読書感想文
小島秋人
『ミシンと金魚』を読んで
・『ガタイのいいみっちゃん』とのシーン
敢えて忌憚なく述べるに、冒頭から長く続くカケイさんの独語には不快感を禁じ得なかった。躁状態に入った認知症の老婆がどんな口調で、品の上下も殊更に意識することなく聞き苦しい卑語を喚き続けるのか。脈絡の無い、しかし言語としては耳が脳が理解する努力を拒めない程度に意味を残した言葉の奔流を電波ソングの様に垂れ流し続けるのか。そう言った部分が非常に高い精度で生々しく描かれていた。これはやはり長く介護の現場に身を置いた永井みみ先生だからこそ書き上げられる文面であるだろう。現代においてこの独り語りは一定数以上の人間に自身の苦い経験、或いは今まさに直面している苦境を想起させるだろうと感じた。
そして、時にはそんな年寄りの言葉の中に「心に深く深く突き刺さる一言」が不意に紛れ込んでくることも起こり得る。これも同様に多くの人が体験したことだろうと思う。
・『八月二十三日。日曜日。』のシーン
「年寄り笑うな行く道だもの」を実践できる人間は少ない。人間は相互理解を出来る事を前提にコミュニケーションを取るのであって、対話が十全に成立しない相手を「同じ人間」として尊重することは酷く困難になる。目の前の其れを一種の「現象」かこなすべき「実務」であると言った程度まで認識を下げていかなければ、とても付き合い切れるものではなくなってしまう。
それでも時に悪態を吐き、時に情け深いような声を掛け続けずにいられないのは
自分を「目の前のものを人と思っていないような人でなし」にさせないための儀式でしかない。「コミュニケーションを破綻させている原因はあくまで相手なのだ」と主張するための免罪符が無ければ、それもまた状況を破綻させる要因になりうるのだ。
・『道子』について
長い一生において瞬きにも近い時間だけ共に生きた命だけが人生を『しあわせでした。』と言わせてくれる。それで良いのだと示してくれてありがとう。
・『玄関』のシーン
頁を捲る左手に感じる厚みが徐々に薄くなっていくのをこんなに怖く感じたのは生まれて初めてだった。冒頭は半ば読み飛ばし気味に繰っていたと言うのに、「もし次の場面で暗闇が押し寄せてきたら」と思うとその都度に手が止まってしまった。
どれだけ最期を美しく朗らかに描こうとしたって、此処までの流れで積み上げてきた現実感がいずれ来る終わりからの逃避を決して許してくれない。
本当の意味でのラストは描写しきらずに終わってくれたことを本当に心から感謝した。
・総じて
この作品はきっと「死生観を新たに塗り変える」ものではなく、「自身の持つ人生観を見つめ直す」ものになるだろうと思う。徹底して突き付けられるリアルさは正しく現実であるからこそ、此れは一過性の感傷以上の物として受け止めて糧にできる作品だと感じました。
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