病と恋人ときさらぎ便

 君は、大きな秘密といったら何が思い浮かぶかな。

 私は(小さな嘘は省くとして)2つ、嘘をついている。一つは彼氏以外に。実は、なんていうか、まだ彼氏がいるのにえっちをしたことない。ABCのAまでしかいってないってこと。そーゆーことする前に物理的な距離が離れちゃったから。実はそれがちょっとコンプレックスだったりもする。

 あともう一つは、逆に彼氏だけに内緒にしてる。友達とか家族とかには話せたけど、やっぱりちょっと勇気が足りないみたい。また、他の皆んなみたいにわんわん泣かれちゃうかもしれないし、泣かれなかったらそれはそれで傷つくし。

 何かっていうとね、それは――


「うん、うん。……ううん、ごめんね。それじゃあ、また。大好きだよ」

 翼との電話が終わり、既に準備を済ませた身に鞄を背負わせ扉を開けると、寒波が部屋に吹き込んでくる。まるで出かけるなとでも言っているようだが、あいにく友達との約束は破れない。

 団地の階段を駆け下りる。右側に寄っていると、他の住民が空けた扉にぶつかるから左側通行を心がける。でも、幸か不幸か今日は誰とも出会わなかった。

 いつだったか衝動買いしたハイヒールを、せっかく買ったんだしもったいないな、と履いてきたおかげでちょっといつもより身長が高くて新鮮。帰ってきてから足裏が痛くなっちゃうのが怖いけど、かわいいに犠牲が伴うのは江戸時代の毒おしろいのときからずっとそうなので仕方ないね。

 目の前で信号が赤に変わったのを見て右に曲がる。どっちみち距離変わんないし。と思ったら知らない道に出ていた。あれ、また迷ったぞ? いったい何年住んでると思ってんだ、なんて桜ちゃんが一番言いたいよね。

 ショルダーバックから携帯が鳴る。緑のアイコンに白吹き出しのアプリから通知が来ている。

Sakura 『まだつかない感じ?』

 近くの電柱に体を預けてチャットを打つ。私は偉いから歩きスマホはしないことに心がけてる。本音を言うといつもイヤホンつけてるしYoutubeMusicのプレミアにも所属していないから弄ることがほぼ無いのだ。

『遅れる〜、今日もまよっちゃった』

 ぱぱっと返信、画面をスリープさせて電柱から体を離すとすぐ、通知がポケットを震わせる。

『も〜、また? 何年住んでるのよ』

 おっしゃるとおりです。スマホから前に目を向けると、少し遠くに今度は自由の女神のアイコンが見える。目的地は、すぐそこだ。


「っはよー!」

「もー、また遅刻! いつも言ってるけど10分前行動を心がけなさい!」

 本来は10時集合のところをすでにぴったり10時10分。桜ちゃんはすでになんとかなんとかフラペチーノみたいなやつを頼んでいた。私も同じの欲しい、と名前を聞いてみるけど覚えきれないから今日もやっぱり指差して頼もう。

「まあまあ、遅刻はいつものことですから」

「それ遅刻した側が言うセリフじゃないよ」

 桜ちゃんがドリンクを飲む。週末になると私たちはいつもスターバックスに集まって、互いの溜まった愚痴とか惚気とかを言い合う。たまに遊びに行ったりもするけど、ダベっているのが日常だ。

「なんか最近彼氏がそっけなくってさ〜。なんかえっちもマンネリ化してきてるっていうか」

「え、えっちってそういうもんなの? なんていうか、飽きとかマンネリとかあるんだ。3大欲求の一つにも数えられているのに」

「なーんか盛り上がんないのよね、なんて今のここみちゃんにいってもどうしようもないけど」

 はーあ、と桜ちゃんは溜め息を付く。勘違いしないでほしいのだが、私が恋人いない暦=年齢ってわけじゃなくて、彼氏と別居しているからできないのだ、その、えっちが。いや、ほんとのことをいうと、したことがない。いつもなんだかんだで保留になっちゃうのはなんでだろうって当時も思っていた。ちなみにこれは、皆んなにはナイショだ。

