結と紬 お姉ちゃんはツッコミで忙しい

黒川優荷

第1話 お姉ちゃん、冷蔵庫に住む

「お姉ちゃん、私冷蔵庫に住むことにしたから」


朝の光が、トースターより先に焼けそうな私の頭に差し込んできた頃。

そんな寝起きには刺激が強すぎる宣言を、紬――つまり私の妹は、牛乳を手に持ったまま、さらりと投げてよこした。


私はというと、目を瞬かせるしかできなかった。


「なにその、引っ越しましたみたいなノリ。え、なに? バイトか何か?」


「いいえ、移住です」


妹は淡々とそう言って、冷蔵庫の前にしゃがみこむ。

まるで子犬を選ぶかのような目で、冷蔵庫の中を見つめている。


「いやいや、冷蔵庫ってあれだよ? 食べ物の家だよ? 人間の家じゃないよ?」


「つまり、食べ物になればいいのかな」


「なろうとしないで!? もう十分、頭の中は賞味期限切れだから!」


私は急いで冷蔵庫の扉を閉める。が、遅かった。

紬の足が、もう片方、インしていた。


「ちょっと! 入るな! そこ、野菜室だよ!? キャベツしか入れちゃダメなんだよ!?」


「私はキャベツの擬人化だよ」


「今名乗った!? キャラ名出た!?」


冷蔵庫の温度設定は「中」だったが、会話の温度はどう考えても「熱」。

妹の頭の中は「強」だった。冷却機能が欲しいのはこちらの脳だ。


「ブランケット持っていけば平気。あと懐中電灯と、Wi-Fiルーター」


「もう外に部屋借りた方が安いって!」


「冷蔵庫には夢が詰まってるから」


「食材を詰めてよ!!」


反論しても、紬はもう冷蔵庫の内側から世界を見ている。

私は、扉の外から、ぎりぎり常温の現実を噛みしめるしかなかった。


「結」冷蔵庫から妹の声がする。「扉閉めて。電気、消してほしい」

「寝るな! そこ、布団じゃないの!」

「違うよ、お姉ちゃん。ここが、私の新しい“棲み処(すみか)”」

「漢字の選び方だけで文学風になると思うなよ!?」


ため息三杯目。

やれやれと口にする前に、扉を閉じてやった。


静かになったキッチン。

しばらくして、薄闇の中から、ひとこと。


「お姉ちゃん。Wi-Fi、ちょっと弱いかも」


私は叫ぶ。


「もう寝ろーーー!!」


その晩、冷蔵庫の中にはキャベツと、夢想癖のある妹と、やや弱めの電波が詰まっていた。

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