第5話 決心

 夜、二人は風が抜ける音だけが響く、朽ちかけた木造の廃屋にたどり着いた。

 壁には隙間が多く、雨風をしのぐだけで精一杯だった。

 ロイは焚き火の火の残りをかき集め、微かな熱を確かめる。

 やがてロイが、ふいに口を開く。

「さっきは怒鳴ろうとしてごめん……」

 ファウナがそっと顔を上げる。

「いえ、いいんです」

 一寸沈黙が続き、

「……なぁ、聞いてもいいか」

 ロイの顔を見るファウナ。

「どうして、追われてたんだ?」

 ファウナは少しだけ視線を落とす。

「……それは……」

 言いかけて、言葉を飲み込む。

 ロイは焚き火の小枝を一つ火にくべながら、言った。

「……言いづらいなら、言わなくていいさ」

 ファウナはハッとしたようにロイを見る。

 その目には、少しの驚きと、微かな安心があった。

「俺も言えないこと、山ほどあるから」

 ロイはそう言って、ニコッと笑った。

 ファウナの警戒と不安が少しだけほぐれる。胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなるのを感じた。

 そうしてまた火を見つめる二人だった。


 夜明け前、天井に走る亀裂から、冷えた風邪が忍び込む。

 ロイは仰向けで微かな音に耳を傾けていた。ファウナが隅で静かに眠っている。

 焚き火の赤い残り火が壁に揺らめく影を落としていた。

「……?」

 小さく、ザリ……ザリ……と何かがすれる音が聞こえた。最初は風のせいかと思った。けれど、違う。

 その音は、地面から這い上がってくるような音だった。

 ロイは上体を起こすと、辺りを見まわした。すると不可解な光景を目にする。

 床の板の一枚が崩れていた。

 いや、ただの腐敗や劣化じゃない。そこにあったはずの木材が、パラパラと粒状の「砂」 になっている。

「……なんだ?」

 次に天井の端がバサっと音を立てて崩れた。

 乾いた土煙が舞い上がり、ファウナが飛び起きる。

「ロイさん!」

 立ち上がったロイの足元が、音を立てて崩れていく。

 まるで、家全体が砂に食われていくように。

 床板が割れ、壁がざらざらと音を立てて剥がれ落ちる。

「一体……何が起こってるんだ!」

 驚愕と困惑の混じった声が、崩れかけた天井に反響する。

 ファウナは両手を胸元で握りしめ、うつむく。その方が僅かに震えている。

「……ごめんなさい」

 かすれた、今にも消えそうな声だった。

「ファウナ!こっちだ!逃げるぞ!」

 ロイはファウナの手を取って急いでその廃屋から這い出た。ファウナの顔は浮かなかった。

 と同時に、柱の一つが完全に崩れ落ちる。

 廃屋の全てが、雪崩のように、崩壊する音と共に沈んだ。

「なんなんだよ……これ……」

 その粉塵がまだ収まらない中で、重く乾いた足音が、外から近づいてきた。

 ロイが振り返る。ファウナを守るように手を伸ばして。

 ファウナが音に反応して顔を上げる。

 土煙の向こうから現れた男――

 身軽な旅装に近い布地の戦闘服を着ていた。

 胸元は高く閉じられ、腹部には補強されたレザーガード。両腕は露出しており、手首から肘まで薄手の包帯が巻かれている。

 灰焔騎士団の者であるには間違いないが、腰には剣もなく、背には盾もなかった。

 廃屋の倒壊の音を聞いて、徐々に人だかりの輪が広がっていく。

 騎士団の男が口を開く。

「それがその女の呪い、周囲の物体を砂に帰す。その侵食は止まる事を知らず、この世界を砂漠にしちまう恐ろしい呪いだ」

 民衆の騒めきが次第に恐怖へと変わっていく。

 ロイはただ、ファウナを見た。

 彼女は――俯いていた。

 その肩が小さく震えているのが、分かった。

 否定も、反論もしない。

 まるで、その罪を受け入れることに慣れているかのように。

「なぁ、鬼呪持ち。お前とその女はなんの関係もないんだろ?じゃあどうして守る?なにか個人的な感情でも?その女は生きてるだけで罪なんだ。もう何万人もの人を殺してる。なのに、逃げる事を辞めない。そういうやつをこの世界では人殺しというんだぜ?」

 服の裾を強く握りしめるファウナ。

 続々と灰焔騎士団の騎士達がやってきては、その男の後ろに整列をしている。

「この説明で守る理由が無くなったろ?そいつは人類の敵だ。抵抗するということは世界を相手にするということ。罪のない人間を見殺しにするということ。灰焔騎士団だけじゃない。教会勢力、各国政府、一般市民それらを相手にしてお前はどう戦うというんだ?だから早くその女を差し出せ、いいな?」

 黙っていたロイが俯きながら、納得したように言う。

「そっか、この子は人類の敵……か。放っておくと世界まで滅ぼしかねない危険な存在なんだな……それじゃあ……」

「ロイさん……」

 不安げなファウナの声がかすれるように漏れる。 ロイがファウナを見たとき、その頬には涙が伝っていた。

「……それじゃあ余計に見過ごせねぇな」

「…………は?」

 騎士団の男はとぼけた顔をした。

「世界の正しさなんか、知るか。この子が泣いてるってことは、それは間違ってるって事だからだ。俺は今ここで泣いている人を助ける。それが俺の全部だ。ミラがいなくなった世界で、それでもまだ立ってる俺は、もう俺の中で決めたことしか信じられねぇ。俺はこの子を、今守ると決めた。それが俺に出来る唯一の俺の救いだからだ」

 ロイの言葉が、空に響いた瞬間、周囲の空気が一つピキリと音を立てて裂けたような気がした。

 騎士団の男の表情が動いた。

 それは怒りだった。

 だが、ただの激情ではなかった。

 その奥には――悔しさと絶望の色が混じっていた。

「ごちゃごちゃとうるせぇなぁ!……だからその選択が間違ってるっつってんだろうがッ!鬼呪持ちがっ!」

 怒りをあらわにした男だが、いきなりスッとして言った。

「まあどちみちお前たちはここで死ぬ。俺が殺すからな」

 その言葉にムカついたようにロイが返す。

「死ぬのはてめぇだよ、包帯野郎が」

「灰焔騎士団最強の男、このグレイ・ロートブラッドを前にして、いつまでその減らず口を叩けるか見ものだな」

 戦闘が始まった。

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