凍てつく冬、そして身バレ。
……新石器時代の冬、寒すぎるだろ!
いや、ここでは日本の冬のように、雪が降ったり川が凍ったり、という程の冷え込みはしないのだけど、何しろ着る物が無い。ユニクロのダウンウェアやセーターとかあればこの程度の寒さなんて全く気にならないだろうが、そんなものは一切無い。
何しろ、冷気がそのまま、肌に突き刺さってくるんだ。寒風でも吹こうものなら、絹を裂くような甲高い悲鳴を上げてしまいそうだ。
しかし集落のみんなは冬が訪れる前に、毛皮をなめしポンチョのように仕立てておいたものを今は羽織っているので、俺のようにブルブルと震える姿を見ることはない。
新石器時代が初めての俺は全くそんなことまで思い至ってなく、だから準備も全くしていなかった。彼らの姿を見てちょっと泣きそうになったのだがありがたいことに、ニスヤラブタのママが俺たちの分も作ってくれていた。彼女の実家に帰った際、「お前たち、着ろ」と、二着のポンチョを渡してくれたんだ。
持つべきものは肉親だなあ……と、毛皮のポンチョを羽織ってしみじみと思う。
今度はママの
で、それはそれとして。
結局、俺はまた
やはり、ソガの存在についてだろうな、と俺は思っていた。
─────
その日、毎度同じく集落の一人が俺の家へ「
しかし、いつもと違い、今日はナシャムカがいないことに気付いた。
焚火の前には、長老しか座っていない。
「そこに座れ」
長老はいつもの通り、刺すように鋭い眼光で俺を見つめながら、自身と相対する位置にある毛皮を指し示す。俺はそこで静かにあぐらをかき、長老の言葉を待つ。
いつもの通り、寡黙な時間が流れる。この時代の人特有の、モノを云わず相手をじっと観察する時間だ。野生動物が、俺たちをじっと観察するのと同じだと思えばいい。そうやって、相手を"読む"んだ。
しかし長老の表情は、いつもとは少し違うようにも感じた。
今までの呼び出しとは違い、俺を詰問したり𠮟責しようという意思を感じられない。それよりも、何というか……
「……アダブール
いや……アダブールの中にいる者よ」
おもむろに、口を開いた長老が発したその言葉に、俺は飛び上がるほどびっくりした。今日の話題が俺のこと(つまり転生した俺のこと)だなんて、全くの予想外だ。
俺は、内心の動揺をかろうじて抑えながら、ワケがわからない風を装う。
「
「精霊が、ヒトの身体に宿るわけがない
お前、誰だ?」
俺の意志を全く無視するかのように、長老は重ねて断言する。
基本、他の人よりも遥かに思慮深く知性の高い長老であれば、俺は精霊だ、などという言い訳がいつまでも通じるわけはないと思っていたけど、ここまで確信を抱いているとは……
……というか、ちょっと待て。
それ、前に自分が云ったことと、違うやん!
「
俺の指摘に、長老は小さなため息を返した。
「悪霊は、人に乗り移り、悪事を行う、
しかし精霊は人の善き行動に、恵みを与えるだけ、
お前、
精霊、そんなことは教えない」
確かに、それらは精霊に教わったのではなくて、現代社会の知識を元に作ったんだけど……ならなぜ、俺の嘘に話を合わせるようなことを?
長老はさらに言葉を重ねた。
「ナシャムカ、いまウル・バザンに行っている、集落にいない
だから、お前とは、今しか話せない……誰だ、お前は?」
長老は改めて、ものすごい眼力で俺を睨みつける……もう、ヘタな嘘は通用しない感じ。怖いよね、この時代の人(少なくともこの人)は、言葉ではなく顔の筋肉の動き、視線の動き、息遣い、その他もろもろの肉体言語から、相手の意志を読み取るんだ。
「……どう云うか、難しい」
しばし戸惑った末に俺はついに、覚悟を決めてそう呟いた。敗北宣言だ。
長老はそれには応えない。
「俺の中、アダブール違う、遠い遠い、もっと遠い場所から来た」
「……」
「暑くなって、寒くなる、それを何度も、何度も何度も何度も何度も、
それでもそこには、辿り着けない、遠い場所だ」
「…………」
「……俺、集落から、追い出すか?」
俺が異質な存在であることがバレた場合、そうされるだろな、と思っていたことを長老に尋ねる。しかし、長老はそれには答えなかった。
「お前の言葉、喋ってみろ」
「……俺の、言葉?」
「そうだ、
……つまり、日本語を喋れ、ってことか?
