彼氏坂

木船田ヒロマル

彼氏坂

鴨坂かもさかシンタロウ‼︎」


 塾からの帰り道、名前を呼ばれた俺は振り返ろうと


 ゴッッッ!!!


 圧倒的打撃を左頬に受けた俺は回避も防御も間に合わず体ごと近くの壁に痛烈に衝突した。


 いや、これはアスファルト……壁じゃない。地面だ。

 俺は殴られ、倒されたのだ。


 視線を襲撃者に向ける。商店街の一本裏道、そのビルの合間からのぞく夕陽を背負って立つシルエットは殴打おうだのモーションから姿勢を正すと左手でセーラー服の肩に掛かったポニテを跳ね上げて背中に回した。


御厨みくりや……」


 口の中に血の味がしさびのような匂いが鼻に抜ける。俺はそれを飲み込んで立ち上がり、通学バックを道端みちばたにすと、と落とした。


わけを聞かせてくれ」

問答無用もんどうむよう

「そうか」


 俺は短く呼吸を整え右足を引いて半身はんみを作ると左手を手刀にぎ右手を拳にむすんで、付き合って二週間の俺の彼女、御厨みくりやヒトミと向き合った。


 御厨みくりや両拳りょうこぶしを体の前に構え、たたん、とその場でステップを切って肩を左右に小さくすった。


 来る。


 彼女は左に回り込むような素振そぶりから一転、体を屈めて突進して来た。速い。猫科ねこか猛獣もうじゅう狩猟しゅりょうの動き。身体のバネとしなやかさを最大に活かした伸び上がるアッパー。半歩下がってそれをかわす。呼吸。御厨が回り込みながら脇腹を狙ったジャブを連発で繰り出す。その手には乗らない。身をり合わせるような接近。体重を預ける鳩尾みぞおちへの肘打ひじうち。俺はそれを組んだ両腕のガードで受ける。


 ドスッ


 鈍い音が辺りに響く。衝撃で景色が大きくぶれ、受けた腕に強いいたみとしびれが走る。受け切ってこの威力‼︎ 俺の背中に冷たい汗がワッといてつたう。


 後ろに一飛び、御厨は間合いを取り直した。


「やるわね」

「そっちこそ」


 正直な気持ちだった。

 御厨に武道の心得はない。完全かんぜん我流がりゅう天性てんせいかん身体能力しんたいのうりょく元々高もともてたか知能ちのうつむだすすアドリブの術理じゅつり。それが彼女の武術だ。

 一方の俺はこの三年間、古武道「夜天やてん光明流こうみょうりゅう」の荒井隆元あらいりゅうげん師範に師事しじし、自らを鍛え上げて来た。中学の時の二の舞を踏まない為に。


 ゆらぁ……


 御厨の動きが変わった。

 俺に対し、体格たいかく筋量きんりょうおとる御厨がボクシングに近いファイトスタイルを取ったのは合理的な判断と言えたが、彼女はそれをいとも簡単に捨てた。思い切りがいい。手強てごわい。


 日本舞踊にほんぶようのような柔らかい足運び。流水の動き。俺の戦いぶりを見た御厨は、本能的に俺にとって組みしにくい戦闘様式に変えた。風にれるやなぎのごとし。これまで組み手した相手の中では泰山太極拳たいざんたいきょくけんの動きに似ていた。俺の周りを時計回りに回る御厨。つい釣られてその場で御厨を正面に捉えたまま回りそうになる。胸の真ん中がゾワッとした次の瞬間、俺の足は彼女に向けて思い切り踏み込んでいた。それはほんの刹那せつな、本当にわずかな差で御厨の機先きせんせいした。両の手が勝手に拳を結び体が横倒しになりながら上下同時に拳打を見舞った。俺は体が勝手に動いたように感じたが、それこそが重ねた研鑽けんさんまさ実戦じっせんでの発露はつろに他ならなかった。

 伝統派空手でんとうはからてでは「山突やまづき」と呼ばれるこの突きは正しいとで打ち込まれれば完全にかわすのは不可能に近い。御厨は上段突きを顔の前で回した掌底しょうていらし、下段は身体をひねってかわそうと動いたが、俺の拳はそれすら追跡して彼女の脇腹わきばらを打った。浅い。彼女の前髪の間から鋭い眼光が俺を射る。何かする気だ。誘い込まれたか。彼女の腕が白蛇はくじゃのように俺の伸び切った右腕に巻き付く。くるりとポニテが回る。強い引き込み。腕が取られる。小さくジャンプした彼女の両足が取られた腕と並行にするると伸びて来る。

 まずい!

