日々のお題SS

かなやさはら

第1話

 お題「昆虫・未来・目立つ」


 うだるように暑い夏のこと。

 僕は変わった黒ずくめの男と出会った。

 それは初めて迎えた大学一年生の夏休みだった。

 ただ都会の喧騒から離れたかった僕は、田舎の祖父母の家に帰省したことを早速後悔していた。

 とにかくこの辺りは田んぼ、田んぼ、田んぼ…恐ろしく何もないのだ。隣の家まで数kmかかるというこの土地は、とにかく緑の荒野が広がっている。

 早朝から田畑に行った祖父母を見送ると、もうすること…というよりやれることなど何もない。夜になって眠りに着くまでの長い時間を潰すために、僕はあてもなく家の周りを散歩していた。

 滝のように流れる汗をぬぐって、土に靴跡を刻みながらひたすら歩く。

 ふと、とうに放棄された路線バスのバス停が目についた。ありあわせの資材で建てられた小屋とベンチ。どこもかしこも赤く錆びついて、時刻表は読めないほどに汚れている。

 その中心に男はいた。

 ……こんなにも暑いというのに、異様なまでに黒い服を着た男が座っている。

 いかにも怪しい。

 それこそ、人間じゃなくて妖怪じゃないかと怪しむくらいには。僕は好奇心に誘われるまま、男の隣に座った。

 しばらく沈黙が続く。

 ミンミンとなく蝉の声がうるさい。どこまでも続く入道雲が空を覆って、ああ夏だな、なんてバカみたいなことを思った。

 ふと男が喋りだした。声は意外なほど若くて、僕と同じくらいかもなんて考える。

「子どもの頃はさぁ、昆虫博士になるのが夢だったんだよね」

「ふぅん」と僕は軽くあいづちを打つ。脈絡のない会話は、妙に現実味がない。

「でも止めちゃった。クラスで『未来の夢』ってお題で発表したらさ、笑われたんだ。あんなに気持ち悪いものが好きなんてヘンだってね。悲しかったよ。それまで宝物みたいにキラキラしていた図鑑も標本も、黒いペンキをぶちまけたみたいに汚れて見えてさ。全部捨てちゃった。今ではなんで虫なんかを好きだったのか、どうしても思い出せない。あんなに気持ち悪いのにね」

 不思議だよねぇ、と男は小首を傾げた。

「……それからかなぁ、目立つのが嫌いになったのは。人から何を言われるかって怖くなってね」

「それでそんな格好してるの」

「え? ああ、そうかもね。けどかえって目立ってるかもしれないな」

「うん、まあわりとね」

「うわ、そっか……どうしよう」

 どうにも本気で悩んでいるらしい男の様子を見て、僕はおかしくなった。どこかズレているのだ、良くも悪くも。

「……ここ、バス来ませんよ」

「え?」

 男は目を白黒させていた。どうやら本気でわかっていなかったらしい。ひとしきり笑うと、俺は立ち上がって手を差し伸べた。

「俺が道案内しますよ、暇なんで」

「いいのかい? そりゃ助かるけど……」

「死にそうなくらい暇なんでね、時間がつぶせればなんでもいいですよ」

「そっか、ならお願いするよ」

 男も立ち上がるのを見て、俺は歩き出した。屋根の外ではまだまだ太陽が灼熱のように輝いている。あまりの眩しさに目を細めながら、俺は道すがらに彼とどんな話をしようかと心を躍らせる。

 きっといい暇つぶしになるだろう。

 いつのまにか俺は微笑んでいた。


 完

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