単語を喋るのもかなり苦心してのそれなので、日本語をいま、即興で喋れ、と云われても……
「……難しい」
「云え」
長老の、有無を云わせない圧。
わかりました。喋ってみますよ……
「……
西暦2025年から転生してきた者です、と苦心しながら云ってみたが、云った本人ですら全く理解できない発音になった。当然長老は理解できまい。しかし、彼は随分と愉快に感じたらしい。もっと喋れ、と俺をけしかける。
俺は苦笑いをしながら、さらに喋り続けた。
「
「ふむ」
「
「ふむ」
「
「ふむ」
「……
最後は、俺が何言ってるかわからんやろ、という意味のことを喋ってみた。
もしかして、と思ったがさすがの長老も、理解できなかったようだ。
長いあごひげを撫でながら、思案顔になっている。
……長老は、俺をどうするんだろうか。
俺は、日本にいた頃にネットで読んだことのある、ある地域の原住民が部外者と接した場合の出来事を思い出す。確か、インド洋の島に棲む未開民族だ。彼らは、2025年時点でも外部との接触を拒絶している。何者かが島に上陸をしようものなら槍や弓で威嚇し、或いは実際にそれを用いて殺害する。
未開民族まで紐解かなくとも、日本人だって過疎地域やそれに類する田舎では、余所者に対しては基本、強く警戒をする。いや、町に住む俺たちだって、隣に見知らぬ人物が引っ越して来たら一応、警戒するだろう?
だから、長老が俺に対し、警戒をするのは至極当然で、問題はその先、果たして俺を排除するだろうか、というところだ。
あごひげを撫でていた手をふと止め、長老は言葉を発した。
「……
「……はい」
「……腰が、痛い」
天井を仰ぎながら、まるで独り言のようにそう呟く長老。
まあ見るからに随分とお年を召されている方だ、そりゃ腰も痛くなろうというものだけど、それはいま何か関係ある話なんだろうか?
「
じきに死ぬ、そして死の世界へ逝く、
それはかまわん、それがあるべき姿……」
「……ただ、それまでずっと、腰が痛いのは困る、
わかるな?」
云うべき言葉も見つからず、俺が寡黙に耐えていると、長老は天を仰いだまま、見下すように視線を下ろして俺を見る。しかし、その瞳には先ほどまでの"鋭さ"が薄れているのに俺は気付いた。
「何とか……ならんか?」
「えっと……腰の痛み、何とかしたいか?」
「そうだ、何とかしたい」
腰痛を、何とかしたい、だって?
そんな無茶な……!
現代だって、老人の腰痛は完治が困難だし、治療するにも時間がかかる。
俺が以前、仕事で肩を痛めた時には温熱治療器をあてて痛みを緩和したけど、そんなモン存在しないし作るのだって不可能だ、まず発電所から作り始めないと!
手軽なものなら湿布薬だが、当然薬が存在しない。いや、"奴"が埋めた知識から薬草を探して、それを用いるくらいならできそうだが……あと、この時代でもできそうなものなら、運動療法ってやつか?マッサージもできるな、ただ効果あるかどうかわからんけど。
後は……あとは……
長老の要望を聞いて、俺がしばらくひとりでうんうんと唸っていると「できんのか」と、長老は俺に云い放った。
なんだ、こんなことも無理なのか、役立たずめ。
そういう、含意のある響きをその言葉に感じた俺は、ちょっとイラつく。
「……考えている」
「そうか、できるか」
「いや、まだ、わからない……」
「なんだ、やはり、できんのか」
……何だァ?
挑発してんのかァ?
