緞帳を降ろす

マッチゃ

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 まだつめたい空気の残るとある晩冬のことだった。私達は2人で頭から冷水をかぶり、かろうじて残っていた雪の上に寝そべった。

 まだ往生際の悪い雪が残っていて良かったね。と彼女が言った。

 練習通りだね。と返しておいた。


 私達は今日2人で死ぬ予定だった。なぜそんなことになったか知りたがる人もいるかもしれないが、特に面白くもないありふれた不幸話だから語るつもりはない。馴れ初めもただの不幸者の共依存だ。ただ、今日のためにたくさん練習してきた。そのことだけが重要だった。明日目が覚めることが怖いのに、今日を生きていくことが怖いのに、かと言って死ぬこともしっかり怖い。そんな時に彼女に出会った。


 最初は臨死体験をして、死ぬ恐怖に少しずつ慣らしていくことが大事だと思うんです。そう言って彼女は自殺の練習を提案してきた。断る理由は無かった。そうして毎週末、私達は自殺の練習をすることになった。

 頭から冷水をかぶり、感覚が完全になくなるギリギリまでベランダで寝そべり、明日が来ないことを祈った。しかしまだ晩秋の気温では死ぬことなんて到底できず、耐えかねたどちらかが部屋に戻り暖房を入れ、それにつられてもう片方も部屋に戻り暖かいココアを2人で飲んだ。そんな生活が冬まで続いた。

 私はいつのまにかその週1の愚行が人生の楽しみになっていた。決まった時間に2人で集合し、2人でベランダへ行き、寒さにもかなり慣れてきてしまっていたが耐えかねたふりをして部屋に戻りココアを淹れた。こんな生活がずっと続けばいいと本気で思っていた。だが無情にも季節は巡り、冬は終わりを迎えようとしていた。

 もうすぐ冬も終わっちゃいますね。と彼女が言った。自殺練習の期限もすぐそこまで来ていた。凍死を選んだのに言い訳を並べて冬を越え、来年、再来年、と実行を先延ばしにするのは無理があった。ついに来週末実行に移すことに決まった。


 私はそっと目を閉じた。いつまでもあの愚行が続かないのが明白なら、ここで緞帳を降ろすのも、死にたがり同士が2人でこの世を去るきれいなハッピーエンドだと思った。しかし世界はどこまでも無情で、私1人途中で目が覚めてしまった。空はまだ暗く、体は芯から冷え切ってしまっていた。もう1度目をつぶろうとしたらどす黒い恐怖が体の奥底から湧いてきて、目覚ましが鳴ったかのように飛び起きた。どうやらこの期に及んで私はまだ死ぬのが怖いらしい。かと言ってもう彼女無しで明日を生きていくのも無理があった。私は少し考えたあと、なんとも自己中心的な偽善を少しして、その場を離れた。


 季節はまた1周し、外にはあの日のように雪が積もっていた。私はあの日、去る前に持ってきていたモッズコートを彼女にかけ、近くに暖まるためのキャンプグッズを添えてから逃げ出してきた。もしも彼女が奇跡的に目を覚まし、もし彼女が私と同じように自殺練習に楽しみを覚えていて、もし彼女が私の偽善に応えてくれたのなら、なんて出来過ぎた話だ。仮に生き残ってくれていたとしても死なせてくれなかった私を恨んでいるかもしれない。そろそろ潮時だなと私は再びあの場所へ向かった。


 また少し太陽が傾いた頃あの場所に着き、私は死ぬ準備を始めた。その瞬間、首元に甘美な暖かさを覚えて、慌てて後ろを振り向いた。そんなはずがなかった。私は慌てて目をこする。それは出来過ぎたハッピーエンドで、物語なら安直すぎると非難されかねない終わり方で、それでも、数ある中に1つだけでも、こんなハッピーエンドがあっても良いのかもしれない。

 また練習?と彼女が聞いた。

 晩冬の雪はもう溶け出していた。 


おわり

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緞帳を降ろす マッチゃ @mattya352

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