世、妖(あやかし)おらず ー招き誘う朽ー

銀満ノ錦平

招き誘う朽

 『ちょっと急だが来てくれないか?』


 その日唐突に知り合いの直樹が俺にメールを送ってきた。


 直樹は昔から陽を毎日浴びたいと豪語する程には、外に出たがりというかほんと活発っ子と言わざる終えないほどに元気が取り柄なやつで、俺を含めた周囲も俺も、よく手を焼いていたほどであった。


 しかし、悪ガキではなかったし道を歩いて小銭が落ちていたものなら直ぐに交番に届けたり、イジメの現場を目撃したなら体を張って止めようとしたりととても正義感にも溢れていたのが幸いして、評判も良く、気が付けばいつも話の中心は直樹になっていた。


 中学を卒業し、高校に入学した後もそれは変わらず、3年には生徒会長にまで就任して…それはもう俺の手が届かない程の活躍を自らの性格と行動で存分に実力を発揮させ、周囲の評価もそれはもう充分に満足感を与え、世に一生に悔いのない高校生活を味あわせてくれたと今でも感謝の言葉を与えてしまう程である。


 そんな直樹とはその後、別々の大学に向かったが相変わらず連絡は取り合っており、偶に会っては2人で旅行なんかを楽しんでいた。


 そして大学も卒業し、俺は地元で就職をしたが直樹は県外の優良な大手会社に就職することが出来、その後は連絡は取っていたが時が進むにつれて段々と連絡頻度も減り、内容も体調を気にする位に薄いものになり、気が付けば連絡すら疎かにしてしまう程には直樹に意識が向くことがなくなっていってしまった。


 時間が進むに連れて、俺自身にも他に様々な方向を向いてしまい、過去の出来事や人の関わりの意識が段々と薄まっていくのが脳内で感じ取れ、どんなに過去仲良かった者同士だったとしてもあくまで優先するのは俺自身の生活な訳であるから、近場にいるならまだしも、相手にも生活もあり、そこに己のプライベート事情が入り込んでくる以上、遠くに離れている相手など気が付けば疎遠してしまう…というのを20後半になって漸く気がついてきたのである。


 俺も直樹にも自分の時間があり、それを只々過ごしている中で…そりゃあ偶には会いたいとか思いはするだろうが、それでもやはり連絡とかは後手後手になってしまうものなんだと実感したのだ。

 

 結局、最後に連絡をしたのが4年前のとある夏…直樹が久々に地元に帰ってくるのでその時に会わないかという誘いのメールがきたがその時の俺は、少し心を病んでしまっていて身内以外と会話するのも億劫な状態だった為、メールを返信せず無視を決め込んでしまった。


 どう考えても俺が悪い訳だったが、その時は自分の事しか考えられない程には精神的に参っていたので仕方ないと言えばないと俺は無理矢理に納得している…即ち、これが先程の俺が勝手に脳内で自らの精神を安定させる為の理論『私事時理論』で何とか俺はこうして私生活を乗りきっている。


 …だが所詮は自分勝手に都合の良い言葉で精神を安心させている身勝手極まりない理論であり、それを相手を不快にさせてまでも行ってしまうのはやはり可笑しいと言わざる終えない。


 だから安定していると頭と身体で言い聞かせているだけで、本当は直樹の返信をいつか返さなければというプレッシャーに毎日苛まれていた。


 しかし…今正に、再び直樹からメッセージが来ている。


 俺は心身の動揺で精神が再び不安定になり、その携帯を持ってる腕が小刻みに震えているのを目で見て漸く気付く程に狼狽えていた。


 ただ『お久しぶり…』と言葉を打って返信すればいいだけなのに、それが何故か出来ない。


 俺は、時間が進めば何かがどちらにしろ起きる…なら放っておいてまた引きずるより今日この場で謝るしかない…と覚悟を決めて『お久しぶりだな。』と返信することが出来たが、即座に直樹からの返信が来た。


 そこには、


 『ここに来て欲しい、私はここにいる。』


と昔の直樹の性格には到底思えない簡潔で命令口調なメッセージが届き、俺は余計に混乱が生じてしまった。


 俺はどう返信しようかとか、どう謝ればいいか…等相手を慮り、謝罪の気持ちを述べようと頭を働かせていたのにその相手の気持ちや都合を無視するかのような命令口調の物言いに少し怒りが芽生えてしまい、つい『おい、久しぶりなのにいきなりそんな事言われても…。』とつい反射的につい送ってしまい、少し焦ったがここまで直樹の事で狼狽してたのにそれを無碍にされた気がして感情に身を任せてしまった…。