俺は、上目遣いで長老の顔を見る。
そこには、侮蔑の意志をありありと感じる、皴まみれの長老の顔があった。
先日、この時代の住居の、意外な合理性に少し敗北感を覚えていた俺は、長老のその挑発にまんまと乗ってしまう。俺は口を尖らせながらついうっかりと、「できる、やってみせる」と云ってしまった。にんまりと笑う、長老。
「ほう、やるか」
「……でも、すぐは無理」
「よい、急ぎはしない」
「あと、集落のみんな、手伝い、いるかも……」
「その時は、
長老は頷きながら、満足げな笑顔を浮かべた。「楽しみだ、アダブールの中の者よ」と、脅しの言葉も添えて。
くそっ、これ長老にこき使われるフラグじゃないのか。現代社会でも社畜として汲々と働いたのに、原始時代でも原始人に馬車馬の如く使われるのかよ。ちょっと泣けてきたぞ。
俺は、ダークモードな表情を湛えたまま、重い足取りで長老の家を後にした。
俺が異次元の知識を持つ存在だということを薄々気付いた長老がこの先、どんな無理難題を俺に出してくることやら。その度に俺は、知恵を振り絞って長老に尽くすしかないわけだ。そんな面倒な状況、願い下げだ。
しかし、今から夏になるなら、ニスヤラブタと二人で駆け落ちしてしまう手もあるが、冬に駆け落ちすれば絶対に飢えて死ぬ。
結局、長老の腰痛を、何とかするしかないのか……
─────
それから脳内の知識を総動員した俺は、ひとつ手があるのに気が付いた。
石焼き風呂だ。
焼いた石で風呂釜の水を温める、原始的な手法のお風呂だ。
俺たち日本人は日常的に湯船につかるが、この時代の人々はそもそも、湯が無い。この近くには温泉もなさそうだし、だから湯船に浸かるという発想そのものが無いんだ。
で、今の状況ではまともに使える湯船を作るのは不可能だけど、地面に穴を掘り壁面を粘土で固めて表面を焼き、簡易的な風呂釜を作ることは何とかできそうだ。そして、風呂釜と水面が繋がっている、焼き石を入れるための場所を別に作り、そこにカンカンに焼いた石を入れる。温まった水が風呂釜にも移り、お風呂ができるという塩梅だ。
これから冬になる。寒い季節に温かいお風呂……最高じゃないか……!
腰痛にもきっと効くだろう。いや、長老関係なしに俺が入りたいよ、お風呂。
こっちに転生させられて以来、ずっとノン風呂だ。きっと、入ったら感動して泣いてしまうんじゃないか。
「な?お前も、
「アダブール、また、意味わからないこと……」
そして善は急げとばかりに、俺はさっそくガバルシャをフロ作りの仲間に引き入れるべく、彼の家にお邪魔していたのだった。
長老との話は伏せつつ、
彼らも水浴び自体はするので、湯に浸かるという行動自体は理解できるものの、それがキモチイイというのはいまいち想像できないらしい。
細かく云えば、湯に浸かれば身体についた水溶性の汚れや皮脂が簡単に落ちるので清潔になるし、血行が促進されリラックスもできる。お風呂はいいことだらけなのだが例によってそれを説明する語彙が無いのでもどかしい。
「
嘘じゃない!手伝え!」
「お前、嘘は云わない、信じるけど……」
俺がガバルシャを必死に説得している様子に、傍から見ていたネイマーが興味を示したらしく、会話に割り込んでくる。
「アダブール、それ、作るの、大変か?」
「……大変だ、たくさん、日が昇り、落ちる」
「もっと、すぐできる、無理か?」
「すぐできる……」
風呂の、すぐできるの、と云われて思いつくのはシャワーだけど……
まず、シャワーヘッドが作れないよな。頭上の高い位置にタンクを作り、そこにお湯を溜める仕組みも難しい。いや、よく考えたらシャワーって産業革命以降の発明品じゃね?風呂を作る方がまだ簡単なはずだ。
要は、風呂釜を作るのが時間がかかるんだよな……
確かに、今すぐ作り始めても、完成には1か月以上はかかるだろう。
それまで、長老が待ってくれるかどうか。
ガバルシャのぐうたら病が発生しないか。
こりゃ、風呂自体をあきらめた方がいいかもしれない……
長老の腰痛は、素直に薬草頼りで対処しようか……
(……お困りのようだね?)
─────
突然、"奴"の声が脳内に響いたので、俺はびっくり仰天して飛び上がった。
ガバルシャとネイマーは、俺の挙動を不審そうに見る。
馬鹿野郎、いきなり話しかけてくるな!
(いやね、君、長老?ってのに接してるのかな?
ちょっと介入が必要かな、と思ってね)
"奴"はこちらの状況にお構いなしで脳内で話し始める。
俺はあたふたと、二人にまた来ると云ってガバルシャの家を飛び出た。
集落の外れの自宅へ戻りながら、俺は脳内で"奴"を怒鳴りつける。
真剣に考えてる最中だったんだから邪魔をするなよ!
ていうか介入しない方針だったんじゃないのか!
(君の脳内の情報にしかアクセスできないから、
詳しいことはよくわからないんだけど……長老に、バレたって?)
ああ、俺がこの肉体を乗っ取っていることに気付いたっぽい。
でも排除はせず、当面は俺をこき使うつもりのようだ。
とりあえず、腰痛を何とかしろ、って。
(腰痛?なるほど、老人ならではの切実な願いだね、
でも、君の存在がバレるとは、完全に想定外だな)
俺もビックリだよ、だって精霊を信じてるわ科学技術も知らないわの、まるっきり石器時代の人間が、別人格が乗り移ったのに気付くなんてな。この時代の人間を侮り過ぎてた。少なくともあの長老は、ものすごい切れ者っぽいな。
(それは僕も同じだ、ヒトの脳についての認識を少し改めることにしたよ、
予想以上に、当初から脳の基本スペックが高い……
淘汰圧だけで、これほどのスペックが構築されるものかな?)
