第22話 衝突
「影、吉……?」
よく見知ったはずの彼の姿が、まるで異質なもののように感じて。彼の名を呼ぶ声が震える。なぜ、なぜ彼はここにいるのだ。
「……お嬢様。このような場所で、一体何をなされているのですか?」
怖い。と、そう思った。
その姿かたちも、純蓮に向けられた声も。よく知っているものなのに、こんな彼を知らないと思ってしまった。
震える声を押さえつけて、純蓮は口を開く。
「……そ、れはこちらのセリフですわ。なぜ……、影吉はここに来たんですの?」
「お嬢様……。論点をすり替えようとするのはおやめ下さい。今は、私の質問の番でしょう?」
純蓮の言葉を彼が聞き入れることは無い。まるで、純蓮の間違いを正しているんだとばかりに彼は告げ、ひたり、と一歩足を踏み出した。その瞬間だった。
「大方、これだろ」
純蓮の背後から、低い声が響いた。はっと後ろを振り向くと、アルマはなにやら探るように純蓮の鞄についたマスコットを手に取っている。
「……この感触、発信機か? 執事サンっつーのはこんなことまで仕事なわけだ。ずいぶんと大変な仕事だなあ?」
嘲るように、彼は笑った。その鋭い視線ははっきりと影吉へ向けられている。
「発信、機……?」
彼の言葉に純蓮は信じられない、と目を見張る。まさか、そんなものをいつ仕込んだというのだ。
「まさか……、今朝直してくれる、と言ったとき……。ですの……?」
純蓮の言葉に、影吉は何も答えない。それこそがきっと答えだった。
「どうして……、どうしてそのようなことをするのですか!?」
おもわず純蓮が声を荒らげると、彼は不快そうに一瞬だけ眉を上げたあとで言葉を続けた。
「どうして……、ですか。それでは、私があなたを心配していたからだ、と言えばお嬢様はその言葉を信じてくださいますか?」
ふっと自嘲気味に、彼の吐息が漏れる。
「私は、あなたにご学友ができることは好ましいことだと思っています。……紫峰学園は通う生徒もみな家柄のはっきりした者ばかりですし、その点においての心配は無い。ですが……、」
彼はゾッとするほどに冷えきった視線を向ける。その視線は純蓮ではなく、背後のアルマへと向けられていた。
「お前のような出自もわからない人間とお嬢様との交友を、私は……、絶対に認めない」
なぜ、彼はそのようなことを言うのだろう。
「ハッ、出自もわからない、ねぇ? 確かにそれはそうかもしれねーけど、たかだか執事のアンタがなんでお嬢サマの友達付き合いにまで口出すんだよ。お嬢サマの友達はお嬢サマが自分で決めるもんだろ」
なぜ、彼は純蓮を庇うように純蓮の前へと立ったのだろう。
「えぇ、友人は自ら選ぶべきものです。ただし、明らかな過ちを犯し、間違った方向へと進もうとする主人を止めるのは、紛れもなく使用人の役目でしょう?」
なぜ、
「明らかな過ち、だと? ……ふざけたこと言ってんじゃねぇよ。お嬢サマはやっと声出して笑えるようになったんだ。今までのお嬢サマのこと見てきて……、なんで今のお嬢サマが間違ってるなんて言えんだよ!?」
なぜ、
「……今はまだ、過ちとは言い切れないかもしれません。それでも、あなたのような方と共にいれば、いずれお嬢様は傷つくことになる。それは私にとって決して看過できることではありません」
――なぜ純蓮の大切な人たちが、こんな風に争わなくてはならないのだろう。
「……やめてくださいませ」
小さく、それでいてはっきりと彼女はつぶやく。争いの渦中にいたふたりは、その声に気づくとすぐに視線をそちらへ向けた。
「……そのようなことを言い合うのは、もう……、やめてくださいませ……!」
彼女の声は震えの混じる、あまりにも弱々しいものだった。それでも、その声ははっきりと非難の色を帯びている。
「お嬢様――」
「わたくしは屋敷へ帰ります。……それで満足なのでしょう?」
影吉に目を合わせぬままで、彼女は告げた。鞄を手に持ち、店の外へ繋がる扉に足を進める。
「…………ごめんなさい。アルマさん」
扉へと顔を向けたままで彼女は囁いた。その表情は誰にもうかがい知ることはできない。お嬢サマ、と声をかけたアルマに返事をすることもなく、すぐに彼女の姿は見えなくなる。
アルマを一瞥したあとで、純蓮に続くように影吉は店外へと歩き出す。店内には、呆然と立ち尽くすアルマと、鞄から取り外されたうさぎのキーホルダーだけが残されていた。
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