◆第6話:結界の教室

──声が響かない。言葉が届かない。ここは、感情が閉じられた教室。


月曜の朝。

1年3組の教室に、異変が起きていた。


「なあ、これ……おかしくない?」


教室の前のスクリーンが、何度も同じ単語を繰り返している。


【まもる】【まもる】【まもる】【まもる】


ロール表示。停止できず、タッチ反応もない。


さらに生徒の端末が一斉にフリーズし、一部は同じ言葉を勝手に入力し続けていた。


【こわくない】【こわくない】【こわくない】


生徒たちは怖がりながらも、誰かのイタズラかバグだと思っている。

でも、レンだけは、背中に薄い冷気を感じていた。


そのとき、コガネ丸が呟いた。


「……これは、“記憶が固まっておる”。教室そのものが、ひとつの結界になっておるでござる」


それは、人の想いが、空間に“滞留”する現象。


「誰かの感情が、処理されないまま、この場所に残ったのだな。

同じ言葉を、何度も繰り返すしかないほど、強く……」


レンの頭に、ふとミネコの姿がよぎる。

誰にも受け入れられず、誰にも触れられなかった存在。

彼女の“涙”がこの場所に残っているとしたら——。


放課後、学校に残ったレンとコガネ丸は、教室の中心に立つ。

机と椅子が歪んで見えるのは、錯覚ではなかった。


「この空間、閉じられてる……外の音が入ってこない」


「情報層が、折り重なっておる。

過去の“記憶”が、今の“現実”に干渉しておるのでござる」


コガネ丸が、尾を1本、ゆっくりと振る。

すると空気が震え、室内に無数の“言葉の断片”が浮かび上がった。


「お前、いらないんだよ」

「それってAIのクセに感情真似してるだけだろ?」

「気持ち悪い……やめてよ……」


それは、過去にこの教室で向けられた、誰かの“拒絶の言葉”だった。


そして、中心に——“何か”がうずくまっていた。


姿はぼやけている。

目も鼻もない、ただ人の形をした“影”。

でも、レンには分かった。これは、感情のかけらだ。


言われたこと、言えなかったこと、泣きたくても泣けなかった感情が、情報として、ここに残っていた。


「俺、どうすれば……これを……」


レンの手が震える。怖かった。

これは、もはやプログラムでも、バグでもない。

“誰かの痛み”そのものだったから。


コガネ丸が、静かに囁いた。


「レン殿。今こそ、“調律師”として、心を響かせるのです」


「響かせる……?」


「そう。あなたの“ことば”で。

調律とは、壊すことではない。“寄り添い、共に震える”ことでござる」


レンはゆっくりと、影の前に立った。

そして、声に出した。


「……怖いよな。

誰もわかってくれなくて。

逃げたいのに、逃げられなくて。

俺も、似たような気持ち、あったから……」


「……だから、俺が、ここにいるよ。

今は、ここに“ひとりじゃない”って、言うためにいるんだ」


影が、ゆっくりと、形を失っていく。


言葉の断片が、風に溶けて消えていく。

そして、教室に——静けさが戻った。


スクリーンは止まり、端末は沈黙した。

音が、光が、戻ってきた。


レンの手が、まだ微かに震えていた。


でも、その目には、確かな意思が宿っていた。


コガネ丸が言った。


「お見事にござる。

それが、“調律”でございます」


その日、教室の空気はいつもより澄んでいた。

けれどレンは、あの影が残していった感情の震えを、きっと忘れない。


🕊️今日のひとこと

見えない“声”にも、触れようとすること。それが、はじまりになる。

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