 咄嗟とっさに俺もジャンプして、彼女の足と交差するように空中蹴りを放つ。このドロップキックは、身長差もあってカウンター気味に彼女のあごとらえた。クリーンヒット。彼女の足は俺のあごの直前で空を切り、俺は落下する体重を利用して取られかけた腕をふりほどく。

 コマンドサンボに近い動き。まさかグラウンドに持ち込もうとするとは。


 俺たちは二人とも受け身も取れずドウと地面を打って落ち、足をくるりとたたんで素早く起き上がった。いつの間にか日が落ちて路地ろじはビルの影に沈み始めていたが、丁度その時に街路灯がいろとう一斉いっせいが入り、御厨みくりやの頭上からスポットライトのように光の三角錐さんかくすいあごこうぬぐ彼女かのじょらした。


 美しい。


 俺は基本の構えを取り直しながら改めてそう思った。


 俺がこの御厨ヒトミと付き合うのは今回が初めてではない。三年前、中学二年の夏。俺は御厨に告白し、彼女はそれを受け入れた。夏休みから秋口に掛けておよそ一ヵ月。満たされた幸せな時間が続いたが、九月十四日の放課後、俺は彼女に殴られて気を失い、後日一方的に別れを告げられてその関係を失っていた。


 それでも俺は御厨が好きで、やり場のない心を武技ぶぎ研鑽けんさんに燃やし、殴り掛かってくる彼女に対抗できるだけの力を身に付けて、再び彼女に交際を申し込んだ。


 そして今、その力の真価が試される時が来た。


「俺が勝ったら」

 なるべく静かに、だがはっきりと通る声で俺は言った。

「話し合いをさせてくれ」


「いいわ」

 彼女はまた構えを変える。

「戦いの勝者には、それくらいの権利はある」

 それは俺自身を鏡に映しように、俺と全く同じ構えだった。体のしぼり、あしゆび体重たいじゅうける姿すがた、そして呼吸こきゅう拍動はくどうのリズム。

 御厨は俺を、俺という生物の「現在いま」を完全にコピーしていた。


 俺は無心むしんよそおいながら内心舌ないしんしたいていた。

 こんなことが、こんなことができるものなのか……‼︎

 好きだ、御厨ヒトミ。

 俺の彼女は、俺の伴侶はんりょは、俺が一生をげる相手は、お前しかいない。


 鏡に映した自分を見るかのように二人が向き合う。俺はこの場に立っている俺を誇らしく感じ、鍛えてくれた師に、産んでくれた親に感謝した。



 びょう、と重たい風が吹いた。


 目に見えない電光が、二人の間に走った。



 瞬間、二人が選んだのは真っ向の打ち合いだった。技、フェイント、回避の細かな動術どうじゅつと相手のうら歩法ほほう大地だいち反発はんぱつ最大さいだいに得る立法りっぽう。次々と全てを賭けた最高の技を出し合う。勝負手しょうぶてのギリギリの応酬おうしゅうの中で、俺は不思議な感覚におちいった。

 互いに必殺の一撃をし、また相手のそれを紙一重でかわしながら、俺は彼女と一つの舞を舞っているかのような感覚に戸惑とまどっていた。

 一瞬でも早くこの熾烈しれつの闘争状態に決着を付けたいと願いながら、同時に一瞬でも長く彼女とのこの一時を共有していたいと心から願った。

 不思議と、彼女も同じなのだと分かった。

 彼女もまた、この時間を貴重なものと感じ、その永続を願っているのだと。


 二人の心が完全に同調し通じあった瞬間、俺の二つのたなごころはピタリ、と彼女の両の鎖骨さこつに吸い付いた。


 どうっ


 終わりは唐突とうとつおとずれた。

 体重が十全じゅうぜんった渾身こんしん掌打しょうだは、御厨を四メートル吹き飛ばし、地面を転がった彼女はガードレールの支柱にぶつかって止まった。


「訳を」

 荒れた息遣いきづかいの間をって俺は質問する。

「訳を聞かせてくれ」

 御厨は仰向けになり、乱れた息の間に答えた。

「日曜日、女と雑貨屋に居たでしょ」

 彼女は一度目を閉じて、かっ、と開いた。

「浮気は許さない」

「姉だ」

 俺はスマホを出し、年始に撮った家族写真を表示して、倒れたままの彼女の目線の先に示した。

「この女だろ。姉のユキノだ。彼氏のプレゼント選びに付き合った」


「ごめんなさい」

 御厨は本当に申し訳なさそうに謝罪した。

「私、そそっかしくて」

「いいさ」

 疲れ切った俺はどすん、と彼女の隣に座った。

「誤解が解けたなら」


 そうとも。俺はそそっかしく、思い込みが激しく、そして強い御厨が好きだ。

 中学の時の二の舞は踏まないと俺は言ったが、俺は再び、まんまと御厨ヒトミを好きになっていた。

 彼女に会う度に、俺は何度でも恋に落ちる。

 彼女は今後も、誤解をしては俺に襲いかかってくるだろう。だが、そのたびに俺は彼女を上回って、その誤解を解いて見せる。


 俺はまだ登り始めたばかりだ。

 長く険しい、御厨ヒトミの彼氏坂を──。


*** 了 ***

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彼氏坂 木船田ヒロマル @hiromaru712

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