「ここみちゃんはしたくなったりしないの?」

「ないわけないでしょ! でもやっぱり遠距離恋愛ってつらいよ、浮気すごい怖いし」

「あー、聞くねえそれ。自然消滅がないだけでも上手くいってる方だとは思うけどねえ」

 毎日律儀に電話してるからね、と言ったところで、キャラメルアップルルイボスティーお待ちのお客様、と呼ばれた。メモを見てみると、あ、私だなと気がつく。桜ちゃんにちょっとだけ手を振って席を立つ。

「わ、見るからにカロリーありそう」

 ピンク色で飲み物というよりデザートに近い自称「ティー」を持って机に向かう。桜ちゃんはもう飲み干しちゃったみたいだけど、ダイエットとかしてるんだろうか。私は体重が減ってきてるけど。

「あー、私も翼くんとえっちしたーい!」

「声大きいよ」

 桜ちゃんはストローをくるくると回して手遊びしている。私も一口ドリンクを口に含む。

「ところで、あのことは翼くんに言ったの?」

 フラペチーノの甘ったるい味が、体にしみる。

「……まだ」

 体温より冷たいドリンクは、私の喉を冷やしながら通っていく。喉から背筋にかけて、体温が下がっていく感触がある。

「早く言ったほうがいいよ。もう、あんまりチャンスは無いでしょ。後悔したくなくない?」

 わかってるよ、という代わりにもう一口ストローを吸った。「どこかで言うよ」と私が言うまで、沈黙は続いた。「ま、それならいいけど」と桜ちゃんが言うまで話題が弾むことはなかった。声のトーンは低かったし、私も低かったと思う。

 話を変えてしばらく談話していたら、外はすっかり朱に染まっていた。「冬は夜が来るのが早いね」と桜ちゃんが立ち上がる。タルトとドリンクだけじゃ、おなかが空いてるように見えた。

「そろそろ解散しますか」

「んー、お腹すいた。あっきーご飯作ってくれてるかな〜」

「えー、彼氏がご飯作ってくれるの羨ましい〜」

 桜ちゃんが手を振って帰っていくのを手を振り返して見送った後、私も帰るか、と振り向いた。今日も私は食欲がない。でも食べなきゃ生きていけないから、家でカップ麺をすするだろう。

 ぼんやりと歩いて、団地に辿り着く。ずき、と腹痛がして、階段前で座り込むと、足の力がふわりと抜けていつの間にか地面に転がっていた。いたい、いたい。両手でお腹には、痛み以外の感覚がない。頭の中はちかちかしてて、意識がぼんやり、ちょっと心地よく薄れていく。

 あ、これ、死ぬ。ちょっと早いけど、もう死んじゃうのか。ちょっと頭に浮かんだ走馬灯の中には、『ところで、あのことは翼くんに言ったの?』という言葉だけが、未練がましく反響していた。



――ああ、応援に来てくれたんだ、夏大会。

――もちろん! シュート決めててかっこよかったよ!

――ああ、ありがと!……ところでさ、俺、ちょっと言いたいことがあって

――言いたいこと? 何? 宿題はまだ終わってないよ

――違うよ! えっと、だからさ、あーもー、ムードが消えたな

――何がいいたいのさ

――だから、篠原心美さん、俺と――

「翼くん!」

 ばっ、と起き上がると、目の前には「白」が広がっていた。部屋でも何でもなく、完全な「白」。感触とかもなく、一体自分がどこに座っているのかもわからない。

「お目覚めですか、お客様」

 声のする方を振り返ると、黒い服をきた人が背筋をぴんと伸ばして立っていた。礼儀正しく、完全な左右対称にも見えて、薄気味悪い。でも真っ白の部屋と対比されて美しくも見えた。

「えっと……こんにちは?」

「こんにちはお客様」

 なんでこんなことになっているのだろう。自分の記憶を遡る。そうだ、私は腹痛で倒れて、その後――

「お客様はお亡くなりになられました。ここは、いわゆるこの世とあの世の狭間のような場所です」

 言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。あ、私は死んだのか。自分ではこういうときはもっと取り乱すかと思っていたけど、想像より頭は冷えていた。