さあ、それは知らね。
ていうか、介入って云ってたが、一体何をするんだよ。
(ああ、そこはあまり気にしないで、
こんな感じで僕が、ちょいちょいおじゃますると思えばいい)
今度からは、おじゃまする時は「もしもし?」とか声をかけてくれ。
トイレに入ってて、いきなりドアが開いたらびっくりするだろ?
普通は、開ける前にドアをノックするのが礼儀だ。
(ノックね、なるほど、
今度からはノックするようにしよう……ところで、だ)
何だ?
なんか、あんまり聞きたくないんだが?
(長老のことだよ、温泉を探す方が早いんじゃない?)
温泉?
ああ、確かに実際あればそうだろうが、この近くにそんなもんが……
(レヴァント地方には昔から、温泉があったはずだよ)
え?何だって?レヴァント?
ここ、レヴァント地方っていうのか?
一体どこだよ?
(ああそうか、地図とかGPSとか、そういえば無かったね、
君が今いる地域はレヴァント地方、
君がいた時代では、シリアやヨルダンの辺りの場所だ)
"奴"にそう云われた瞬間、俺は記憶からその情報を引き出す。
レヴァント地方は中東の、アラビア半島の北端に位置する地域だ。
今はパレスチナとイスラエルが血みどろの紛争を繰り広げている、あのあたりだ。
はあ、今のでやっと、地球上の自分の居場所がわかった。
そして、ここが日本である可能性をほんの少しだけ信じていたけど、それも完全に打ち砕かれた。アラブか……なるほどだ。
(なんでそんなに日本に執着するの?
わけがわからないよ)
日本が無くなっている時代のお前にはわからないだろうがね、ほんとにいい国なんだよ、いや、だったんだ。ここに来て心底、そう思うようになったよ。
まあいいや、そんで、温泉か……
(レヴァント地方の火山の近くを探せば、たぶん温泉が見つかるよ)
またお前、気楽に云ってくれるけど、この時代って車も飛行機も無いんだけど?
馬車すら無いしそもそも、誰も馬を飼ってないんだよ。
わかる?徒歩でも時速3km、荒野なら一時間で1kmも歩けない。
火山がここからどれくらいの距離にあるのか知らないけど、5km以上離れているなら、そこまで行くのは無理、無茶、無謀。温泉に入るために何日も、いや一週間、或いは二週間も歩いて旅するとか、あまりに非現実的すぎるわ。
(いや、昔の人はそうしてたはずだけど?)
はっはっは。お風呂に入るために何日も旅をするの?
何を馬鹿なことを。
(えー、びっくりだよ、そんなことも知らないのか?
湯治、って聞いたことあるだろう?
昔の人は、温泉に入るために旅をしていたぞ?)
そう云われて俺は、江戸時代にもそういった文化があったことを思い出す。
それよりもっと古い時代にも、天皇が湯治をした記録があったはずだ。
いや現代の俺たちだって、遠方の温泉を訪ねて湯に浸かるじゃないか。
そうだ、治療目的の湯治って、あったよな確かに。
いや、でもそれって、インフラがある程度整った環境でないと、無理じゃないか?
今って石畳すらない、吹き曝しの野原や山河に囲まれているんだぞ?
(まあそうだね、移動は相当に困難だよね、
でも君、森の民を知ってるだろう?
山の近くに住む彼らなら、温泉みたいなもの、知っているんじゃない?)
……ウル・バザンか?
確かに彼らなら、山のどこにどういうものがあるかについては、俺たちより詳しいはずだ。以前、狩りで対立した時に殴り合いをした……えっと、バシュタだっけか、あいつに聞けばもしかすると、温泉の場所もわかるかもしれない。
ひとりで何ヶ月も、レヴァント地方をあちこち探し回るよりは、まだマシか……
しかしウル・バザン、俺を受け入れてくれるかなあ……
(そこの判断は君に任せるよ、
でも君ら日本人って、お風呂が好きなんだっけ?
温泉を発見できたら、さぞかし嬉しいだろうなあ……)
……もしかして、お前が云う"干渉"って、そういう意味か?
くっそ、確かにその通りだよ、お風呂に入りたくてしようがねえよ!
いいさ、お前の"干渉"に従ってやるよ!
(ははは、別にそういう意味じゃないけどね……
じゃあ、温泉探し、がんばってみてね)
月代に映ゆ穂、波打ち海原に。 長生明利 @torasuti
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