大日本帝国はなぜ戦争をやめられなかったか

@bartlen_games

戦争とギャンブル中毒



第一次世界大戦後の日本は、世界の戦場に直接深く関与しなかったにもかかわらず、戦勝国として国際的な地位を高めた。これにより国民の間には「やれば勝てる」という幻想が広がり、一種の成功体験が定着した。この体験は、まるで初めてのギャンブルで偶然大当たりを引いたようなものであった。そしてその快楽は、国家全体をギャンブル中毒のような精神状態へと誘っていった。


この錯覚が強まったのは、近衛文麿内閣の時代である。昭和12年、日中戦争が始まると、政府は強硬な姿勢を取り、和平の可能性を断ち切った。これと連動して新聞・ラジオなどのメディアは、皇軍の快進撃を美談や英雄譚として報道し続け、戦争を正義と誇りの象徴に仕立て上げた。


国民はその情報に熱狂し、自らも戦争の一部であるという意識を深めていった。結果として、戦争遂行を是とする民意が国政にまで影響を与える。1942年の総選挙では、大政翼賛会の候補が圧勝し、戦争継続の流れがますます強まった。ここに至っては、政府が国民を煽動したのか、国民の熱狂が政府を押し上げたのか、もはや区別がつかない状態であった。


その後、日本は真珠湾攻撃をもってアメリカとの全面戦争に突入する。しかし、この時点でようやく「この戦いに敗れれば、国家の全てが崩壊する」という現実に気づく者も現れ始めた。だが、それを声に出すことは難しかった。国家、天皇、国体、誇り――それらを賭けたギャンブルの最中に「降りる」とは、すなわち敗北を認めることに等しかったからだ。


こうして、日本は止まることができなかった。敗北の現実よりも、勝利への幻想を選んだ国家は、ついにはその代償として焦土と化す運命をたどった。


この過ちの核心には、戦争を進めた権力者だけではなく、それを支持し熱狂した国民の姿があった。日本はドイツのように徹底的に洗脳されたわけではなく、むしろ"自ら賭けに出た"国であった。そしてその賭けに敗れた時、人々はようやく現実の重みに気づいたのだった。

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