりと視界が歪む。
「私の生きる意味を殺したのはあなただ。だから……、せいぜい少しくらいは溜飲を下げさせてくださいね」
眼前の敬吾が純蓮に向かって手を伸ばす。その手は一直線に純蓮の喉元へと向かってきていて、彼が純蓮の首を絞めようとしているのだと、すぐに理解した。
そう頭では分かっているのに、体がこわばり微塵も動くことができない。
――逃げられない。
と、純蓮が力を込めて目を瞑ったそのとき。
「……ふざけるな。純蓮がいなければよかった……、だと? 馬鹿を言うのも大概にしろ! お前が真に憎いのは、純蓮じゃない。陽乃の夫であった俺だろう!? 殺したいと言うのならば、まずは俺を殺せ!」
突如階下から響いた怒声に、敬吾はゆるりと動きを止める。そこで息を荒らげているのは治彦で、純蓮は何も言えずに彼を見た。
考えてみれば、今日の彼の態度はおかしなことばかりだ。純蓮のことを離せ、と言ったり、心配そうに顔を歪めたり、純蓮の身代わりになろうとしているかのような言葉を叫んだり。だってあれでは、――彼が純蓮のことを愛しているのではないかと勘違いしてしまうではないか。
「ふふ、はははははっ!」
何が可笑しいというのか、隣に立つ敬吾は額を押さえながら上を向き、高らかに笑い声をあげた。ただ、そんな彼の声に怯むことなく、今も治彦は敬吾を睨みつけている。
「……答え合わせ、と言ったわけですし。その説明はしなければなりませんよね」
穏やかな声のまま、彼は純蓮に問いかける。
「お嬢様、お嬢様は旦那様のことをどのような方だと思っていますか?」
「お父、様のこと……?」
その問いは、純蓮の心を揺さぶるのに十分すぎるものだった。きっと今までの純蓮なら、純蓮のことを嫌う冷血漢だ、とでも答えただろう。しかし、今の純蓮にはどうしても、彼をそんな一言で括ることができなかった。
「やはり……、お嬢様から見た彼は、娘であるあなたに関心を持たない酷い父親、だったでしょうか」
何も答えることの出来ない純蓮に、彼はふっと笑いかける。
「ですが。――それも全て、私が仕組んだことだったんですよ」
彼のその笑顔は、ひどく嗜虐的なものだった。
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