 俺は反省をしたが今ならあの時のことを謝れるかもと思い、彼の返信が来たら今度こそ謝ろうと決心してメッセージが届くのを待った。


 ピロン…


 メッセージ音が今ざわついてる脳内に響く。


 俺は慌ててメッセージを見る。


 『ざぁ…ざぁ…ざぁ…。』


 言葉では無く、擬音が書かれているメッセージが届き、それを見た俺は何故か安堵する。


 なんだ…俺を誂っているってことはきっと直樹は許してくれているんだ…だけど久々で何話すか困惑している俺に気を遣っているんだと…いかにも自分勝手な解釈だがそう頭で変換しないと恐怖でおかしくなりそうだったが、己の勝手に脆弱している精神をなんとか奮い立たせ、直樹に『どうした?言いにくいことか?』と心配している風を装い返信を待つ。


 数秒で返信が来てもしかしたらこのまま相談の形になり、直樹との気まずい仲を払拭できるんだと期待したままメッセージを読んだ。


 『ここに…いる。きてほしい…ここ…ここ…。』


 このメッセージと共に1枚の画像も送られてきた。


 俺は少し不安になったが、あいつが手の込んだイタズラをするなんてと微笑ましくもあり…なんというか様々な感情が頭でかき混ぜられるかの如く目まぐるしく変貌してくのを感じて、俺はそんな直樹に許してもらいたかったのかと自らを嘲笑う程心の余裕もでき、俺は共にいた頃の直樹の笑顔を思い浮かべて、少しニヤついた。


 送られた画像は何なのか…はてさて、どんな写真が来たのだろうかと期待しながら余裕の心持ちで画像を開く。


 何処かの暗い部屋の様な場所が写し出されている写真で床はボロボロ、障子が破れている襖が斜めに乱雑に置かれてあり、ガラスがあったであろう窓枠にはガラスの割れた後しか残っておらず、明らかに廃墟の一室を撮ったのは間違いなさそうだ。


 直樹が廃墟で撮った写真を俺に送った上にここに来いと呼んでいる…意味がわからないがもしかしたら直樹は理由は分からないが廃墟探索に向かい迷ってしまったのではないかと不安になり、『そこは何処だ?迎えに行こうか?』と素直な気持ちを返信した。


 とは言ってもそもそも迷っているなら何処にいるのかも不明であり、もし本当に迷っているなら俺より警察に連絡したほうが良いのでは…と心配になるも、もしかしたらまだ冗談や悪戯の類ではないかという考えが頭から離れず…結局、俺が連絡を疎かにしてしまった事が発端の可能性もあると踏んで、恐る恐る『そっちに向かうから場所を教えてくれ。』と送り、数秒も立たずに画像が送られてきた。


 それはここからそう遠くないが住宅地から少し離れた場所にある山の近くをマーキングしたMAP画像で、俺は少し考え込んだあと直ぐ様、そこが直樹の家の近場だった事を思い出す。


 俺はこれが直樹に対する償い何じゃないかという使命感に駆られ、急いで支度をして指定した場所に行くことに決めた。


 時間も夜遅くなので本当なら車で迎えば早かったのだがそんな遠くない上にその場所は行きは良いが帰りが面倒で、その道は一方通行で帰る時引き返すことが出来ないのだ。


 なので仕方なく小回りの効く自転車で向かうことにしたが、万が一何かがあるといけないので色々と小物をリュックに入れて俺は自転車を迅速に漕いだ。


 夜遅くの住宅街は…流石に静けさが引いており、いつもは耳障りに覚えるほどの昼間の子供の声や自動車のエンジン音または、近くで行われている工事の騒音がこの時間だけ、とても恋しく感じてしまう。


 そんな静寂な住宅街を抜けた先は最早、音という概念すら消えたのかと思う程に静まり返る森林も田畑もない唯の闇が映える領域にいつの間にか脚を踏み込んだような錯覚に陥る。


 俺は送られた画像と記憶を頼りに直樹の家に何とか向かっている…と思うしかない程あの頃の記憶が薄まっていた自分を何故か恥ずかしさや後悔などが頭を目まぐるしく辿り、不思議な感情の中でいつの間にか目から涙を流していた。


