サジタリウスダンジョンでの邂逅

坂倉蘭

第1章:赤毛と三つ編みの星路

 佐波里園生(サハリ エンセイ)は、革鎧の下で汗ばむ手を刀の柄に押し当てた。サジタリウスダンジョンの入口は、黒々とした岩壁にぽっかり開いた穴のように広がり、冷たい風が彼の赤毛を揺らす。

 パーカーのフードを深く被っても、短く切り揃えられた髪は勝手に立ち上がり、まるで火行の炎が宿っているかのようだった。


「園生、緊張してる?」


 隣で、天架翠雨(アマカ スイウ)が軽い笑みを浮かべる。青みがかった黒髪を肩まで伸ばし、右側の三つ編みが赤いリボンで揺れている。丸い眉と切れ長の瞳が、彼女の温和さと鋭さを同時に物語る。

 革鎧のカッターシャツにモスグリーンのカーゴパンツ、腰には小太刀が下がっている。翠雨の手は、園生と違って震えていない。


「緊張? んなわけねえよ」


 園生は八重歯を見せて笑うが、声がわずかに上ずる。十六歳、火行の能力をようやく発現させたビギナーだ。神気を吸収する器官が未成熟で、炎はいつも思うように燃えてくれない。

 それでも、今日が初陣だ。ダンジョン攻略の許可を半年かけて勝ち取った自分を、信じなきゃいけない。


 翠雨が小さく鼻を鳴らす。


「ふーん。じゃ、行こっか。ビギナー向けの小規模ダンジョンなんだから、怖がる必要ないよ」


「怖がってねえって」


 園生は安全靴で地面を蹴り、翠雨と並んで入口へ踏み出す。背後では、孤児院の仲間たちが手を振っている。


「園生、翠雨、気をつけな!」と声が遠く響く。


 あの施設で育った二人は、ダンジョン氾濫で親を失った過去を共有している。園生にとって、翠雨は家族以上、恋人未満の存在だ。


 ダンジョン内部は、迷宮エリア特有の石造りの通路が続く。壁には星屑のような光がちりばめられ、射手座の名を冠するサジタリウスの神秘を思わせる。だが、園生の目は闇の奥に注がれる。


 両親を奪ったダンジョン。その記憶が、胸の奥で燻る。


「神気、感じる?」


 翠雨が囁く。彼女は五歳で水行を発現し、十四歳の今、吸収器官は園生よりずっと成熟している。


 園生は目を閉じ、龍脈の脈動を探る。かすかな熱が体内を流れ、火行の力がざわめく。だが、すぐに途切れる。


「薄いな……これで戦えるかよ」 園生が呟くと、翠雨が笑う。


「私がカバーするよ。昔みたいにさ」

 

 昔は園生が施設で泣きじゃくっていた夜、翠雨がそばで手を握ってくれた。あの温もりが、今も園生を支えている。


 通路の先で、ガサガサと音が響く。園生が刀を抜き、翠雨が小太刀を構える。ゴブリンの群れだ。小型だが、鋭い爪と牙が光る。園生は息を吸い、火行を呼び起こす。


「燃えろ!」


 刀に炎が宿るが、すぐに揺らぎ、弱々しい火花に変わる。ゴブリンが飛びかかり、園生は慌てて刀を振る。刃が爪をかすめるが、敵は怯まない。


「園生、右!」


 翠雨の声が鋭い。彼女の小太刀が弧を描き、水刃がゴブリンを切り裂く。水行の神気が安定し、流れるような動きで敵を遠ざける。園生は舌打ちし、刀を握り直す。


「くそっ、俺だって!」

 

 再び火行を集中。炎が刀身を包み、今度はゴブリンの腕を焼き切る。だが、神気不足で視界がちらつく。翠雨が水壁を張り、残りのゴブリンを押し流す。


「落ち着いて、園生。焦ると神気が乱れるよ」


 翠雨の瞳が園生を見つめる。園生は八重歯を噛み、頷く。


「わかった。頼む、翠雨」


 1層を抜け、2層へ。モンスターは増え、トラップも現れる。矢の発射装置が作動し、園生が咄嗟に翠雨を庇う。矢が革鎧をかすめ、軽い傷が走る。

「怪我をしたら退く」設計とはいえ、痛みが園生を焦らせる。


「大丈夫?」


 翠雨が水行で傷を洗う。冷たい水が熱を冷まし、園生は息をつく。


「ああ。サンキュ、翠雨」


 3層では、鼠型のモンスターが群れる。素早い動きに、園生の炎が追いつかない。翠雨が水刃を鞭のように操り、鼠を絡め取るが、数が多い。園生は刀を振り回し、ようやく炎を安定させる。


「これでどうだ!」


 炎の斬撃が鼠を焼き、焦げた匂いが広がる。だが、神気吸収の限界が近づき、園生の膝が震える。翠雨が肩を貸し、笑う。


「ビギナーにしては上出来だよ、園生」


「からかうなよ」


 園生は八重歯を見せ、笑い返す。二人の絆が、ダンジョンの闇を照らす。


 4層にたどり着くと、空気が変わる。石柱から水が湧き、星光を反射するモニュメントが現れる。神気の泉だ。龍脈の脈動が強く、園生の火行がわずかに安定する。だが、翠雨が足を止める。


「園生、あれ……人?」


 岩陰に、ぼろぼろのローブを纏った影。白髪が覗き、黒縁の耳が震える。園生は刀を構えるが、翠雨が手を上げる。


「待って、敵じゃないよ」


 近づくと、少女の姿がはっきりする。白虎獣人の特徴――白い尾、桜色の唇、両側の八重歯。猫目が弱々しく園生を見つめ、爪が地面を掻く。衰弱し、大きな葉で出来た携帯食の包みを握り潰している。


「コハク……?」


 少女が呟く。名前だろうか。園生は刀を下ろし、膝をつく。


「大丈夫だ。俺たちが助ける」


 言葉が通じないかもしれない。だが、園生の八重歯が笑みを刻む。翠雨が水行で少女の顔を清め、携帯食を差し出す。


「食べな。ゆっくりでいいよ」


 翠雨の三つ編みが水滴を跳ね、少女の瞳がわずかに光る。


 少女――コハクは、八重歯で食をかじり、涙をこぼす。彼女の白尾が揺れ、園生と翠雨の手を握る。


 その瞬間、ダンジョンはただの試練の場ではなくなった。守るべき誰かが、ここにいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る