気になるあの子と空模様

 平和だなぁ、と思いながら、俺は学校の階段の上で横になっている。わかりやすくいうと、縦にだ。階と階段とを繋ぐその境目に頭を置き、背中に当たる段差はあまり居心地の良いものではないけれど、これでも夏の暑さに抗っていると主張しよう。こんな時期とはいえ、学校の床は冷たくて心地よい。汚いって? そんなの当たり前だろう。けど安心して欲しい。担当の掃除がこの階段だったから、死ぬほど磨いたに決まってるだろう。そんな俺が今、この場所でこんな姿勢をとっているのには深〜いワケがあるのだ。もちろん邪魔にならないように、端っこに居座っているわけだが。


 じわじわと首筋を伝う汗。

 どこか遠くから聞こえる吹奏楽部の旋律。

 開いた廊下の窓から響き入る陸上部特有の盛り上がり。

 今、学校は夏の青春真っ只中だ。もうすぐ夏休みが始まることからも、生徒一人ひとりがその楽しみに胸を躍らせている。俺もその一人ではあるが、今はある訪れのためにこの場所を離れられない。ぶっちゃけ、現状、今はこれが、俺と彼女とを繋ぐ唯一の接点なのだ。


 クラスが離れた、気になるあの子。長いポニーテールが、やや日に焼けた肌と相まってとても扇情的なのだ。ひと目見た時から、俺の視線は彼女に釘付けだった。中学校の頃から陸上部をやっていたからと本人は悔しそうに言って頬を膨らませていたが、なんという愛らしさたるや。どうにかお近づきになりたいと懇願して早数年。気付けばなんの進展もなく俺たちは高校三年生になっていた。勉強、部活に進路あれやと忙しない毎日。クラスが違えば言葉を交わすこともほぼない。残念なことに、俺は帰宅部だ。放課後のチャイムを合図によーいどん、と帰らなければならないが、とあるきっかけをいただいてからはこの場所で彼女がくるのを待っている。

 その俺がいるこの場所というのが、ちょうど例の女の子(陸上部キャプテン)が顧問を呼びに行く都合上、職員室までの近道なのがこの階段というわけだ。

 蝉が鳴いている七月上旬。スマホで時間を確認しながら、俺は首を長〜くして待っている。たった一言二言、交わすだけの時間だが、俺にとっては貴重だ。いつだったか、「加藤くんはクールだね」といわれた時もあった。けれど、それは大間違いである。あの子を前にすると、悶々と考えていた会話パターンなどは全部吹き飛んで、ぶっきらぼうな返事しかできなかっただけなのだ。

 毎日後悔している。もっとまともな返しがあっただろうと。

 そんな日々の追憶に意識を向けながらも、今日はなんだか遅いな、となかなか訪れない彼女に不安を抱いていた。どうかしたのだろうか? 練習中に怪我でもしたか? あるいは風邪? でも、そのクラスの内通者(俺の心情を知る者)から今日は休みだという報告も聞いていないな。彼女は一年の頃から皆勤賞だし、その線は薄い。だとしたら前者か。

 ……帰るか、とむくりと起き上がる。そして、再び寝そべる。

 聞こえた。彼女の声だ。おそらく一番上の階から、この階段を降りてくる足音。喜びと同時に、少し、残念と思う。きゃっきゃと楽しそうに、おそらくは同じ部活仲間の女子同士仲良く会話をしているのだろう。これでは目配せ合図の軽々会釈で終わりだ。目を瞑り、息を吐く。今日のところは諦めよう。そう決めたところで、


「で、いつ告白するの?」


 という女子生徒の声がする。おれは自然と、会話を逃すまいと聞き耳を立てていた。


「ちょっと、やめてよもう! そんなんじゃないったら!」


 元気いっぱいの、彼女の声が聞こえた。それだけで心臓はバクバクと高鳴っている。

 声でわかる、向日葵のような眩しい笑顔。彼女たちのじゃれあう声が楽しそうで、ついこちらの頬も緩んでしまう。いや、待て、違う。違うぞ? 決して変態とかそういうものじゃないからな。

 やがて上階のどこかの踊り場から、今度は二人が駆け足になって階段を降りてきているのを察する。


「キャーーー! やめてやめてー! それはハードル高い! 待ってダメー!」


「へっへーん! 二人とも奥手すぎ! 恋愛は、進んだ方が勝ちなんだよ!」


「だからってダメーーー!」


「にゃははーーーー!!」


 だん、だんと力強い降り方が聞こえるのは、階段と飛ばしているからだろう。あまりに危険だ。運動神経が良いからって、やっていいことと悪いことがあるだろう。怪我をしてからじゃ遅いんだぞ。

 そんなお節介など言えるはずもなく、俺は今日のところは引き下がるか、と数回瞬きをした。その時だ。


「あ」


 勢いのまま降りてきた彼女の視線と、交わる。同時に、その瞳が、ふわりと舞った布に遮られる。

 本当に、一瞬のことだ。しかしこの一瞬を、俺は永遠に忘れない。

「きゃあ!」という驚きの声が聞こえたと思えば、彼女が現役さながらの身体能力で俺を飛び越えてみせる。その脚力、前世はうさぎか? まじで危ないぞ、などと考える余裕もない。

 俺は少しの間、呆気に取られていた。


「…………水色、か」


 噛み締めるように呟き、ゆっくりと起き上がる。すると踊り場で必死にスカートを抑えている彼女が、顔を真っ赤に染めてコチラを見ている。


「あ、あああ……っ!!」


 そんな俺たちの様子を見ていた知人(内通者)は、なぜか彼女の携帯を持って楽しそうにニヤニヤと笑っている。なぜ制服のままなのか、部活はどうしたのかと聞きたいことはあったけれど、「馬鹿! 変態! えっち!」と叫ぶ彼女に遮られてしまった。

 謝罪を繰り返す俺のズボンで、スマホが一件の通知を知らせていた。


 そのあとは結局、騒ぎを聞きつけた教師により「危ないぞ本当に勘弁してくれ」と魂のない顔でいわれるもんだから、俺は笑ってしまったんだ。彼女はしょんぼりとしていたけれど、上から見えるそんな一面も可愛いと思ってしまっていた。そんで反省の色がないと担任に言われて二重に怒られる。理不尽だ。でも、それでもよかった。おかげさまで、一緒にこうして帰れるんだから。


 何を話していたか覚えてはいないほどには緊張していた。けれど、おれはスマホの通知画面を見てニヤケが止まらない。


『“陸上とんこつ博多バーベキュー”さんがあなたを友達に追加しました』


 くすりと笑う俺に、彼女はやや不機嫌そうに言った。


「何笑ってるのよ変態」


 俺は知人に感謝しながら、二人で夕陽に染まった道を歩幅を揃えて歩いている。


「お前、LINeの名前独特すぎねぇ?」


 耐えきれず吹き出した俺の脇腹に、彼女の重い鉄拳がクリティカルヒットした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日はきっと、誰かのご褒日。 浅倉由依 @asayu-0731

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