 よく考えればあの時の連絡に一言…ほんの一言、『行こう』か『無理かな』と言えば済んだ話であり、精神に影響される程に参ってしまうとは流石に思わないだろう…。


 だが今は後悔もしてるしこの様な本気が冗談かもしれないが、それならそれでお互いの仲が修復される第一歩として歩めることができる切っ掛けを作ることができると俺は確信していくのが目的地を進むにつれて考えがハッキリしていく。


  直樹に会える。


 最初に会ったらなんと声掛けしよう。


 『お久しぶりだな!』と元気よく言うか…。


 『大丈夫だったか!』と心配を感情を高らかに出しながら駆け寄るか…。


 …どちらにしてもあいつが俺を頼らなければならない事態になっている事だけは事実であり現実である訳だから…俺は、直樹に会える緊張、喜悦、傲慢、不安…様々に入り乱れる感情を精神の軸に置き来ながら、自転車のペダルを早々と漕いでゆく。 


 そもそも本来はここまで歪み、ひずんで…そして構築し難いあり得ない程の不安定な精神にならなくていいはずなのだ。


 だってよく考えれば今の年齢の約三分の一で多く会っていたというだけの他人に思い入れする必要など本来ないわけである。


 この人といると楽しい…この人と共にしていると寂しさが和らぐ…この人と様々な場所を巡っていると何故かいつもの背景がより輝いて見える…。


 訳が分からない…俺はいつからポエム紛いなものを口から吐いてしまうほど女々しい人間になってしまったのか…俺はその思考を忘れ去るように頭を思いっきり振って兎も角、直樹がどうなっているかの確認を第一目標にし、気が付けば目的の場所にたどり着いていた。


 周りには光という光も無く、ただ広々とした敷地にぽつん…と一軒家のシルエットを象った建物がそこにはあった。


 周り見渡してみると人の気配もなく、昼間は別に平気と思っていたが夜に来るとより不気味さに拍車が掛かり、俺は進むのを躊躇してしまいそうになる。


 …しかし、ただ夜は暗く、昼は明るいだけでその建物一帯が変化するわけでも移動したりするわけでもない。


 …よく考えれば直樹の家には行ったことがない。


 明るく元気で、周りを巻き込んで必ず俺達の中心にいる程印象に残っているし、更には俺は数年前まで一緒に遊んでいたが…実は家のことに関しては一切今まで浮かんでこなかったのだ。


 一度も寄ったことのない…唯あの辺りにあるとしか言われなかったことを今更ながらに思い出し、自転車を漕ぐ脚が徐々に疎かになっていく…。


 背中から冷や汗が出始め、俺は今何処に向かっているのか、本当に直樹の家に向かっているのか…。


 そもそも直樹の家って…なんなんだ?


 記憶を辿る度に…目的の場所に近づく度に…俺は段々と今まで濃いと感じていた様々な思い出に違和感が出てきていることに気付きだし、体調に異変が起こりだし、。


 そういえば俺はこのメールが来た瞬間に直樹という存在が脳内から溢れ出してきて、さも今まで共に青春を駆け巡り、直樹という存在が俺の記憶の中心にいつの間にか居座っていた。


 おかしい…おかしいおかしい…!


 引き返そう…この理由のわからない鳥肌と違和感…それと吐き気…俺はもう耐えられなくなり、家に戻ろうと引き返す為に急いで後ろを向いた。


 先程まで俺の通っていた道は唯の一本道で、周りには何も無い敷地ばかりだった筈なのに…。


 そこには、襤褸襤褸の2階建ての一軒家がまるでずっと当たり前のように建っていましたよと言わんばかりに堂々と佇んでいたのだ。


 その襤褸屋を見た瞬間、記憶の中の片隅にも無かったはずの直樹とこの家で遊んでいる思い出が脳内に巡り始めてきて、その場で俺は頭を抱えながら蹲ってしまった。


 あんな場所来たこと無いのに…あんな襤褸襤褸の家なんかで遊んだことがあるはず無いのに…直樹が、玄関で丁寧に靴を揃えながら一緒に2階に行ってゲームをしたりしている…。


 あり得ない…あり得ないあり得ない!


