妖精の瞳~平凡な私が天才魔術師に捕まったワケ~

古倉慎

第1話 「もっと上手くやれるつもりだったの」

「ロザリー・アネット」


「はい」


 教師に名前を呼ばれ、返事をした。広い運動場で、周囲の視線が刺さる。ロザリーはごくりと息を飲んで、教師の前へと歩み出た。


「では、合図をしたら詠唱を始めなさい」


「分かりました」


 深く呼吸をする。だが、どきどきと心臓が落ち着かない。両腕を前に伸ばし、ロザリーは何もない空間に手をかざした。


「では、始め」


「――炎よ、我が手に出でよ!」


 頭の中にイメージする。暖炉より大きな炎、爆ぜる火花、赤々と燃えるその様を。

 掌に熱が灯る。だが、それはロザリーが思い描いたものよりも仄かなものだった。ゆらりと中空に漂うそれは、松明に灯る程度の大きさである。

 心が挫けそうになるが、ロザリーは唇を噛んだ。そして、小さな火球を前方の的へと放つ。

 木製の的に火球が当たった。的には火が燃え移り、松明のように火が灯る。だが、それを破壊するまでには至らなかった。


「ここまで」


 教師の声が、淡々と試験の終了を告げる。


「実技は相変わらずだな」


「すみません……」


 自分の不甲斐なさに、ロザリーの返事は尻すぼみに消えた。以前の試験と、ほとんど結果は変わらなかった。


「魔力量は悪くないんだ。集中と、練習を欠かさないように」


「はい、ありがとうございました…」


 ロザリーは教師の励ましの言葉に目を伏せる。自分の結果に落胆しながらも、礼をして列に戻った。

 その最中、誰かの声が耳に届く。


「座学はいいのに、どうして実技はできないんだろうな。落ちこぼれのアネットは」

「魔法使いになりたいのに、知識だけあったって無駄だろ」


 どうしても聞こえてしまう声を、振り払うようにロザリーは自身の思考に集中した。

 集中力は、魔法使いには必須である。どこを改善すればいいのか、魔力をどうやって引き出すのか、改善点を必死に考えた。


 次に試験を行う生徒が、前に出る。同じ年頃の女子生徒だ。彼女は確か、火属性を上手く使いこなしていたはずである。ロザリーは彼女の様子に、注意を向ける。


「では、始め」


「――炎よ、我が手に出でよ!」


 自信満々に女生徒は、詠唱を唱えた。その手中にはすぐさま、人の頭ほどの火球が現れる。轟々と燃え盛るそれは、到底ロザリーのそれとは比べ物にならなかった。


 放たれた火球は、すぐに的を飲み込む。それは的を燃料として更に燃え上がり、火柱のようになって渦を巻いた。その余波で、安全のために張られた障壁が少したわむ。

 教師によって張られたものである障壁は、破壊されることは早々ない。だが、それに影響を与えること自体、優秀な証なのだ。


「ここまで」


 教師が告げると、その火柱は一瞬で消火される。

 結果は一目瞭然だろう。満足げな顔で元の列に戻って行く彼女が、ロザリーは羨ましかった。


 試験は次々と進んでいく。この学院に入学してから、ロザリーはずっとこうだ。

 座学はどうにか悪くない成績を取っているが、ロザリーの魔法は初心者の域を出ない。


 ロザリーは、列の一番後ろで小さくため息をつく。同年に入学した者の中で、ロザリーの実技の成績は最下位だ。

 それはそうだろう。この学院に入学するのは、そもそも魔法を得意とし、更にそれを伸ばしたいと志した者たちばかりなのだ。

 数少ない友人は励ましてくれるが、そんな中でロザリーはどう見たって落ちこぼれなのである。


 残った時間をやり過ごすように、せめて自分が成長する糧になるように。ロザリーは他の生徒の試験を観察するしかなかった。



 長かった試験が終わり、午前の授業が終わった。

 やるせなさで重くなる足を引きずって、ロザリーは教室へと戻ろうとする。すると、背後からぽん、と肩を叩かれた。


「あんまり落ち込まないの。前回より良かったじゃない」


