第2章:孤児院の温もり

 サジタリウスダンジョンの入口から、孤児院まではわずかな距離だった。園生(エンセイ)はコハクを背負い、革鎧が汗で軋むのを感じながら、夕暮れの道を歩く。

 コハクの白髪が彼の肩に揺れ、黒縁の白い耳が時折ピクリと動く。軽い。十二、三歳の少女とは思えないほど、彼女の体は衰弱していた。


「園生、大丈夫?」

 翠雨(スイウ)が隣で小太刀の鞘を叩きながら訊く。三つ編みのリボンが風に揺れ、切れ長の瞳がコハクを気遣うように細まる。


 園生は八重歯を見せて笑う。


「このくらい、へっちゃらだよ。翠雨こそ、疲れてねえか?」


「私が? 園生と違って、神気使いすぎてないから平気」


 翠雨の声は軽やかだが、彼女の水行は4層の戦闘でかなり消耗していた。それでも、彼女は園生の前で弱さを見せない。昔からそうだった。施設の夜、園生が親を失った悲しみに泣くとき、翠雨はいつもそばで笑ってくれた。


 孤児院の木造の門が見える。赤茶色の屋根と、庭に並ぶ小さな菜園が、夕陽に染まる。園生の胸に、懐かしさと苦さが同時に込み上げる。あのダンジョン氾濫の日、両親の顔が闇に消えた。

 あれから八年、園生と翠雨はここで育ち、互いを支えてきた。


「ただいまー!」


 翠雨が門を開け、大きな声で叫ぶ。食堂の窓から、子供たちの顔が覗く。


「園生、翠雨、帰った!」


 と騒がしい声が響き、管理人のおばさんがエプロンを叩いて出てくる。


「遅かったじゃないか。怪我は……おや?」


 おばさんの目が、コハクに止まる。園生はコハクをそっと下ろし、パーカーのフードを外す。赤毛が夕陽に燃えるように揺れ、八重歯が笑みを刻む。


「ダンジョンで保護した子です。衰弱してるんで、休ませたい」

 

 おばさんが頷き、コハクを支える。


「可哀想に。さ、部屋を用意するよ」


 コハクを寝室に運ぶと、園生と翠雨は彼女のローブをそっと脱がせた。白虎獣人の姿があらわになる。

 白い尾に黒の模様、爪がわずかに伸び、桜色の唇から八重歯が覗く。肌は園生や翠雨より白く、まるで雪のように柔らかそうだった。だが、彼女の猫目は閉じられ、息が細い。


「人間じゃ……ない?」


 園生が呟くと、翠雨が三つ編みを指で巻く。


「うん。でも、ダンジョンじゃ珍しくないよ。異世界の種族、かな?」


 園生はコハクの八重歯を見つめる。自分と同じだ。施設で、八重歯のせいでからかわれた日々を思い出す。翠雨がそっと笑う。 


「園生、似てるね。八重歯」


「からかうなよ」


 園生は照れ隠しに赤毛をかくが、内心、コハクに親近感を覚えていた。翠雨が水行を呼び、掌に水を浮かべる。神気の脈動が部屋を満たし、コハクの額に水滴を落とす。


「これで少し楽になるよ。マナ……みたいな力が、彼女にはあるみたい」


 翠雨の水がコハクの白髪を濡らし、尾が小さく揺れる。園生は火行を微かに灯し、部屋を暖める。炎が揺らぎ、神気不足でちらつくが、コハクの息がわずかに安定する。


「コハク、だろ? 絶対助けるからな」


 園生が囁くと、コハクの猫目が一瞬開き、園生の八重歯を見つめる。言葉は通じない。だが、彼女の爪が園生の手に触れ、弱々しく握った。


 その夜、コハクはうなされた。寝室の木のベッドで、彼女の白髪が汗で濡れる。園生と翠雨が交代で付き添い、彼女の手を握る。コハクの唇が震え、片言の言葉が漏れる。


「父……母……弟……帰りたい……」


 園生は眉を寄せる。翠雨が水でコハクの額を冷やす。


「故郷が、遠いのかな。ダンジョンで迷ったのかも」


 コハクの夢の中、緑豊かな森が広がる。白虎の紋が刻まれた集落。父の勇ましい声が響き、剣を手に魔物を退ける。母の温かい匂いがコハクを抱き、三つ子の弟たちが笑いながら駆けてくる。