 目で見ても廃墟になって数十年以上経ってるとしか思えない程の朽ちた一軒家に何故俺の思い出が染み込んでいるだ…。


 蹲る姿勢でまるで金縛りにあったように身体が動かず、気持ち悪い位に頭の中で直樹との記憶が噴水の如く湧き始めた。


 成人を越した祝いに、遥々東京・大阪・京都を連続して旅行した思い出…。


 成人式の同窓会後に2人だけで祝杯を上げた思い出…。


 高校時代に、生徒会長となったあいつを中心として様々なイベントや学業を盛り上げてきた青春の思い出…。


 中学時代に同じ部活で共に汗を流しながら全国大会にまで上り詰めた素晴らしい思い出…。


 小学生の頃は確か…いつも外で遊んで泥塗れになり、親から共に叱られたりした純粋な思い出…。


 幼稚園児時代も外で掛け回ったり、室内でブロック崩しなどしながら遊んでいた幼き思い出…。


 母親の横で俺と直樹が眠っている。


 母親の乳に俺と直樹が吸っている。


 母親が用意したご飯を俺と直樹が食べている。


 母親が嬉しそうに産んだ俺と直樹を見つめている。


 母親の胎内に俺と直哉がいる。


 俺の記憶の全てに…直樹がいた。


 そんなはずがない!


 確かに直樹は幼馴染だし昔から…いや赤ちゃん頃から2人一緒に…。


 あれ?


 頭を抱えていた手をゆっくりと下げながら顔を上げ、あの一軒家に目を移す。


 何度見ても唯の襤褸襤褸である。


 行ったこともない光景の筈なのに何故か懐かしさで目から涙が溢れ出てきた。


 分かる…憶えている…はっきりと、俺はこの家で…遊んでいたんだ。


 気が付くと俺の身体は勝手に襤褸襤褸の家だった建物に足が進んでいく。


 一歩一歩足を踏み出す度に頭から直樹が湧き上がってくる。


 …いや、全ての思い出が…人生の歩みが…この廃墟が脳の中枢から侵食されていっているんだ。


 来たこともない見たこともない足を踏み入れたこともない筈なのに玄関の場所や、家の間取りも何処で直樹とよく遊んでたのかも全て知っているかのように足が自然に…あたかも自分の実家に帰るように…俺はその廃墟に入っていく。


 憶えはないのに憶えている…記憶に無いのに記憶が植え付けられている…これは夢かなんかじゃなければ俺が今している事はなんなんだ…。


 本来の目的なんてもうどうでもよくなっていた。


 俺の目的はいつの間にか『直樹のいる場所に帰りたい。』に変わっていた。


 中は勿論荒れて、所々のドアは外れているし障子も破れ、更にはガラス窓さえも跡形もなく割られていた。


 それなのに、俺は外れた扉の前で戸を開ける仕草をやはりここに昔から暮らしているかのようにさも自然に行い、割れているガラスの前で映るはずのない己を確認し、破れている障子窓を凝視し経験していない思い出に浸ってしまう。


 何度も何度もそんな記憶は存在しない、あるはずが無いと己に問い掛けて自我を保とうにも侵食してくる直樹との思い出に意識が移り変わり、葛藤しながら足はある場所を求め歩いてゆく。


 朽廃して今にも崩れそうな床を踏んでるはずなのにその音はまるで新品で先程掃除したみたいにとてもが心地の良い滑らかな音が耳に染み付き、俺の気持ちは段々と小学生の頃の精神に戻りかけようとしていた。


 そして、リビングを抜け、少し歩いた先に2階へと続いている階段を見つけた。


 あぁ…ここを登れば直樹に会えるんだ。


 実際はここまで来たのにたったの1時間も経ってない筈なのに体感はもう5−6時間は経っていたんじゃないかと錯覚してしまう程にこの廃墟…いや、家では全身の感覚や本能が鈍ってしまい、俺は最後の抵抗と言わんばかりに顔の頬を両手で思いっきりはたき、自分は正常なんだと言い聞かせながら、階段を慎重に登っていく。


 一歩一歩進む度に昔、朝昼夜にこの段差を色々な感情を持ちながら歩いていたというあるはずのない記憶が目眩がしてしまう程、脳内に渦巻いていく。


 正気を保て…正気を保て…と己で強く意識していても、その脳に植え付けられた存在しない記憶が段々と五感全てにベッタリと取り憑いていく。


 朽ちた家、朽ちた床、朽ちたテーブル、朽ちたキッチン、朽ちた階段、朽ちたリビング…全て見覚えがないのに…俺は触感も視覚も嗅覚さえ、ここはお前の家だったと認識が改変されていく…。


