人の忌む神、神を愛す人

風鈴はなび

人の忌む神、神を愛す人

とある時代のとある場所に小さな小さな村があった。

豊穣の神を奉り細々と生きていた村があった。

しかしその村はたった一夜にして消えたという。

神の怒りを買ったのか、神が気まぐれで消したのか…それとも人がそれを望んだのか…それは誰にもわからない。

語り継ぐ者も無く、記す者も無く、されど確かに残っている…神様と人の物語​────





「どこからだ…?」

真っ暗な夜の山道は死すら肌に触れるほど不気味で恐ろしい。

しかし探さずにはいられない…確かにどこがで助けを求める女性の声が聞こえたのだから。


「…ん?神社…か…?」

木々をかき分けて進んでいくと、そこには今にも崩れてしまいそうなほど古ぼけた神社のようなものがあった。

鳥居は既に朽ち果てており、草木は自由に伸びている。

もしかしたらこの先の本殿にいるかもしれないし、とにかく入ってみなければ。


「誰かいますか…?」

軋む木の階段を登り、その先にある扉を開けるとそこには一人の女性が横たわっていた。

その女性は弱々しく、目線を外せばその間に死んでしまいそうなほど衰弱している。


「大丈夫ですか…?!」


「……ぁ…み…ず…」


「水ですね…!えっと…確か…あった!飲ませますからそのままで…!」

女性の傍に近づいて頭を腕で軽く上げ、瓢箪の飲み口を彼女の口につけて少量ずつ水を与える。

これでだけでは足りまいと飲ませながら思考を巡らせる。

今持っているものにこの人が食べられそうなものがあってくれと神に願う。

そうしているとその女性はみるみるうちに回復していく。


「あれ…え…どうして…」


「助かった…ついには死すら見据えていたが…感謝するぞ人よ。お前の神に願う気持ちが曲がりなりにも届いたおかげで救われた」


「んん…?」


「動揺するのも無理はないか…どれ少し顔を上げろ…よしいくぞ…」

そう言うとその人は額を僕の額にくっつける。

その瞬間に水を吸った和紙の如く、その人の諸々が頭の中に染み込んでいく。


「…雨豊神あまゆたかのかみ


「理解したか?私の全てを」


「貴女は…」


「言うな人よ、人とはそう言うものなのだ。永遠に値する時を生きればこういう事も起こり得る」

…彼女はそう言うが僕にはわからない。

もっと怒っていいはずだ、もっと悲しんでいいはずだ、それすら許されないのなら神とは人より不自由ではないか。


「ん…どうした?急に立ち上がっ…わぷっ…!」


「…貴女が神だと信じます…それを承知で言わせてください…頑張ったんですね…一人でずっと…」

神に対して人の身で、頑張ったなどと不敬もいい所だがそう伝えずにはいられない。

気まぐれに崇められ、気まぐれに貶され、それでも人の世を見限らず見守り続けたこのかみを抱きしめずにはいられなかった。


「私は……ただ神として…責務を…」


「神とか人とかじゃありません、頑張ったのなら褒められるべきなんです。貶されたのなら怒るべきなんです」


「私……は……」


「怒りも悲しみも感じることが出来ないと言うなら僕が代わりに怒りましょう、僕が隣で泣きましょう。ここまで本当によく頑張りましたね…」

誰からも褒められることもなく、誰にも怒りをぶつけることもなく、感情を押し殺すなんてたとえそれが神であろうとあってはいけない。


「こ…んなの…なんで…まえが…」


「良かった…まだ貴女は涙を流せる。貴女の心はまだ死んでなんかいない」


「あ…あぁ……」

きっとその涙には色々なものが混じっているのだろう…悲しみ喜び怒り…それでいいんだ、それすら出来なくなってしまったら、どうして生きていられよう。


「よく頑張りましたね…だから今だけは神としてではなく一人の人として泣いていいんですよ…」

降り出した雨の音にかき消されてしまうような泣き声でも確かに僕には届いている。

"泣く"という行為は人にとっての最終の砦、"自分だけは自分を許してあげている"という精神の保持である。


「あぁ本当によく耐え抜いた…貴女は本当に凄い人ですよ…」

雨は降り止みそうもない、今はただこの雨を受け止めていよう。

独善的な優しさだろうと構わない、一度でも母と重ねた面影を振り払うことは簡単では無いのだ。

