春涛ソルフェジオ

めいき~

Prologue

 いつかは終わる、季節という夢を見よう。

 この胸に響く、願いは淡く。


 早くに落ちる花が大地を燻ませ。


「もう、季節は廻って来たというの?」水辺で佇む彼女の名はリフレインという。姿は十六、七歳位だろう。黒いゴシックドレスにその満開の桜の様な髪がそよ風に流れていくのが判る。



「ねぇ、貴方はいつ帰ってくるのかしら……」



 リフレインは、戦場に向かっていった一人の男の顔が胸に映る。



 もう、彼がここを出て行って三回目の花が開くも。彼女の胸に春は未だ来ず。

 彼を想い、この地で祈る。



 リフレインには、それしか出来ないから。



 例え手を翳した向こうに姿が見えなくとも、彼の心に届く事がなくても。

 吐息だけが、世界に溶けて。



 リフレインには、それしか出来なかったから。



 一年目には手紙が来て。怪我をしたが元気でやっていると。

 二年目には指輪が届いた。早く君の元へ帰りたいと。





 そして、三年目には。何も届かなかった……。





 リフレインは、彼の無事以外何も祈らなかった。何も望まなくて、ただ時間が過ぎていく。まるで焦げ落ちた翼の様に、その帰りだけを望んだ。


 ただ、惜しみなく。懸命にその日を待っただけ。


 あの日、彼は言った。「君の髪はまるで、この樹に咲く花の様だ」と。頭上の桜と私の心は揺れ。どの様な美しい花よりも、明るくリフレインの顔が咲く。



 君が居るこの地を必ず守ると。



 リフレインがそっと、レヴナントの顔を両手で包むと額を優しくつける。


 その時の表情は見えていない、互いに眼をつむっていたからだ。


「必ず、勝って帰る。戻って来たら俺と結婚してくれ」


「貴方が生きて帰って来てさえくれたなら」



 愛しさを約束に誓う。



 あれから、彼の活躍の噂はずっと聞こえてきて。冬の木枯らしよりも、毎日ながれてきた。秋の夜に星空を見ても、隣に貴方が居ないから。


 とても、切なくて……。


 今年の夏はとても暑く、鎧姿の貴方が干上がっているのではと心を痛めた。

 この泉の水は、年中冷たくて。これを届ける事ができたなら、貴方は喜んでくれるかしらと思った事もある。それでも、私は動けなくて。だから、せめてもと私はここで貴方の無事を祈る。


 策は幾重にも用意した。必ず勝てる様に、必ず生きて帰れる様に。それでも、絶対なんて事はなくて。私は、隣で戦う事の出来ない自らの無力をこうして噛みしめる。貴方をこうして待つのが苦しくて、何処までも残虐になっていく。



「私は、貴方さえ無事で居てくれたらいいの」



 私もレヴナントの声が聴きたくて、何度も聴こえないフリをした。あの頃は、二人ともずっと幼くて。


 花冠もずり落ち、二人でそれが可笑しくて。


 初めて、貴方がヘルムを被って表れ。私の花冠と同じ様にずり落ちた。それが、たまらなく愛おしい。




 ずっと、ずっとこんな日が続けばいいのに……。




 私は、そう思っていたのに。戦争が彼を連れて行った。



 私は、貴方を待っているわ。貴方が活躍するのはとても嬉しいけれど、私の隣で私の作ったお弁当を食べている貴方を見るのはもっと大好き。



 貴方は、いつもハーモニカを吹いてくれた。下手くそだったけど、私も隣で下手くそな歌を歌ったわ。いつも同じ曲で、私達は一曲しか知らなかったから。




 何度も同じ曲を二人で一生懸命奏で。リオライトの様にこの大地に焼きつくまで、互いの音を奏でる。


 涙と血は、冷たく仄かに温かく。重なり、霧散し、火花の様に明るく消えていく。



 春になる度、あの木々が咲く度に。花びらの絨毯が出来る程の風が吹く度、頬を撫で貴方の吹いてくれた曲に聞こえるの。



 おかしいでしょ?



 遠くの山のそのまた向こうに居る筈なのに、ここで祈っていると貴方の声が聞こえる気がするの。両手の剣が、私の歌に合わせて振られ。貴方の両手の剣が、楽譜の様に流れていく。


 犠牲の歌をさえずる鳥は、煉獄の空を舞う。


 そんな気さえして、私は空に向かってあの頃と同じ様に下手な歌を喉が枯れるまで歌った。その歌声が、貴方の場所まで届く事は無い。空を染めあげる怨嗟が降り注ぎ、それさえ私は抱きしめて。


「レヴナント、いつまで私は待てばいいの?」


 ふと、そんな言葉が口をつく。



「待たせたな、リフレイン」私の背後から声がして。私は聞こえないふりなんかできずに問いに答えたその声のした方を振り返った。


 三年目の春も終ろうとした頃、私の呟きに答えたのは彼自身。


「レヴナント、その左手……」彼は肩から先がなくなっていた。


「あぁ、無くしたよ。だけど、君との約束は守った。指輪もこうして首から下げて無くさずいる。すまないが、指輪はつけられそうにない」そういって、笑う彼に私は自然に飛び込んでいた。


