第2話 「いつか、自分を誇れるようになる日が来るわ」

 一度教室へ荷物を取りに戻った後、ロザリーはある場所を目指していた。


 目的地は、学舎の外れにある中庭だ。広くて綺麗な場所だが、奥まった場所にあるせいか立ち寄る生徒は少ない。昼食時ともなれば、大半の生徒は食堂に行く。

 食堂も、変わったものが食べられて面白いのだが、ロザリーには少し居心地が悪かった。


「やっぱり、人の多いところは緊張しちゃうもんなあ……」


 そんなことをぼやきながらロザリーが歩いていると、タイルを踏みしめていた足が靴越しに土の柔らかさを感じ取る。いつの間にか中庭に着いていたようで、ロザリーは顔を上げた。


 草花咲き乱れる、少し広めの教室くらいのスペース。自由に育った木々の合間から、きらきらと木漏れ日が覗いている。食堂が苦手なロザリーは、アマリアと共にこの中庭で昼食を食べることが多かった。


「アマリアのおかげで、一人で昼食を食べるのも久しぶりかも」


 今日はウェルシューーロザリーの使い魔だーーもいないし、本当に一人である。入学した当初のことを思い出し、ロザリーは一瞬苦々しい表情を浮かべた。


 中庭にはベンチもガゼボもない。ただ、小さな池があるだけだ。最低限の手入れはされているものの、草花も好き勝手に生えている。


 ロザリーは敷布を取り出して、池のほとりに広げた。そこに座り、一息つきつつ昼食の弁当を取り出していく。木の箱にロザリーが触れると、それはほんのり冷たい。毎日やっていることだから慣れてはいるものの、冷気がしっかりと残っていると安心してしまう。


「ーー熱よ」


 それをロザリーは両手で包み、炎の魔力を込める。段々と温かくなっていくのを手のひらで感じながら、良き塩梅のところで手を放した。

 ロザリーの手際はいいものの、使った魔法自体は火属性の中でも一番最低ランクのものである。ロザリーは小さい頃から祖母に鍛えられ、日常で使うような魔法ばかり上手くなってしまった。


「生活魔法って魔法使いじゃなくても使える人多いらしいし、実践的なものじゃないと意味ないのに……」


 自分にできることは、あまりに平凡なことばかりである。はあ、とロザリーはため息をついた。


 ロザリーは自身の将来のことなど、幼い頃は考えたことがなかった。だが、祖母は彼女に魔法を教え、こう言い聞かせた。


『お前はいつか、学院で魔法を学びなさい』


 最近は、その言葉の意味をよく考える。学院という場所もほとんど知らないまま、祖母に言われた通りここまで来てしまった。

 確かに、故郷の森とは違う生活は日々面白い。友人と呼べる人も初めてできた。それでも。


「どうして、おばあちゃんは私を学院に入れたんだろ」


 今はその真意を知りたかった。

 弁当に伸びる手も、どこか重たい。のろのろとサンドイッチを口に運び、ロザリーはぼんやりと呟いた。


 中庭は静かだ。池は波音一つ立たない。しゃくり、とロザリーがサンドイッチを咀嚼する音が、やけに響いた。


 普段より味気がしないサンドイッチを飲み込んで、おかずにフォークを向ける。ロザリーがどれにしようかと一瞬動きを止めると、横から手がするりと伸びてきてサンドイッチを一つ掴んだ。


「ずいぶんと悩んでいるのね」


 陶器のような手と突然の声に、ロザリーはぎょっとして横を見る。すると、美しい女がいつの間にか横に座っていた。


「だ、誰ですか!?」


 その女はロザリーの問いかけに、口元を僅かに綻ばせる。


「これ、美味しいわ。料理が上手なのね」


「それは良かった……って、そうじゃなくて」


 今日は試験の日でその後は疲れているだろうと、疲労や魔力回復にいいキノコと、たまにしか食べないお肉を炒めて、マスタードを薄く塗ってレタスと挟んだのだ。確かに今日の弁当はロザリーの自信作である。


