第4話 似姿

 灰焔騎士団。総団員数約一万人。中央本部、アラスパガス聖堂。

「世界を守る盾」「呪いを討つ聖騎士たち」――

 そんな称号が、彼らには相応しいと信じられている。

 各地の街には、騎士団の活躍を讃える詩や劇が存在し、小さな子供たちは剣を模した木の棒を振りかざして、騎士団ごっこに興じる。民衆にとって、彼らは闇を祓い、秩序を守る存在。呪い、異能という得体の知れない災厄から、日々の平穏を守ってくれる守護者なのだ。

 呪われた存在が追放され、処刑されるたび、人々は安堵とともに、祈りを捧げる。


 家を去ったロイは、まさにこの灰焔騎士団殺しを始めようとしていた。

 そのために街に出てきた。

 街の名はアリミナ。

 水運で栄えるその場所は、今や灰焔騎士団の南方拠点として知られていた。

 石造りの道を馬車が通り、露店の活気が通りに響いていた。

 白い壁と青い屋根の建物が並ぶ整った街並み。

 広場には子供たちの笑い声が響き、中央の噴水の周囲では、騎士団の旗が風に揺れている。

 誰もがその旗に安心を覚えていた。

 だが、ロイは違った。

 ロイは黙ってその中を歩いた。ただ通り過ぎる旅人のふりをして。

 この街は知らない。あの夜の絶叫も、血も、涙も、何一つ知らない。

 彼が失ったものを、この街の誰も悼まない。

 それどころか、目に入る全てが、彼を嘲笑っているようにすら思えた。花の色も。騎士団の紋章も。

「ふざけんなよ……」

 呟いた声は誰にも聞こえないほど小さかった。

 けれどその声に乗った憎しみは、誰よりも深く、重かった。

 もう何も信じられなかった。ただ一つ、信じていた妹を奪われて、今残ったものはたった一つ――

 憎しみだった。

 灰焔騎士団に対する、終わりなき、燃え尽きる事のない、自分すら飲み込むほどの、冷たい怒り。

「殺してやる」

 心の奥で何度も呟いた。

 その時――

 ロイの耳に誰かの悲鳴が届いた。

 騒めく人混み、足音、追いかける甲冑の音。

 だが、何も聞こえなくなったのは――その姿を見た時だった。

 街角の一角、騎士たちに追われ、肩で息をしながら逃げ惑う一人の少女。

 髪の色は淡い桜色で、淡い光を帯びたように揺れていた。瞳はルビーピンクの空にフクシア色の星を散りばめたようだった。

 細くて、儚くて、それでも何かを必死に守るようなその背中が――

「…………ミラ」

 声にならない息が漏れた。

 足が勝手に一歩、踏み出す。

 少女がこちらを振り返る。その瞬間全てが止まった。

「……嘘、だろ」

 その顔が、あまりに、あまりにもミラだった。

 いつもそばにいてくれた、守るべき存在。もう決して会えないはずの、自分の命よりも大切だった存在。

 ロイの心臓が高鳴った。

 だが、それは鼓動というよりも、時間に取り残されていた身体が、何かを思い出して打ち鳴らしたような震えだった。

 何故ここに?

 どうして――生きている?

 そう考えたのも束の間。ただ、目の前のその少女を追いかけなければならないという、衝動にも似た切実な感情だけが、ロイの体を動かした。

「ミラッ!!」

 喉が張り裂けそうなほどの声を張り上げてロイは駆け出した。

 血が凍るような悲しみの中、心はすでに何度も砕けていた。

 けれど彼は走った。彼女が再び目の前から消えてしまう事が、恐ろしくてたまらかったから。

 ロイが駆け出した時、騎士たちは少女の行く手を塞いでいた。

 逃げ道を探していた少女は一瞬だけこちらに振り向く。

 その瞳に、ロイは心臓を撃ち抜かれる。

 その間にも、男たちの刃が、無言で振り上げられる。

「やめろ……」

「やめろッ!!」

 叫んだ瞬間には、すでに体が動いていた。

 最も近くにいた騎士の首筋に拳を叩き込んでいた。

 ゴキッという鈍い音とともに、男の身体が横に吹き飛ぶ。

 その場にいた者たちが、驚愕と共に振り返る。

「なっ……なんだ貴様は……っ!」

 次の瞬間、ロイはもう一人の男の腕を掴み、肘を逆に折って、奪い取った剣を地面に突き立てる。

 混乱の中、少女が呆然と立ち尽くす。

 あまりに突然すぎる展開に、身体が動かない。

 ロイは一瞥だけ彼女に視線を送り、背を向けて最後の一人に向かって踏み出す。

 男が叫ぶ。

「お、鬼だ!上層部にれんらくを――」

 その言葉が口をつく前に、ロイの拳が喉元に沈み込んだ。

 沈黙が戻る。

 ロイは息を整え、少女の方へとゆっくり歩みよる。

 少女の瞳は、不安げに揺れていた。

 ロイが声をかける。

「ミラ、助けに来たぞ。もう大丈夫だ。俺がいる。俺が一生、守ってやるからな……」

 少女は混乱した様子で言った。

「私はファウナ。ミラ……じゃない……」

 その声は、確かに違った。

 似ているはずの顔なのに、その声だけがまるで違った。

 ロイの中に冷たい何かが落ちた。

 現実が、追いついてきた。

 思わず崩れ落ちるロイ。

「そっか……。そうだよな……。ミラ、じゃないよな。」

 泣きながら笑った。

「……はは、なんだよこれ……。俺、バカみたいだ」

 彼の目から涙が溢れる。

 ぽたり、ぽたりと。

 とめどなく流れる。

 ファウナは何も言えなかった。ただじっとロイのその泣き笑いを見ていた。かける言葉を探していた。

 だが、その静けさは長くは続かなかった。

「こっちだ!いたぞ!」

 突然、通りの奥から鋭い叫び声が聞こえた。

 重たい鎧の足音。剣を引き抜く金属音。複数の足音が近づいてくる。

 ロイが表情を一変させた。先ほどまでの脆さは一瞬で引っ込み、獣のような鋭い目に変わる。

「…………来いよ」

 一寸躊躇して、ファウナは問うた。

「…………また殺すの?」

「ああ、殺す」

 サラッと答えた。

「なんのために?」

「さあな、なんのためだろうな」

「あなた、名前は?」

「ロイ」

「ロイさん。逃げよう」

「俺はどこにも逃げねぇよ。俺はあいつらを皆殺しにしなくちゃなんねぇんだ」

「どうして殺すんですか」

「あいつらは俺の妹を殺した。だから俺も殺す」

「あなたの心の痛みはよくわかります、だから――」

 「よくわかります」その言葉を聞いて、ロイの堪忍袋の尾が切れた。よくわかりますじゃあないだろ。一体お前は俺の何を知っているというんだ。怒声を浴びせようとする。

「よくわかりますだぁ?お前に俺の何が分か――」

 そう言いかけて、止まる。

 ミラだ。俺を見るこの目。この顔。この髪、この身長すら、全てがミラだ。

 俺の全てだ。そんな人に、罵声なんて、浴びせられる訳がないじゃないか。

「すまない。うん、逃げよう」

「よかった……」

 そうして二人は逃避行へと走りだす。

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