「アマリア……。そうだったかな?」


 振り向くと、学院で唯一の友人であるアマリアが立っていた。人見知りなロザリーに入学の時に声をかけてくれ、それから意気投合したのだ。


「勿論よ。というか、あれだけ練習に付き合ったんだもの、上手になってないと困るわよ」


 アマリアの正直な言い方に、思わずロザリーは苦笑する。確かに言う通りだ。アマリアには授業後、何回もロザリーの特訓に付き合ってもらっている。


「いつもありがとう。でも、もっと上手くやれるつもりだったの」


 拳を握りしめては、また解き、ロザリー自身の手のひらを見つめた。どうしてもロザリーには、他の生徒のように上手く魔法の感覚がつかめなかった。


「今にできるわよ。ロザリーなら大丈夫」


 そう言って、学舎に戻ろうとアマリアに背を押される。だがロザリーは、歩き出しながらも押し黙ってしまう。


「何よ、あたしの言葉が信じられないの?」


 口を尖らせ、拗ねたような声色を出したアマリアに、ロザリーはゆっくりと首を横に振った。


「ううん、そうじゃない。ただ、おばあちゃんみたいなこと言うな、と思って」


「ええっ?」


 ロザリーがぽつりと吐き出した言葉に、アマリアは怪訝な顔をする。そして肩から伸びてきた手が、ロザリーの頬をむにっと摘んだ。


「花の乙女になんてこと言うの!」


「い、いひゃい、違う、違うの! そういう意味じゃなくて、私のおばあちゃんがよく似たようなことを言ってたの!」


 アマリアの手から逃れて、学院の屋根の下へと逃げ込む。ロザリーの弁明にアマリアは納得したようで、ふうん、と息を一つ吐いた。


「私、小さい頃から魔法は得意じゃなくて、それでいつも泣いてたの」


 小さい頃を思い返しながらロザリーが懐かしんでいると、アマリアが首を捻る。


「想像つくような、つかないような……」


「どっちなの? でもそう言う時は、いつもおばあちゃんが大丈夫だから、いつかできるようになるから、って慰めてくれてたのよね」


「だから、アマリアがそう言ってくれて私嬉しかったの。ありがとう」


 試験の直後は落ち込んでいたが、アマリアと話しているうちに少しは落ち着いたようだ。ロザリーが素直に感謝を伝えると、アマリアは一瞬面食らったように目を見開く。


「別にあたしは、思ったことを言っただけよ」


 アマリアは少し視線をさ迷わせ、腕を組む。恐らく照れているのだろう。それが理解できてロザリーが頬を緩めると、アマリアがあっと声を上げる。そして、少し険しい顔をしてロザリーの耳元へと顔を寄せた。


「本当にあたしは本当のことを言っただけ。だから、変なこと言う奴らのことは無視よ、無視」


 そう言って、廊下の先をアマリアは睨みつける。ぱたぱたと足音が響いて、ロザリーは呆気に取られてしまった。恐らく、ロザリーは気付いていなかったが、彼らがひそひそと話していた人たちなのだろう。


「うん、分かった」


 こくりとロザリーが頷くと、アマリアはやっと表情を緩める。だがすぐにはっとした様子で、慌てて口を開いた。


「いけない、あたし職員棟に用事があったの! ごめん、お昼間に合わないかもしれないから、先に食べていて!」


「行ってらっしゃい。急いで転ばないようにね」


 駆け出すアマリアを見送って、ひらひらと手を振る。深緑のウェーブを揺らして、アマリアは曲がり角で立ち止まって振り返った。


「ロザリーじゃないんだから、平気よ! また午後の授業で!」


 それだけ告げて、アマリアは行ってしまった。今日の昼食は一人か、とロザリーは少し落胆するが、すぐに切り替えて歩き出す。

 呼び出しのせいでアマリアの昼食の時間が潰れなければいいが。そう心配しつつも、彼女はいつも要領がいいことをロザリーは知っている。きっと大丈夫だろうと、廊下を進み、一度教室へと戻ることにした。

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