シトシトと振り続ける雨の中、その雨が止むまで僕が村へと帰ることはなかった。




「人よ…昨晩は恥ずかしい所を見せてしまったな…申し訳ない…」


「いいんですよ、僕がそうしたいと思ってそうしてただけなので」

雨の匂いが鼻を撫で、崩れた屋根から差し込んだ朝日が床をやたらめったらと照らしている。

彼女は雨豊神、名は天鳳てんほうと言うらしい。

僕の住む村が豊作になったことから信仰され、その豊作が終わった途端に"要らぬ"と棄てられた哀れな神、と彼女は言う。


「それにしてもあの村に住み、なおも私を憎んでいないとは不思議な者だな」


「僕が直接被害を食らったわけじゃないですからね…それに見せてもらった記憶ではとても悪い神様には見えませんでしたから」


「信仰を受けずにはや三百年余り…もはやここで終わりかと思っていたが…いやはや感謝しかない」

どうやら神と呼ばれる者は人からの信仰を自らの存在だと定義しているらしく、その信仰が無くなるとそれは死を意味するという。


「村の人達は酷いです…恵みなんていつか終わるものなのに…」


「いいのだ、人とは愚かで傲慢だが…それは決して神が人を憎み呪う理由にはならない。神とは人の上に有るモノ、人を図るのはあくまでも功罪だ。そこに私情は挟めない」


「でも…それじゃああまりにも貴女が可哀想だ…」

どれほど自分が悪いのだと蔑まれてもそれを受け入れ無ければいけないなんて酷すぎる。

畏れ敬う事も忘れ、いつしかそれを怒りにすげ替える…人とはなんて愚かなんだろうか。


「優しいのだな…私にはその優しさがあれば十分だとも」


「優しいのは貴女の方だ…その優しさがきっと貴女の知らぬ間に貴女自身を縛っている…」


「私とて人を憎んでいないとは言わない。けれど人とは愛すものだ、無償の愛を与えるものなのだ」

そう言った彼女の顔はなんとも寂しそうなものだった。

彼女がその気になれば村一つなぞ一夜を越す前に滅ぼせるだろうに…


「…?すみません少し席を外します」


「あぁわかった」

軋む床に足で踏み込み立ち上がる。

どこからか声が聞こえてきたので周りを見に行こう。

鳥居を潜り辺りを見渡すとそこには村の人が居た。

何か話してるみたいだがどうにも遠くて聞き取りにくい。

伸びきった草をかき分けて少し近づいてみる。


「何話してるんだろ…」

聞き耳を立てていると話し声が聞こえてきた。


「…ったく神様もひでぇよなぁ。向こう百年は安泰だなんて言われた豊穣を取り上げるなんてよぉ?」


「昔話だろうがよ。でもまぁ役立たずには変わりねぇかね」


「そりゃ違ぇねぇ」


「………」


「んぁ?なんか音したか?」


「どうせ鹿かなんかだろ?この辺りに来るやつなんざいねぇって」


「………」

あぁ…クッソ…最悪な気分だ。

口の中に血が滲む、鉄の味がじんわりと口腔を支配していく。

飲み込むに飲み込めない血を吐き捨てて、我が家へと向かう。

人として、生物として、いやそれ以前のものとして分かりきっている禁忌を解こう。

知るものか、理解したくもない、僕の悪が誰かを救うならそれはきっと良い事だ。

だってあの時もそうだったじゃないか。




「全く遅い…少し出ると言って何時間だ…?」


「…おまたせしました」


「遅いぞ人よ…神を待たせるなぞいい度胸だな?喰ろうてやろ……う……か…」


「はぁ…はぁ…」


「お前…その両の手に掴んでいるのは…」


「はぁ…ふぅ…これですか?天鳳さんの事を悪く言ってた人がいたので殺してきました」

全くもって大変だった。

人を殺すのはこれで二度目だがどうにもまだ血の温かさにはなれない。

特に首を断ち切るのは初めてだったから苦労した。


「あぁ…すまない…すまない…!私のせいだ…私のせいで…!」


「どうしたんですか?天鳳さんが謝ることなんて一つも…っと」

それは痛いほどの抱擁だった。

苦しいほどに弱々しく僕は彼女に抱きしめられる。


「私の記憶を見せた時…お前の記憶を見た…その時に気づくべきだった…私のせいで…お前に取り返しのつかない事を…!」


「あれ?なんでないてるんだ?べつにかなしくなんか…」

頬を伝うこれはなんだろうか?