「お姉ちゃん、遊ぼう!」 まだ三歳の小さな手が、コハクの尾を握る。


 だが、森の奥で、魔法陣が光る。コハクは好奇心に駆られ、隠れてダンジョンへ踏み入った。父の警告を無視し、母の涙を見ず、弟たちの声を後にして。魔法陣の光が彼女を飲み込み、サジタリウスの闇に飛ばした。


「ごめん……帰りたい……」


 コハクの八重歯が震え、涙が頬を濡らす。園生は彼女の手を強く握る。


「コハク、聞こえるか? 俺たちがいる。ここがお前の居場所だ」


 翠雨が頷き、リボンを指でなぞる。


「うん。スイウも、エンセイも、コハクの味方だよ」


 コハクの猫目が開き、園生の赤毛、翠雨の三つ編みを見つめる。彼女の尾が微かに揺れ、涙が止まる。


 数週間が過ぎ、コハクは少しずつ回復した。孤児院の食堂で、子供たちに囲まれ、彼女の白髪と尾が注目の的になる。


「耳、ふわふわ!」「尾、かっこいい!」


 コハクは恥ずかしそうに八重歯を見せ、片言で答える。


「コハク、ありがとう……みんな、優しい」


 園生は食堂の隅で刀の手入れをしながら、コハクを眺める。彼女の笑顔が、施設での自分の過去を思い出させる。翠雨がコハクの白髪に触れ、三つ編みを試みる。


「コハク、似合うよ。ほら、リボンも貸してあげる」


 コハクの猫目が輝き、翠雨のリボンを手に持つ。


「スイウ、リボン、きれい……」

 

 園生が笑う。「翠雨、姉貴みたいじゃん」


「ふん、園生だってコハクにデレデレでしょ」


 翠雨が三つ編みを揺らし、からかう。コハクが園生の赤毛を指差し、片言で言う。


「エンセイ、髪、火、かっこいい」


 園生の八重歯が覗き、顔が赤くなる。「お、お前もな。八重歯、似てるぜ」


 その夜、園生はコハクに刀の手入れを教える。コハクの爪が刃をなぞり、白虎の紋を真似て刻む。翠雨が水行で小さな花を浮かべ、コハクの尾が喜んで揺れる。三人の笑顔が、食堂の明かりに重なる。


 ある朝、コハクが園生と翠雨を庭に呼ぶ。彼女のマナが回復し、言語理解の加護が少しずつ機能し始めた。流暢ではないが、気持ちを伝えられる。


「コハク、里、帰りたい。父、母、弟、待ってる。サジタリウス、魔法陣、行く」


 園生は刀を握り、頷く。


「ああ。コハクを故郷に返す。それが俺たちの仕事だ」

 

 翠雨がリボンを直し、笑う。


「うん。私も行くよ。園生の無茶、カバーしないとね」

 

 コハクの八重歯が光り、尾が大きく揺れる。


「エンセイ、スイウ、家族。ありがとう」


 園生の胸が熱くなる。両親を失ったあの日、翠雨がそばにいてくれた。そして今、コハクがいる。この絆が、ダンジョンの闇を照らす。


「よし、行くぞ。サジタリウス、攻略する!」


 園生の赤毛が朝陽に燃え、翠雨の三つ編みが風に舞う。コハクの白尾が希望を刻み、三人は孤児院の門をくぐる。背後で、子供たちが叫ぶ。


「園生、翠雨、コハク、頑張れー!」

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