 変わっていくという認識は出来ても、その歩みを止めることができない。


 改変された記憶が俺の…ぼくの記憶となって直樹がいる右奥の扉向こうの一部屋の前に身体が勝手に案内する。


 直樹…直樹君…なおき君…なおきくん…。


ぼくと一緒に居たなおきくんが部屋からぼくを呼んでいる。


 『あそぼ…う。あそぼう…。あそ…ぼ。』


 あそぼう、あそぼう…とぼくを耳の奥から手招きをしている。


 声がぼくを手招いている…。


 『おいで、おいで。』


 声が段々と耳元に近づいて来て、ぼくは先程までの仏頂面を笑顔に切り替えてなおきくんの待っている部屋にたどり着いた。


 『入って。何でもあるよ。じゅーすにおかし、げーむにまんが、すべてすべてぼくと君がすきなものがあるよ。あそぼう、呼んだんだから。あそぼうよ。』


 ぼくはなんの躊躇もなく目の前の扉を無邪気に思いっきり開けた。


 目の前に広がった光景は、只々昔の古き良き時代を彷彿とさせるアナログテレビに二世代前位のゲームが配置されていて、しかもお菓子もジュースも如何にも事前に用意されてたと言わんばかりにテーブルに置かれている。


 ぼくは懐かしいなああの頃の記憶が蘇る…いや、植え付けられた記憶が暴れ出していると言ったほうが正しい。


 …正しいが、そんな事はこの部屋に入ったらどうでもいい思考であることは明白であった。


 天国だ…ぼく達の青春が…思い出が…なおきくんが目の前にある…いる…。


 ぼくははしゃぎながら、ゲームをしているなおきくんの所に向かい、ぼくは元気よくなおきくんに声をかけた。


 「遊びに来たよ!!」


 なおきくんは動かしていたコントローラーを側に置いてゆっくりとぼくの方を振り向いてくれた。




 振り向いたなおきくんの顔は、ぽっかりと空洞だった。 




 その空洞の向こう側にはぼくの顔が映っている。


 映った顔のぼくは無表情でぼくを見つめていた。


 先程の声はきっとこの顔から発していたんだと気付いたその瞬間、ぼくは…いや、俺は今の状況が現実とかけ離れていることに…本当の、真実の記憶が漸く己の五感に縛り着いていた偽りの記憶が嘘のように飛んでいった。


 違う!違う違う違う!!直樹なんてやつは知らない!一緒に産まれるわけもないし、一緒に母親と寝たこともない!一緒に遊んだこともない、一緒に学校生活を過ごしたわけもない…ないんだないんだないんだないんだ…!!


 あのメール…たった一通のメールを見た瞬間に…俺にあるはずのない記憶が急に脳内に生えてきた!


 誘(いざな)われたんだ…誘われた誘われた!俺は…知るはずのないあり得ない存在に記憶をいつの間にか植え付けられた乗っ取られ、ここに誘導されてしまった!


 俺は漸く正気に戻ったが、この何モノかの空洞の中の俺らしき何かが凝視してるせいで金縛りみたいに体が動かず、その空洞の方に身体が段々と吸い込まれていくように少しずつ固まった身体が移動していく。


 空洞の中の俺のようなモノは、先程まで無表情だったが俺が空洞の中に近付けば近付くほどに口の口角が上がり、目も段々と生気が宿り、何か嬉しそうに俺の顔をした異形の存在がその空洞に入るのを待ち構えている。


 ヤバい…このままだと…俺は諦め覚悟で動かない身体を何とか抵抗しようとするが…やはり動かない。


 俺はどうなるんだ…怖い…悍ましい…家に帰りたい…俺の本当の家に帰りたい…。


 俺は恐怖で涙が溢れ出てしまった。


 そしてその涙が空洞に向かって飛んでいった瞬間に…空洞の向こうの顔に異変がで始めた。


 一雫…俺の涙が一雫当たる度に笑顔だった顔が再び無表情に戻ってく。


 そして無表情に戻っていく度に俺の身体の自由も段々と取り戻してきて、視線もやっと周りを見ることができる程の余裕が出てきた。


 身体を逃げる準備に向かわせながら辺りを見舞わす。


 先程まで子供部屋と錯覚していた場所は全面が何かに焼かれた跡が残っており、その跡にはそれこそ錯覚ではあるかもしれないが嘆いてる…又は恨めしそうな人の顔を模した影が壁一面を覆っており、その顔は心做しか直樹に表情を見せつけているように俺には見えた。