僕にはわからない、でも何故かそれは懐かしい気がした。


「お前に…私はなんて事をさせてしまったんだ…!私が…!」

豊穣を願うために母が贄にされる時、母は村長の家に連れていかれた。

幼心ながら母を連れ戻しにいこうとすると、そこには思い出したくもない母の姿があった。

母が家に帰ってきたのは昼前だった。

母泣いていた、死にたいと言いながら腹を引っ掻いて泣いていた。


「…神などと囃し立てられ…私のどこが神なのだ…!人の子一人救えずそれどころか狂わせてしまった私の…どこが!!」

僕は願いを叶えてあげた、苦しそうに泣く母の姿を見たくなかったからだ。

最後、母は僕の頬を撫でながら"ありがとう"と言って動かなくなった。


「何が雨豊神だ…何が天を染める鳳だ…私なぞ…ただの厄神ではないか…」

その時から正常な思考など辞めていた、真っ当に生きることなど投げ捨てた。

ただひたすらに可哀想だと思った人を助けた、その苦しみが少しでも和らげばと人と関わった。

彼女と出会ったのもただの自己満足でしかない。


「許されないとも…お前は人を殺したのだ…でもこんなにも優しく悲しい人殺しを私は知らない…ここまで無垢な殺人を私は知らない…」


「地獄行き…ですね」


「そうだな…きっと地獄で苦しむ事になる…でも私もお前と共にいよう。罪と罰も共に受ける…それが私に出来る償いだ…」


「やっぱり貴女は優しいんですね…」

わからない、僕は人とは何かが違う。

でも彼女が優しい人だということはよくわかる。

彼女がどこまでも人の事を愛しているというのがわかる。

愛とはきっとこういうことを言うのだろう。




「憎悪…か…私も確かにあったとも。人が憎いと思う事もあったが"ここまでの事"をする気はなかった」


「"僕だけの神様になってください"…今思い返すと少し恥ずかしいですね」


「今更照れるでない…全く…あんなに乱暴にしよって…言っておくが人の子なぞ孕めるかどうかわからないからな?」


「その時は2人で静かに暮らしましょう。どこか遠い遠い山の奥で、死ぬまで二人一緒に」


「…あぁそうだな。それはなんとも楽しそうだ」

そう言うと彼女は火の粉の付いた木の葉をふ〜っ…と吹いて散らす。

すると見下ろしていた村が綺麗な炎を夜空に映す。

家も土地も人も何もかもが燃えていく。


「…綺麗な炎」


「これで私もお前と共に地獄に行ける」


「…天鳳さん?お前じゃないですよね?」


「あぁそうか…すまないな望羽もうは。さてこれからどこに行こうか」


「それは…今はまだわかりません。…でも二人なら何処へだって行けますよ」


「それもそうか…末席の神だがよろしく頼むぞ?神を愛した愚か者よ」


「えぇこちらこそよろしくお願いします。人に忌まれた僕だけの神様」

煌々と夜空を侵す炎を横目にそんなものよりも熱い口付けを交わし合う。

罪と罰も受け入れるとも、地獄の業火にも喜んで飛び込もう。

だから…どうか僕らの生きている瞬きのような時間の間だけは…罪も罰も忘れるほど幸せで居させてください。





これはとある時代のとある場所にあった小さな小さな二人しか知らない物語。

これから二人はどうするのか、この二人は幸せに生きていけるのか…それ知る者はいない。

なぜならこれは…

誰にも語り継がず、どこに記される事も無く、されど確かに刻まれた…かみさまひと泡沫之夢ものがたり​─────

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