1×2
秋犬
弟・1
僕に兄さんが出来たのは、小学一年生のときだった。当時小学四年生だった兄さんのランドセルはまだ新品みたいな僕のランドセルよりも使い込まれていて、大人の持ち物のように見えた。
「
父さんはそう言って僕の頭を撫でた。兄さんは僕の家の玄関をぐるりと見渡して、それから僕を見た。僕よりもずっと背が高くて、男らしいと僕は思った。それが兄さんの第一印象であった。
「……
兄さんはぼそりと言って、頭を下げた。これから一緒に暮らすというのに、なんて他人行儀なんだろうというのが僕の兄さんの次の印象だった。僕はひと目見たときから兄さんのことを好きになるとわかったのに、兄さんは僕のことを好きにならないのだろうかと不安ばかりがこみ上げてきた。だから、僕は兄さんのそばになるべくいようと思った。母さんは「緊張しているのよ」と言って、兄さんに優しく話しかける。僕も父さんや母さんにならって、兄さんに優しくしたつもりだった。
次の日、僕は学校の友達に「兄さんが出来た」と誇らしげに話して回った。何故か兄さんは僕と同じ学校には通わなかったので、友達から兄さんについて根掘り葉掘り聞かれることになった。僕は僕の知っていることだけを答えたつもりだった。
「どうして一緒に住むことになったの?」
「今まで別に住んでいたけど、急に一緒に住むことになった」
「どうして一緒の学校じゃないの?」
「試験を受けていないからだって」
「その兄さんはいい人なの?」
「とってもいい人だよ」
ところが、間もなく母さんから「兄さんの話を余所でするな」と怒られた。そして「お前は人の心を知らない情けない奴だ」と言われた。僕は兄さんがただ好きなだけだったのに。落ち込んでいる僕に、兄さんは優しく声をかけてくれた。
「俊ちゃん、ゲームしようか」
「うん、する!」
そうだ、僕は兄さんが欲しかったのだ。ひとりっ子だった僕はクリスマスに兄弟姉妹が欲しいとこっそりサンタに願うくらい、兄弟というものに憧れがあった。だから僕は兄さんが来るということだけを聞いて舞い上がっていた。だから敬意を込めて、僕は兄さんを最初は「お兄ちゃん」と呼ぶことにした。
「お兄ちゃんは止めてよ。誠一でいいよ」
「でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょう?」
「うん、俺は俊ちゃんは弟だと思ってるよ」
兄さんは不思議なことを言った。結局、僕の家族は彼を「誠一くん」と呼ぶことに落ち着いた。兄さんは穏やかで、とても優しい人だった。
そしていつの間にか、彼は僕の家族にするりと溶け込んでいった。母さんは「今夜は誠一くんの好きなものを作りましょう」と言って、兄さんは「やった!」と素直に喜び、父さんは兄さんと一緒にキャッチボールをしていた。そして僕も兄さんとキャッチボールをした。僕はこんな兄さんが欲しかったのだ。
ある日、母さんがこっそり僕のところにやってきた。
「俊ちゃん、あまり誠一くんと遊ばないようにしなさい」
「どうして? 誠一くんと遊ぶのは楽しいよ?」
「俊ちゃんはママの子供だからよ」
そう言って、母さんは僕の前だけで泣いた。でも、母さんはその後何事もなかったかのように振る舞った。当たり前のように兄さんの好物を作り、父さんの肩を揉んでいた。その時、母さんに「人の心がない」と言われたのを思い出した。
兄さんの本当の母親は、交通事故で亡くなった。
兄さんの本当の父親は、僕の父さんだ。
だから、兄さんは父さんと暮らすために僕の家にやってきているはずだった。
幼い僕にはその先が思い描けていなかった。
僕の父さんが本当に愛していたのは、死んでしまった兄さんの母親だった。
僕の父さんは、僕の母さんを本当に愛していなかった。
いろいろな都合が重なって、僕の父さんは母さんと結婚しないといけなかった。
そして僕が生まれても、僕の父さんは兄さんの母さんを愛していた。
ねえ兄さん、僕らはどうして兄弟なんだろうね。
同じ親でなければ、もっと仲良く出来たんだろうか。
それとも全く同じ親だったら、本気で殴り合いの喧嘩も出来たのかな。
『俊ちゃんはママの子供よ』
それから母さんは事あるごとに、僕にこっそりそう囁いた。良家のお嬢様として良家の嫡男に嫁がされた母さん。他に女の影のある父さんから「長男を産めば、それでいいから」と言われた母さん。僕を生んで、必死で育ててくれた母さん。全ての外聞のために兄さんを僕と分け隔てなく育ててみせた母さん。
ごめんなさい、母さん。
僕は兄さんのことが大好きです。兄さんには幸せになってほしいのです。
父さんのことも大好きです。父さんのことも幸せにしたいと思っています。
どうして僕は母さんの息子なんだろうね。
だからもちろん、母さんのことも幸せにしたいと思っています。
ああ兄さん、僕らは一体どうすればよかったんだろうね。
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