 そして、完全な無表情に戻った瞬間に俺の金縛りも完全に解け、もう無我夢中で部屋から脱し、階段も今見るといつ崩れてもおかしくないほど朽ちていたが、そんなこと気にするはずもなく早く外に出たいという感情で落下する恐怖とか全く考える余地もなく、兎も角外に出られる場所を必死に探した。


 階段を降りて、リビングらしき場所に窓枠があったので無我夢中でその窓枠に向かって飛びき、外に出た。


 やっと出れた…俺が安堵しながら再び廃墟に家に視線を向ける。


 廃墟の2階…多分俺が誘われたあの部屋を見て俺は驚愕した。


 他の箇所はよく見る襤褸襤褸の廃墟と言っても過言ではないほど老朽している見た目をしている。


 窓枠にはガラスも何もはまっておらず、場所によっては割れたまま残されてたりしている。


 壁も汚く、外れかかったドアも下に落ちてる小物もその廃墟が廃墟と認識させている。


 唯、その部屋…その部屋だけはまだそこに人が住んでいるとしか思えない程に、綺麗な姿を保っていた。


 外から見ても壁も綺麗で窓枠もちゃんとガラスと内側にカーテンらしき物がが付いているのがわかる。


 一見したら本当に人が住んでいると思わせる見た目をしていたが…そこから漏れているひかりが…なんというか赤の中に悍ましいという言葉が合うような黒色が混じっていて、血の色と表現した方が正しいかもしれない…そんな色の光が禍々しくその一部屋の隙間から垂れるように漏れ始めてきていた。


 それを見た俺は一目散に自転車でその場を離れ、後ろを振り向く余裕も無く只々自転車を走らせる…。


 走らせ走らせ走らせ走らせ…冷や汗と汗が段々と出てきてるのも忘れるくらいに思いっきり走ったらしく、家についた時は身につけていた服から汗が滴っていたがそんな事はお構いもなく、俺は急いで家の中へ入り、汗も拭かず服も脱がずにそのまま布団の中へ潜り込んで震えながらその日1日を過ごした。


 日が昇るのを鳥の鳴き声で気付き俺は布団からでる。


 出た瞬間に眩しい光が俺を包む。


 その光はあの時のこの世の光とは思えない禍々しい血の色を模した色ではなく、自然が発する綺麗で美しく…そして、生き物が生き物として生きていると実感させられる日の光で、そこで漸く…やっと俺は、家に帰ったという実感と元の世界に戻れたという安心感で恐怖と安堵で思いっきり泣いてしまった。


 一頻り泣いた後に俺は、携帯に手を掛ける。


 画面を見るとメールが沢山入っていた。


 『直樹』から来ていたメールは全て



 


『逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた…』




 俺はゾッとして勢いで携帯を思いっきり壁に投げつけてしまい、壁に当たったせいで液晶が割れ画面を見ることができなくなった為に、この際と俺は携帯を新しい物に変えることにした。


 メアドも全て変えて、最初は寂しい気持ちはあったがそれも日が進むに連れて忘れていき、気が付けばいつもと変わらない日常に戻っていた。


 あの時はきっと人との出会いを求めすぎたせいで異質な存在に目をつけられたんじゃないかと思っている。


 だからこれからは求めることを控え、なるべく独り身のまま過ごすことを目標にした。


 その日以降はあの『直哉』からはメールは来ておらず…ただ、その日からふと窓を見つめると夜にも関わらず自転車を走らせる青年を見かけるようになった。


 もしかして…という気持ちもあるがもうあんな経験は一生したくないなあとお酒を飲みながら涼しい自然の風を浴びながら優雅な気持ちで夜の空を眺めた。


 


 


 


 




 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 

 


 

 

 

 


 


 


 

 

 


 


 


 


 


 


 


 

 




 


 


 

 


 


 


 


 

 

 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 



 




 


 


 


 




 


 




 


 


 


 


 

 


 


 


 


 


 


 

 


 

 

 

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世、妖(あやかし)おらず ー招き誘う朽ー 銀満ノ錦平 @ginnmani

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