悪食の市場

ざらら

悪食の市場 本編

〝憎きベガン人を喰べて、丈夫な兵士を産もう!女性にはデザートを一品サービス!〟


 メニューが書かれた黒板には、勇ましい煽り文句が添えられていた。

 間接照明がぼうっと照らすチョークが記すのは、肉料理ばかり。カウンターの奥では、それら肉料理のがフックで吊るされている。腕や脚、腹を割かれてアバラも露わな胴体のローストなど。


 死体置き場のような厨房とは対照的に、ホールは生きた人間の熱で満ちていた。

 グラスを片手に、人々がバーカウンターやテーブルの間を行き交う。また、人混みの隙間を縫い、他者を品定めする視線も飛び交っていた。壁のメニューを眺めるふりでも、明け透けの欲。


 そんなホールの中央で、二人の女が丸テーブルを囲んで立ち、盃を交わしていた。

「これ、とっても美味しい」

 一方の女、アミラーゼが、どろりとした赤い液体の満ちたグラスから口を離した。

「アミラーゼが飲んでいるの、何だっけ」

 隣でグラスを傾けるリパーゼが訊ねた。

「ストローハットだよ」

「つまり」

「テキーラをトマトジュースで割ったやつ」

 アミラーゼが、ストローハットのグラスを掲げてみせた。それを合図のよう、店内に悲鳴が響き渡った。スピーカーが鳴らす、ノイズが乗った男の叫び。

 二人は壁のスクリーンをちらと見た。樹の幹に縛り付けられた男のくびから、鮮血がほとばしっている。その血を、重武装の兵士がグラスで受け、一息に飲み干した。

「美味しそう。だけど、今日は食べ物が重いから――」

 リパーゼは皿から骨付き肉を取り、かぶりついた。黄色がかった脂身に、粗挽き胡椒やハーブの色合いが、どこか毒々しい。リパーゼは、肉を咀嚼して呑み下すと、グラスを煽った。透明な赤い液体が、パチパチ泡を爆ぜさせながらリパーゼの口に吸い込まれていく。

「これくらい軽い炭酸が合う」

「リパーゼのは」

「グレナディン・フィズ。それはさておき――」

 そこで一度切ると、リパーゼはわざとらしいささやき声で「この間の人はどうなったの」と続けた。スクリーンの中では激しい砲撃戦。爆裂音が彼女の声を掻き消しても、実際、問題はなかった。切り出したタイミングと喋り方だけで、要件は伝わるはずだった。

「……やっぱりちょっと経験不足かな。もう会わないよ、たぶん」

 アミラーゼはむくれ顔でストローハットを啜った。粘度の高い不透明な赤い液体が、彼女の口に吸い込まれていく。

「経験不足って、意外。男らしい人に見えたけど」

「私もそう思ったよ。でも、聞いてみたら……」

 俯くアミラーゼと、彼女に注意を向けるリパーゼ。二人の隙をついて、ねっとりとした視線が襲いかかった。視線の元は、遠くのカウンターにもたれる線の細い男。のっぺりとした青白い顔に、細く開いた仮面の孔のような目が、アミラーゼを見ていた。

「一桁だって」

 そう言うと同時に、アミラーゼが顔を上げた。男はさっと視線を逸らした。

「それは無い」

「リパーゼが羨ましいな。なにせ彼氏は……」

 リパーゼは返事のかわりに、にやりと得意げな笑みで返した。

「百人斬りとか、ほんっと羨ましい。くらくらしちゃう……」

 やいのやいのと話す二人のテーブルに、かたり、サングリアのグラスが置かれた。

「私は、別に経験が少なくてもいいと思うけど」

 三人目の女、ペプシンが酒のお替わりを手に戻ってきたのだった。リパーゼは得意顔を崩して、口を尖らせた。

「また出た。ペプシンは、本当に悪食あくじきなんだから」

初心うぶな男の良さがわからないとはね。酸いも甘いも味わい尽くすと、結局、行き着くのはそこなんだよ。君たちも今にわかるさ」

 釈然としない顔で、アミラーゼが「私たち同い歳なのに」と呟いた。リパーゼはレバー・パテをバゲットに塗りながら「一生わからなくて結構」と。

 そんな噛み合わない議論を打ち切って、「お待たせいたしました」盆を持った店員が現れた。

「戦地直送、ベガン人の仔のタンのグリルでございます」

 ペプシンは店員の差し出した皿を受け取ると、早速肉を口に放った。こんがり焼き目のついた、明らかにそれとわかる形状の、肉。

「うん、柔らかくて美味しい。羊だってマトンよりラムの方が美味しいし、やっぱり子どもが美味しいんだと思う。経験豊富な男がマトンなら、初心うぶな男はラムだよ」

「私、マトンも大人の肉も好きだけどなあ」

 シチューボウルから煮込み肉を取り分けながら、アミラーゼが言った。小皿に落とすと、筋張った肉がほろりと崩れた。

「わかった。君たちが初心うぶな男の良さを知らないことはよくわかったよ。まあ、それはさておき。戻って来る時気付いたけど、さっきからあの子、アミラーゼのこと見ている」

 ペプシンが目線でカウンターを指した。ちらちら女たちの宴を盗み見ていた男が、慌てて目を逸らした。

「そっぽ向いたね。奥手だ。でも、綺麗な顔をしていたよ」

「綺麗な顔って、のこと言ってるの」

 そう言ったリパーゼの目線は、男の頭の上方を指している。カウンターの上、並んで吊るされた人頭のスモークが、空調の風で揺れていた。無毛の肌は、いぶされるうち自身から滲み出た脂でコーティングされ、薄暗い店内でてらてら光る。

「まさか。私もそこまで悪趣味ではないね。随分不格好じゃないか」

 ペプシンは頭の群れ見て顔をしかめた。不躾な視線を浴びても無表情な顔たちは、どこか作り物じみて、お化け屋敷で降ってくる人形のような風情だった。虚ろなあな――眼球をかれた眼窩がんかと、歯も舌も抜かれた口腔は、詰め物で整えられるのを待っているよう。

はもちろんごめんだけど、男の子の方もやめてよ。なよなよして、きっと未経験。ペプシンの悪食あくじき趣味を押し付けないで」

 そこに再び店員が現れた。ココットを三人の前に並べていく。

「サービスのデザート、チョコレート・ババロアをお持ちしました。ゼラチンは、ベガン人の皮膚から抽出したものを使用しております」

 早速三人はデザートに舌鼓を打った。食べ終わるか食べ終わらないかの頃、件の男が三人のテーブルに近付いてきた。仮面のように表情の乏しい顔には二つの昏い孔。「あの――」細く開いた三つ目の孔から、頼りない細い声が漏れた。

「未経験はお断り。もっと経験積んでから出直してきてよね」

 きっぱりと断ったアミラーゼの態度にもめげず、男は懐から何やら紙切れを取り出して広げた。〝戦績証明書〟と題された書類。中央に印刷された数字が、アミラーゼの目を惹きつけ、彼女は嘆息とともに、「千人……」うっとりと呟いた。

「新設のドローン部隊でパイロットをしていました」

 アミラーゼは頬を赤らめ、潤んだ瞳で男を見つめた。

「ねぇ、よければこのあと一緒に…………」

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