 だが、今はそこじゃないと動揺するロザリーをよそに、女はマイペースにサンドイッチを頬張っていた。均整の取れた女性らしい凹凸の多い体。ラインのはっきり出る薄手のドレスを見ているだけで、ロザリーはどきりと心臓が跳ねる。艶やかな水色の髪は長く、座っているせいで地面にも広がっていた。


「生徒、ではないですよね。先生ですか?」


 学院ではそもそもドレスを着ている人を、ロザリーは見たことがない。思いついた疑問を、とりあえず口にする。


「ええ、そんなようなものよ」


 そう言って、女は物腰柔らかに微笑んだ。曖昧な言い方が少し引っかかるが、教師でなくても学院の来客か何かだろうかと当たりをつける。


「それより大きなため息が聞こえてきたけれど。何かあったのかしら?」


 そこから聞かれていたのかと、ロザリーは少し気恥ずかしくなった。家にいれば、誰かが必ず返事をしてくれたので、つい独り言を言う癖がついてしまっている。


「いえ、別に大したことじゃ……」


 ロザリーにとっては大きな問題だが、流石にそれを初対面の相手に聞かせるつもりはない。眉を下げて笑うと、女は少し目を伏せた。


「かなり思い悩んでるように見えたわ。サンドイッチのお礼じゃないけど、私に話してみるのはどう?」


 そういえば、突然話しかけられたことに驚いて、弁当を摘ままれたことを失念していた。


「でも、初めて会った人に悩みを聞いてもらうのは申し訳ないです」


「そう? 逆にあなたの事情を知らない相手の方が、話しやすいのではなくて?」


 確かにそうかもしれないと、ロザリーは考える。今の話をアマリアにできるかと言われると分からない。祖母なら尚更だ。


(そう言われると、確かに話してみるのもいいかもしれない。それにこの女の人が先生なら、何か魔法が上手になるアドバイスをもらえるかも……!)