「一応、なんで死んだんですか?」

「膵臓がんでございます」

 あ、やっぱりか、と思った。2ヶ月前、私は余命宣告をされていた。余命は5ヶ月、と医者からは言われていたけど、またずいぶんと早く死んだな、と自分でも思う。

「それで、ここで天国にいくか地獄にいくか決める、みたいな感じですか?」

 黒服は体のパーツ一つ動かさない。人形よりも生気がない。

「それは、私が関知する内容ではございません。私の仕事はただ一つ」

 黒服が歩き出した。もしや人ではないのでは、と思っていたから、生きていたんだ、いやここで生きているというのも変か、と思った。黒服は私の側に歩いてきて、バッグをごそごそと漁ると、

「誰かにお手紙を、出したくはありませんか」

 中から紙を取り出した。

「……手紙?」

 黒服は私の左方向に移動する。するとたまたま死角にあったのかそれとも今出したのかもわからないが白い机と、万年筆や本、水の入ったグラスなどが置いてあった。

「私のお仕事は、言うならば死者の郵便配達員です。貴方様が生者に言い残したことがあれば、手紙を一通送ることができます。送り終えた後、成仏していただく、という形です」

 へー、不思議な制度だな、と思った。でも、よく考えてみると遺書を残し忘れた人や急死した人が言い残したことを伝えられるなんて、便利でロマンチックな制度だ。

「ちなみに、手紙を預ける際少量ですが料金を頂くことになるので、お金を払ってでも手紙を貰ってくれる人を選んでください」

 あ、だから恨みの手紙とかは出せないのか。出す気ないけどさ。

「いくら取るんですか?」

「30円です」

「へー、なんでですか?」

「6文で、1文銭を5円玉に数えています」

 思わず、くすり、と笑った。なかなかユーモアのある人なのかもしれない。

「いつまでに手紙を書き終えなければいけない、とかありますか?」

「特にここでは時間が流れていないので、ご自由に」

 手紙を書く意思が感じられればですが、と付け加えた。死者の郵便屋も忙しいのだろう。

「じゃ、書きます!」

 机に向かい合ってペンを取る。しかし、いざ書いてみるとなると難しいな。手紙なんて今の時代、まともなものを書いたことがない。

「もし文字を間違えてしまった時は、そのグラスの中のお水をお使いください。指につけて擦れば清めてくれます」

「へー、すごい便利だね」

 試しに端にインクを付けて水で拭いてみる。するとみるみるうちに白くなって、ぱっぱと落とすと紙もあまりふやけていない。死後の世界って、便利だなあ。

 しかし、手紙はまったくわからん。書き出しから終わりまで、どうすればいいのだろう。思ったことを言語化できない。起承転結とか、気にする必要あるのかな? 手紙に向かい合ってうんうん唸っていると、後ろから声がかかった。

「よければ、お手伝いしましょうか?」

「……え、お手伝い?」

 手紙を書くという行為はてっきり個人で完結するものだと思っていたから、手伝いという単語が飛んできてびっくりした。

「最近、特にお若い方はお手紙の書き方がわからない、と言う方が多いんですよ。なので、添削や表現の推敲などを私が担当することがあるんです。最終的に書き直してもらうので、文字はお客様のもので届きます」

 それは、助かる話だと思った。実際、私はそれに該当しているのだ。

「あ、じゃあお願いします!」

 郵便屋さんが机の向かいに座った。

「誰に送りたいですか?」

「えっと、向井翼……で送れます?」

「わかりました、向井翼さんですね」

 同姓同名とかもいるのに詮索されないってことは、私の人間関係は把握してるんだ、と思った。

「それでは、書き出しを。私を書きたい相手と思って、話す感じでお願いします」

 あ、はい、と言ったところで、別の問題に気がついた。これ、めっちゃ恥ずかしい!

「えっと、じゃあ……つ、翼くん、死んじゃってごめんね。急だとおもうんだけど、えっと、だからぁ……うぅ、恥ずかし……やっぱ今のナシ!やり直す!」

 黒服がコップの水を手ですくって手紙をなぞった。仕草一つ一つがいちいち上品だ。

「翼くん、死んじゃってごめんね。なんで急に、って思うかもしれないけど、実は私、ちょっと前にお医者さんから膵臓がんで余命数ヶ月だって言われてたんだよね。もちろん翼くんには言う予定だったし、予定より早く死期が来ちゃって。ごめん、ほんとごめん。……ふう、一旦タンマ。書きたいこと考える」

