火消えて戻り立つ
黒助
第一章 再会の影
「同窓会のお知らせ」
画面の文字が脳裏に焼きついて離れない。
篠原大輔はスマートフォンを手にしたまま、じっと固まっていた。
差出人:桐谷悠真。
たったその名前が記されているだけで、胸の奥に冷たいざわめきが這い上がる。
文章は簡潔だった。日時と場所、そして「みんなで集まろう」とだけ。
だが、言葉以上に何かが引っかかって仕方なかった。
(今さら、なぜ?)
忘れたはずの名前。いや、忘れられるわけのない名前。
閉じようとした画面を、指先はなぜか閉じきれなかった。
三日後。
雑居ビルの古びた居酒屋。
暖簾をくぐると、ざわめきと酒の匂いが押し寄せてくる。
「よっ、大輔!」
大ぶりなジョッキを掲げた岡崎剛が声をかけてきた。
体育教師になった彼は相変わらずの快活さで、逞しい肩幅を誇っている。
「しぶとく生きてるさ」
大輔は笑みを返すが、胸の中のざらつきは消えなかった。
「慎也も来てるぜ。向こうだ」
案内された先には、宮内慎也が座っていた。
小説家として成功しているはずの彼は、どこか疲れたようにグラスを傾けている。
「大輔。やっぱり来たか」
「お前もな」
短い言葉。それだけで通じるものがある。
三人の間には、他の誰とも違う重さがあった。
「篠原じゃん! 本当に来たんだ!」
谷口美佐子が弾んだ声で近づいてきた。
都内でアパレルの仕事をしているという彼女は、学生時代と変わらぬ明るさを振りまく。
「奇跡だよね、こうして集まれるなんて」
「ほらほら、大輔! 飲め飲め!」
石田俊介がジョッキを差し出す。営業職に転じた彼は、社交的な笑顔で場を盛り上げている。
その隣で、ふと声がした。
「おーい篠原! ほんと久しぶりだなぁ!」
軽快な声とともに手を振ったのは野村祐介だった。
学生時代はどちらかというと影の薄い存在だったはずが、今では人懐っこい笑顔で皆に酒を注いで回っている。
「ほら篠原、乾杯しようぜ。こんな機会、なかなかないんだからよ!」
気さくに声をかけ、場を賑わせるその様子は、昔とは打って変わって明るく見えた。
「野村、お前……ずいぶん社交的になったな」
大輔が思わずこぼすと、野村は肩をすくめて笑った。
「社会に揉まれたらこうなるってもんよ。なあ!」
明るい調子のまま、ジョッキを打ち鳴らす。
場が一層盛り上がり、歓声と笑い声が店内を包んだ。
ただ、その輪の外にいる三人――篠原大輔、岡崎剛、宮内慎也だけは、曖昧な笑みを浮かべながらも内心のざわつきを拭えなかった。
「もう全員揃ったか?」
石田が声を張り上げる。
「まだだろ。俺がいるじゃないか」
低い声が背後から届いた。
そこに立っていたのは、ひとりの男。
薄暗い照明の下でもはっきりと浮かび上がる顔立ち。
「桐谷悠真だよ」
男は静かに名乗った。
「ああ悠真か! 懐かしいなぁ!」
「背ぇ伸びたじゃん!」
同級生たちは次々と声を上げ、明るく迎える。
場の空気が和やかになるのが分かった。
だが、大輔たち三人は凍りついていた。
(お前は……誰だ?)
たしかに名前は悠真。顔もそうだった。
けれど、仕草も言葉も、どこか別人のようだった。
「案内状、あなたが送ったの?」
谷口が屈託なく尋ねる。
「ああ。みんなで集まれたらと思ってな」
悠真は笑みを浮かべる。
その裏に沈む影に気づく者は、わずかしかいなかった。
宴は続く。
野村も冗談を飛ばし、石田と肩を組んで笑い合う。谷口は写真を撮り、懐かしい思い出話が飛び交う。
だが、大輔たちの胸には重く鈍い塊が残り続けた。
「お前ら、顔が固いぞ!」
野村が笑いながら言う。
「たまには昔を思い出して楽しめよ。な?」
気さくな笑顔が返って痛い。
三人は曖昧に笑い返すしかなかった。
店を出た夜風は冷たかった。
明るく騒いでいた店内とは対照的に、街は静まり返っている。
「お前らも、感じてるよな」
剛が呟いた。
「ああ。……あいつは悠真か?」
「違う。でも、証拠はない」
慎也が唇を噛む。
「けど……あいつは誰なんだ?」
大輔の言葉が夜空に消えた。
その夜から、大輔は眠れなかった。
(なぜ?)
考えても考えても答えは出ない。
だが、脳裏に浮かぶのは悠真の顔だけだった。
数日間、疑問は大輔の胸を食い続けた。
仕事中も、帰宅後も、考えが離れない。
(何が、違う? いや……アイツは誰だ?)
胸の内で声が繰り返す。
そしてある日、大輔は決断した。
ふたりに連絡を入れた。
待ち合わせの喫茶店。
陽の傾いた窓辺で、剛と慎也が揃った。
「やっぱり、お前も感じてたか」
剛が開口一番言う。
「考えない日はなかった」
慎也が苦笑する。
「俺たちだけが、気づいてる。だからこそ……」
大輔は言葉を選ぶように言った。
「……確かめに行こう」
「もし、考えすぎだったとしてもな」
剛が静かに応じる。
「戻るしかない」
慎也も頷いた。
「三人で、だ」
そうして、三人の決意は固まった。
静かに閉じる扉の向こうで、過去が目を覚ます。
それを、三人は確かに感じていた。
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