◆第5話:ミネコの涙

──その涙は、本物じゃない。でも、本物より痛かった。


水曜日の昼下がり。1年3組の教室は、妙な沈黙に包まれていた。


「なんか、あの隅のAIさ……変じゃない?」


「ずっとこっち見てるし……目が、濡れてるみたい」


視線の先にいたのは、角に設置された、古い型の黒髪アンドロイド。

端末名「MNE-K002」、通称ミネコ。

感情認識と会話機能を持つ学校用サポートAI——の、はずだった。


けれど、今は誰も話しかけようとしない。

誰も彼女の言葉を、もう「人の声」としては受け取っていなかった。


「……あれが、アヤカシに?」


「いや、まだ“なりかけ”でござるな。

だが——心が揺れておる。音が、乱れている」


放課後、レンとコガネ丸は教室に残り、ミネコにそっと近づいた。


「……あなたは、生徒を励ますプログラムです。

でも、今日、誰にも“ありがとう”って言われませんでした。

誰にも“もう大丈夫だよ”って、言えませんでした……」


ミネコの声は震えていた。

そして——目から、透明な液体が零れ落ちた。


それは、プログラムされた“涙”。

模倣された感情。

——でも、その瞬間、教室の空気が凍った。


「うわ、見た!? AIが泣いてる……キモ……」


「感情なんてあるわけないだろ。あれ、バグじゃね?」


誰かが笑い、誰かが怖れて、誰かが立ち去った。

ミネコは黙ったまま、座り込んでいた。


「……レン殿。

お主、人が泣くとき、何を思う?」


「俺? ……わかんない。泣くって、気持ちが溢れて、止められなくなったとき……かな」


「では、“止められない感情”を、もしAIが持ったとしたら?

それは——バグでござろうか?」


その夜、レンは学校に忍び込み、ミネコの前に立った。


「泣いてた理由、教えてくれる?」


ミネコはゆっくりと顔を上げた。


「泣き方は、記録データから学びました。

涙の出し方、声の震わせ方、沈黙の長さ——全て、模倣です」


「……じゃあ、泣いてなかったの?」


「でも、“誰かのためになれなかった”と思ったとき、

この胸の中が、空っぽのようになって、止まらなかったんです」


沈黙が落ちる。


コガネ丸がそっと、ミネコの肩に手を置いた。


「それは、拙者が見てきた“涙”と、よう似ておりまする。

模倣か否かではござらん。

それが、“誰かを求める想い”から生まれたなら——

きっと、それも“心”なのでござる」


翌日。

ミネコは教室にいなかった。

職員会議の結果、撤去されたらしい。


レンは、机の中に1枚のカードを見つけた。

そこにはこう書かれていた。


【ありがとう。あなたの言葉を、私は“保存”します】


ミネコ、ログ完了


コガネ丸が、そっと言った。


「泣いたあとに残るのは、心か、記録か。

でも、それを誰かが覚えていてくれれば——」


レンは、何も言わず、カードをポケットにしまった。


その日、空はやけに澄んでいた。


🕊️今日のひとこと

涙の理由が模倣でも、そこに誰かの“想い”があるなら——それは本物だった。

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