 言ってみてやっと気がついた。そうか、私、死んじゃったんだ。頬を一筋涙がつたって、や、と思わず隠してしまう。死んでいても、涙が出るんだ、と思った。

 やりたいこと、まだまだいっぱいあったのに。もっと楽しい人生送りたかったのに。あの日病院で思ったことを、今反芻してしまってる自分の弱さが、胸に刺さる。

「あ、ごめんなさい……続きいきますね。私、もっと翼くんと一緒にいたかった。やっぱり、ちょっと無理してでも会いに行ったほうがよかったね。あと数ヶ月したら行こうと思ってたんだけど、行動が遅いのが私の欠点だって今思ったよ。覚えてる? 初めて翼くんとデートしたときのこと。水族館だったよねえ、マグロは寝る時も泳ぐんだよーって、なんか得意げに魚の豆知識披露してるの見て、実は予習してきててかわいいとか思ってたんだよ? 懐かしいなあ。あ、すいません、涙拭きます。……ふーっ、もう大丈夫です。いけます。……あの後、お土産屋さんでさ、私にペンギンのぬいぐるみ買ってくれたよね。あれ、なんで私が欲しいって思ってることがわかったの? 今でも不思議なんだけど。そんなに私、物欲しそうに見てたかなあ。ふふ、なんて、とっても嬉しかったよ」

 声はずっと震えている。自分でもちゃんと発音できているかわからないけど、郵便屋さんは黙々と腕を動かしている。

「あのあと、いい雰囲気だったし、てっきり私はホテルとか行くのかなって思ってたんだけど、まあ初めてのデートじゃあ勇気でないよねえって時間経った今ならそう思う。私は行きたかったけど、翼くんはどうだったかな。もし翼くんもしたかったなら、惜しいことしたなー、なんて。ここ、軽い感じで(笑)とかつけといてください。えっと、そう、だから、何が言いたいかっていうとさ」

 私の顔は、拭いても拭いても涙だらけになっている。

「翼さん、世界で一番、愛してます」

 翼。愛した人の顔が頭に浮かぶ。

「サッカーしてる姿が、かっこよくて」

 顔が鼻水と涙でぐしょぐしょで、やだ、はしたないな、翼に見られてなくてよかった、と思う。

「たまに見せる、いたずらっぽい顔が……っ、かわいくてぇ……」

 嗚咽が止まらない。

「こんな私に、好きって言ってくれて、はぁ、あ、キスの味まで、教えてくれて……う、うう、うううう」

 こんなしゃくりあげるような喋り方になったのは、小学生ぶりだ。恥ずかしいけど、言葉は止まらない。

「もっと、もっともっと……一緒に、いたかった……っ、一緒に笑って、泣いて、愛し合っていたかったよぉ……、しにたくなかった、生きていたかった……翼、つばさ、つばさぁ……」

 うずくまって、大声で泣いた。泣いて、泣いて、吐き出しすぎて息をうまく吸えない。肺がぎゅうぎゅうと握りしめられているようだった。

 わあわあと泣き叫ぶ私を、郵便屋さんはただ静かに見守っていてくれた。



「手紙は、以上の内容で結構ですか?」

「……はい、お願いします」

 目元がひりひりと腫れている。死後の世界は便利と言ったが、グラスの水以外は特に生前と変わらなくて、死んでいるという実感がわかない。

 黒服の郵便屋さんはどこかに消えた。すると、郵便屋さんはほとんど音を出さないけど、辺りが一層静かになった気がした。時々鼻を啜る音が聞こえて、私、まだ泣き止んでないんだ、と思った。首を右に傾けてるからか、たまに涙も右目からつたった。

「ただいま戻りました」

 郵便屋さんが抑揚のない声でそうつぶやいた。いつの間に帰ってきてたんだ、と思ったけど、まず聞くことは決めていた。

「翼、何か言ってた?」

 郵便屋さんの声は、ずっと抑揚がない。

「怒っていらっしゃいました」

「……そう」

 でも、人間らしく、ちょっとは感情が乗っているように聞こえる。

「悲しんでもいらっしゃいました」

「……そう」

 悲しんでくれているのだろうか。それとも、私が感傷的になっているだけなのだろうか。

「こちらこそ、世界で一番、愛しているとも」

「……そう」

 枯れない涙が、ぼろぼろ落ちた。

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