第4話:再会の風

「...入っていいかしら」

アリスの声が、閉ざされた扉の向こうから聞こえた。

リオは暖炉の前に立ち、火を見つめていた。


「開いてる」彼はようやく答えた。


ドアが開き、アリスが部屋に入ってきた。彼女は軍服のコートを脱ぎ、椅子に掛けた。その下の制服は、かつての鮮やかな青ではなく、戦場の埃で灰色がかっていた。


「素敵な家ね」

彼女は静かに言った。


「お父様の面影を感じるわ」


リオは黙ったまま、やかんを火にかけた。二人の間に重い沈黙が流れる。


「なぜ来た?」

ようやくリオが口を開いた。


「戦争はまだ終わっていない」


アリスは深く息を吸い、椅子に腰を下ろした。


「終わりに近づいているわ」彼女は疲れた声で言った。

「あと数ヶ月で和平交渉が始まる。どちらも続ける力がないの」


「そうか」リオは淡々と言った。

「それで?」


アリスは彼をじっと見た。かつての幼なじみの目には、もはや彼女を見る温かさはなかった。その代わりに、冷たい距離感と—それでも消えない何かがあった。


「話を聞いてほしい」彼女は真剣な表情で言った。「全てを」


リオは黙ってお茶を二つのカップに注ぎ、一つをアリスに差し出した。


「あの日、あなたがプロジェクトを去った後、私は軍の命令に従って飛行船の兵器化を進めた」アリスは静かに語り始めた。


「最初の実戦投入は...恐ろしかった」

彼女の手が震え、水面が微かに揺れた。


「でも、そのとき気づいたの。この飛行船には他の用途もあると」


彼女はリュックから何かを取り出した。それは写真の束と、小さな記録装置だった。


「これは飛行船から撮影した戦場の記録よ」


リオは無言で写真を手に取った。そこには戦争の惨状が克明に記録されていた。破壊された都市、逃げ惑う民間人、燃え盛る森林。

—しかし、単なる破壊の記録ではなかった。それは精密に分析され、時系列で整理されていた。各写真には日付と座標、そして詳細なメモが添えられていた。


「私は表向きは軍の命令に従いながら、内部で活動を始めたの」アリスの声は次第に力強さを取り戻していた。

「この戦争の真実を記録し、伝えるために」


リオは写真から目を上げた。

「証拠集め...だったのか?」


アリスはうなずいた。


「最初は孤独な戦いだったわ。でも次第に仲間が増えた。パイロット、情報将校、さらには一部の将軍たちも」彼女は苦笑した。

「皮肉なことに、あなたの設計した高高度飛行能力と長時間航行性能が、この活動を可能にしたのよ」

「なぜそんなことを?」リオの声には戸惑いが混じっていた。

「君は帝国軍の誇る英雄だろう」


アリスの目に涙が浮かんだ。


「私は...単に命令に従うだけの兵士ではなかったの」彼女は震える声で言った。

「あの日、あなたの問いかけが頭から離れなかった。『本当にこれでいいと思っているのか?』と」


リオは暖炉の火を見つめた。炎が揺れ、影が踊る。


「軍事国家のやり方を変えるには、内側から変えるしかなかった」アリスは続けた。

「当時の私には、その選択肢しかなかった。でも...」


彼女は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。外では雪が静かに降り始めていた。


「...それはあなたを傷つけることになった。あなたの夢を、あなたの技術を裏切ることになった」彼女は振り返り、真っすぐにリオを見た。


「本当に、ごめんなさい」



長い沈黙の後、リオはようやく口を開いた。


「父さんはいつも言っていた。『技術そのものに善も悪もない。それをどう使うかが問題だ』とね」彼は静かに言った。「僕は...君を責めることはできない。僕もまた、逃げることを選んだのだから」


彼は立ち上がり、本棚から古いノートを取り出した。


「この十年、僕も黙ってはいなかった」


それは彼が戦時中に設計した数々の装置の青写真だった。避難民用の浄水システム、傷病兵のための義肢、そして—最も重要なページには、新型の民間飛行船の構想図があった。


「戦後の世界をどうするか」リオは静かに言った。

「それを考えていた」


アリスの目が輝いた。「私も同じよ」彼女はリュックから一冊の本を取り出した。


「これは私の提案書。戦後の飛行船技術の平和利用について。上層部にはまだ見せていないけど」


二人は互いの構想を見比べた。驚くほど似ていながら、それぞれの十年間の経験を反映した違いもあった。


「これを実現できれば...」リオが言いかけると、アリスが言葉を継いだ。

「世界は変わる」


窓の外では、アリスの飛行船が雪に覆われ始めていた。


「これから世界をより良くするために、僕にできることはあるだろうか?」

リオは窓の外を見ながら尋ねた。


アリスは微笑んだ。「あるわ。たくさん」

彼女は彼の手を取った。「一緒にやりましょう、リオ」


暖炉の火が二人の影を揺らめかせていた。十年の時を超えて、かつての絆が新たな形で芽生え始めていた。

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