「貴方がずっと傍に居てくれたらいい、貴方さえ無事なら」

「例え、この腕を無くしても。君への想いを無くしたりなんかするもんか」


 私はそっと、彼の手を取った。彼も、私の背中に片手を回す。


「馬が潰れてしまって、随分戻ってくるのが遅くなった。すまない……」そういって頭を下げる彼。私はただ無言で首を横に振る。


「いつも、君が歌ってくれている気がした。何度も死にかけて、飢えと寒さの痛みに耐え。血で手が滑りそうになっても。泥に、味方に足を取られ。風が吹く度君の歌声が聞こえた気がした。その度、背中を押され俺はここにかえってこれた。でもやはり、傍であの歌をきかせて欲しい。魂の奥底で尚、消える事のないあの歌を」


 レヴナントがそういって、私は「貴方はハーモニカを吹いてね」と笑い返す。


「この手で、何処まで吹けるか判らないが」彼はそう言って、右手を見た。

「貴方を支えてくれたその手を、貴方が信じないでどうするの?」


 私が言うと彼はまるで子供の時の様な表情で「それもそうだ、この手のおかげで君の隣に戻ってくることが出来たのだったな」と言って樹を背にして。



「私は貴方のその手を信じるわ、貴方をちゃんと返してくれたもの」



 それから、二人でグレゴリオを昔の様に奏で。一曲終わって、彼の方を見ると汗びっしょりで。私はハンカチで彼の汗を拭った。「ありがとう、リフレイン」「どういたしまして」「やはり、風にのってくる歌声でなく。横で君が歌ってくれた方が、在りし日々の様に感じるな」


 そう言って、彼はハーモニカを軽く上げた。


「我儘を聴いてくれてありがとう」「やはり、片手では……」「昔みたいに、一杯練習しなくちゃ」


 一瞬だけ、眼を見開いて。そして、陽だまりの様に笑いあう。


「あぁ、君が横で歌ってくれるのなら。練習のしがいもあるというもの」


 そういって、彼の仕草が昔の彼と重なって見えた。


「戦争は終わったの?」「あぁ、勝利でな」「そう……」「俺は、この土地を貰った。君の居るこの土地を、君といるこの場所を」



 二人で、小さな美しい湖の方へ歩いていく。



「剣や鎧はいらないの?」私が尋ねると「あぁ、どの道。この腕では大した戦働きはできないからな」


 そう言って、優しく髪を撫でる。


「俺には、君を飾る宝石とドレスがあればそれでいい。もっとも、君は宝石よりも美しいし、君の髪より綺麗なドレスなんて、俺達の真上で月が着ている満点の星空ぐらいだ」


「もう、何処にもいかない?」「あぁ……」そう言って唇を重ねる。


 春の花が咲く度に、私の心が萎れていく。もうそんな思いをしなくてもいいのね。私は彼の残った手をしっかりと握り。




 戦争と骸は溶け、春を迎える雪もまた溶けていく。

 溶けぬは、二人の想いばかりか。




 この胸を照らしている、貴方と共に。




「畑を作ろう、冬に備えて薪も蓄えよう。今は春だが、君との平穏な生活をするのに冬に備えるのは必要な事だ。幾ら暖炉があったとて、薪がなくては君を凍えさせてしまう」「貴方が何処かに行って、待ち続けるより。冬の寒さの方がマシよ」


 私がそういうと、レヴナントが驚いた顔をした。


「そうか、本当に随分と待たせてしまったようだな」



 私達の季節は、ここから始まるの。私の春は、ここから始まるの。



「私は、沢山保存食を作らなきゃ。折角、戦場から帰ってきてくれた貴方が屋敷で飢えたら大変だわ」私がそういうと彼はくつくつと笑う。


「一人で飢えて、凍えて、死体を布団に寝るよりは。君の横の方が温かい。どうしてもの時は熊でも倒すさ、何のために戦うか判らない戦場なんかより、君の為に戦う方がずっといい」


「でも、私は戦う貴方を待つのはもう嫌なの」「では、倒しに行かなくて済む程に二人で蓄えなくてはならないな」



 向かい合って、二人の願いは一つ。頬にまで熱が昇っていく。



「何が、食べたい?」「戦場では、干し肉が多かった。だが、今は君が作ったシチューが恋しいな」「なら、明日はそれで決まりね」「あぁ、無理矢理身体を温める為のきつい酒より、君のシチューの方が温まる」「何よ、それ」



 ただの愚痴だと、彼は言った。



 明日は、シチューにしよう。春の野菜を沢山いれて、まだ肌寒い日もあって。

 それでも、温かいのは。想い人がそこにいるから。



 それは、香雪蘭(こうせつらん)の様。冷たい時間を耐えて芽吹く。



 塩辛いだけの干し肉と、キツイだけの酒なんて思い出すだけでも辛そうとリフレインが心配そうにのぞき込む。優しさの方が何倍も温かいと伝え。



 春のキャベツの様な柔らかい空気と共に、二人の関係は新玉ねぎの様にみずみずしく。何処でもない、そんな場所で固く誓う。



 そっと、二輪で揺れていた。



 今日も、明日も、明後日も……。その地に行けば、彼と彼女が楽しそうに歌っている風の音が聞こえてくると言う。



 魂まで、刻まれ。時より深く。



 春詠纏い、膨らみ続け。

 染まる、季節に互いを想うばかり。


 綻ぶ事無く、小さくなるまで。


 振り返る事は、もう終わりにしよう。

 晩鐘を刻む音は、二人には届かない。


 過去は掬えず、零れず。

 刻の輪の中で、未来に流れていくだけ。


 因果に唸りを上げ、その業もまた歌声に。



 この空へ流れゆく……。



 螺旋の様に繰り返し。


 また、一つ冬を越えよう。一人ではなく、二人で……。


 これは、剣士と策士のラブストーリー。


 <おしまい>

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