「じゃあ、少し聞いてもらってもいいですか……?」


 ロザリーがおずおずと女へと尋ねる。すると彼女は鷹揚に頷き、「構わないわ」と先を促した。


「ありがとうございます。そんなに長くならないようにはしますね」


 そう前置きをして、ロザリーは少し神妙な顔をして口を開く。


「私、魔法が上手く使えないんです。まだ全然、基礎的なことしかできなくて」


「そうなの? 私にはさっき、上手に使ってるように見えたけど」


 女が首を傾げると、一瞬目を見開いたロザリーは困ったように眉尻を下げた。


「ああいうのは、基礎の基礎じゃないですか。魔法使いになるためには、全然足りなくて……」


 一つ口にするたびに、段々とロザリーの心が沈んでいく。女は、ロザリーの言葉を黙って聞いていた。


「他の人にも笑われるし、いやそれは私が悪いんですけど……。練習の成果もあんまり出なくて……」


 言葉は尻すぼみになっていき、ロザリーの視線も自然と地面へと下がっていく。俯いてしまうロザリーの言葉に、女は一瞬だけ顔を顰めた。


「このままじゃ私、おばあちゃんの期待に応えられない」


 ぽつりと、ロザリーの口から本音が飛び出した。そして、堰を切ったように諦め混じりの声が続く。


「才能がなくて、どう頑張っても駄目で……。おばあちゃんは大丈夫、大丈夫って言ってくれてたけど、私にはどうしてもそうは思えないんです」


「誰かに誇れるようなことが、一つでも私にあればよかったのに」


 そこまで吐き出して、ロザリーははっとした。慌てて女の方へと顔を上げると、どきりと心臓が跳ねる。女は、目尻を下げ、とても優しげな表情をしていた。


「ーーすみません、変なこと言っちゃって。えっと、他のお弁当もどうですか?」


 ロザリーが取り繕うように笑みを浮かべ、弁当箱を女へと差し出す。


「あなたは……。いえ、あなたでもそんな風に悩むのね」


 女は弁当とロザリーとを順番に見やり、囁くように言った。ロザリーは意味を取りきれず、首を傾げる。だが、その声にはロザリーを慮る色が宿っていた。

 女は少し腰を浮かせ、ロザリーへと距離を詰める。ロザリーが気圧されて弁当箱を置くと、女はその手を握ってきた。


「な、なんですか……?」


「あなたたちは、そのままでよかったのに。あるがままの姿が、一番美しいわ」


「あるが、まま?」


 訝しげな顔のまま、ロザリーが女の言葉を繰り返す。すると女は、燦然と輝くような、息を飲むような微笑を浮かべた。ロザリーはどこか、その場から動けずに女に目を吸い寄せられたままでいた。


「あなたはもう、才能に溢れている。いつか、自分を誇れるようになる日が来るわ、ロザリー」


 ぎゅうっと、女がロザリーの手を握る力を強める。どうして私の名前、とロザリーが口にする間もなく、異変は起きた。

 一瞬、燃えるようにロザリーの胸のうちが熱くなる。慌てて女の手から逃れようとしても、何故か離れない。そして、目も開けていられないほどの突風が一つ吹いた。


「何、これ……」


 風に撫でられた草花たちが、二人のいるところから広がるように色を変えていく。草はピンク、黄、青に姿を変え、花はまるで全ての色を集めたかのように目に痛い。

 ロザリーが周囲を見回すと、空はみるみるうちに甘い蜂蜜のような黄金色へと変貌していた。池は夜を写したような星空で、吸い込まれてしまいそうである。


「な、何……? 何をしたんですか!?」


 ロザリーは問い詰めるように、女へと視線を戻した。だが、極彩色の草花の上に敷かれた敷物の上には、ロザリー以外誰もいなかった。


「消えた!? で、でもさっきまでここにいたのに!」


 先程まで握っていた手の感覚が、もはや思い出せない。ロザリーがきょろきょろと視線をさまよわせても、どこにもいなかった。女は忽然と姿を消してしまったのだ。


 夢のような場所で、ロザリーは呆然と座り込んでいる。いっそ夢だったらと頬を抓ってみても、鈍い痛みがするだけだった。

 すると、突然ロザリーに鋭い声が飛んでくる。


「おい、そこのお前! そこで何をしている?」


 その声の方に顔を向けると、上階の窓から誰かが中庭を見ているのが分かった。


「これはお前がやったのか!」


 そう詰問する男の声に、ロザリーの心臓が縮こまる。ロザリーのせいではないが、この有様ではそこにいた人間が疑われても仕方がないだろう。ただでさえ成績不良、その上問題まで起こして退学になってしまったら。そんな恐怖が一瞬でロザリーの思考を過ぎる。


「違います、知りません、私何もしてません……!」


 ロザリーは咄嗟に顔を隠して、聞こえているかも分からない弁明を口にしながら、広げたままの荷物を乱雑に抱え込んだ。


「に、逃げなきゃ!」


 そのまま立ち上がり、建物の中へと一気に駆け出す。


「待て、僕が行くまでそこを動くな!」


 背後の声を振り切って、土から学舎の床を踏みしめた。すると変容していたのは中庭の一部だけだったようで、建物や他の部分に変化はないらしい。振り返ってロザリーはそれに安堵するものの、安心している場合ではないとすぐに踵を返す。


(早くしないと、さっきの人に見つかっちゃう!)


 その思いで一心に走ったせいか、誰にも見つかることなくロザリーは離れた教室へと逃げ込むことができた。


 ずきずきと心臓が早鐘を打っている。あの、夢のような光景がまだ瞼の裏に張り付いて離れない。


『いつか、自分を誇れるようになる日が来るわ』


 その言葉の意味を、ロザリーは息が整うまでずっと、繰り返し考え続けていた。

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