第3話 モカとして生きる覚悟

 美穂は他の店の女の子達と比べて自分の地味な存在であること、みんなが当たり前にキレイな仕事道具であるバッグを持っていること、たったそれだけで面食らってしまった。


やっていけるかな、もう美穂は後戻り出来なかった。まだ接客すらしていないというのに早くも弱気になってしまった。

これじゃだめだ。自分が想像していたよりかもずっと厳しい現実。


美穂はしばらくの間、自分の手を見つめていた。そして店の女の子達と比べる、ネイルアートが施されて指輪、ブレスレット、高級腕時計を身につけている。

その点、剥げかかったサーモンピンク色のマネキュアしか雑に塗られハンドクリームでさえ塗った事がない自分の手元。どうみても見劣りする。

周囲に気付かれないように小さくため息をついた。


「いらっしゃいませ」黒服達が声を上げる。「ようこそ、いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」その声が続くと店の女の子達が立ち上がった。

美穂は何もわからずに座ったままで居た。

「ちょっと立ってよ」隣で立っていた女の子に手で肩を突かれた。

美穂は慌てて立ち上がった。そして女の子達は一斉にお辞儀をした。美穂も遅れて頭を下げる。そして隣が顔を上げただろうタイミングを待って美穂も体勢を戻す。全員席についた。はあ、びっくりした。

先ほど美穂の肩を突いた女の子に美穂はたずねた。

「あの誰か来たら礼をするんですか?」

「当たり前でしょ。誰かっていうか、お客さんね」

こんな事も知らないの?と言いたげな表情をされた。

開店してから5分と経たない内にもう来客。美穂は少し驚いた。


明るい青色のスーツを着た小太りで背の低い50代くらいの男だった。

「なんだよ、相変わらずブスしか居ねえな、湿気た店だな。もっとかわいいの、揃えられねえのか。バカタレが」

その男は声を荒げた。そして「早く、ボトル持って来いや。このグズが」と黒服に怒鳴りつけた。そして店の女の子達に手を振る。みんなもその男に手を振り返した。

「おー、りりちゃん。俺の席につくか?」男はニタニタと笑った。

「ううん、今日はやめとくぅ〜」話しかけられた女の子は笑いながら答えた。すると「何だよ、この無愛想が!」とまた怒鳴り声を出した。


怖い、何でこんなに怒鳴っているの?美穂は怖気づいた。

そしてその男と目が合ってしまった。男は美穂から目を離さない。

「おい、マネージャー。新入り、あの子、若い子。あの子を寄こせ。指名する。すぐ隣に持って来い」男はソファにふんぞり返って自分にタバコに火を点けた。

黒服が美穂の元にかけよる。

「モカちゃん。さっそく場内指名が入った。あのお客様は松本様といって毎日来る常連様だ。開店から閉店までいらっしゃる。特に指名しているお気に入りの子は居ない。ただ新人が入ると必ず場内指名をなさる。そして触り癖がある。ちょっと乱暴だけどみんな経験している。行って来い」美穂は緊張した。そして不機嫌な男の正面に立った。


「ご指名ありがとうございます!モカさんです」

「お〜、新人ね。初々しいね。若いし、まあまあかわいいね。おいで」

美穂は客の横に座った。もう飲み物はマネージャーが作り松本は飲み始めていた。美穂は金髪ロン毛の黒服から席についたらカクテルを注文するように言われていたのでその通りにしようとした。

「こんばんは~。モカです。カクテル頼んでもいいですか?」

それを聞いた男は一気に不機嫌な表情に変わった。

「おい!このバカ女、クソアマ、お前はバカか、クズか、底辺だ。お前は」

いきなり怒鳴られた。

松本は吸っていたタバコを灰皿に押し当て2本目を箱から取り出した。

「火も点けられねえのか、このブス」

美穂はポーチからライターを取り出し松本のタバコに震える手で火を点けた。

松本は深くタバコを吸った。そして美穂にタバコの煙を浴びせた。むせそうになったがここで咳をしたらますます怒鳴られるだろうと思い美穂は我慢をした。


「あのな、ブス。俺のボトルから飲め。テメェに飲ませてやるカクテルなんてものはねえんだよ、わかってんのか」美穂ははいとだけ返事をした。

「あとよ、もっと側に座れよ」美穂は松本との距離を縮めた。するとすぐに美穂の胸元に乱暴に手を突っ込んだ。「痛い」本当に痛みを感じた。松本は美穂の胸を弄る。

「おお、いいね、乳首立ってんじゃねえか。いい子だ。気持ちいいだろ。ほら感じてんだろ。声を出してもいいんだぞ。ほら」松本は美穂の乳首を指で引っ張り続けた。

「痛い、痛い」美穂は抵抗した。

「なんだよ、素直じゃねえな」それでも手を止めなかった。その様子を見ていた黒服が止めに入った。

「松本様、お控え下さい。ここはこういう店ではないので」そう言うと仕方ねえなと言って松本は手を引っ込めた。

なんなの、この人。美穂は席についたばかりだったがもう嫌気がさした。乱れた胸元を直す。まだ乳首に痛みを感じていた。


美穂は松本のボトルに手を伸ばし飲み物を作り出した。テーブルに予め伏せてあるグラスを手にし氷を入れて焼酎を入れ始めた。

「おい、俺の分も作れや」松本は自分のグラスを一気に飲み干しガタンと大きな音を立ててグラスを置いた。美穂は返事をして松本のグラスにも氷を入れ焼酎を注いだ。

「おい、これで割れ」松本はトニックウォーターの瓶を振った。焼酎をトニックウォーターで割るのか。美穂にとってその飲み方は初めてだった。

小さな瓶のトニックウォーターは2本テーブルに置かれていた。1本は空になった。

「おい、1本でも空いたらすぐ頼めや。トロい奴だな、ったく」

美穂は松本に一瞬だけ目を向けてすぐに従った。とにかくここに座っている間はこれ以上怒鳴られないようにしよう。頭の中はそれしか浮かばなかった。


「お願いしまーす」美穂は黒服にトニックウォーター2本を注文した。すると黒服は持っていたメニュー表を差し出した。

「松本様、何か召し上がられてはいかがでしょうか?」

「はあ?こんなマズイものしか置いてない、腐りかけた飯食えって言うのか」

そう悪態をつきながらもメニュー表を開いた。

美穂はメニュー表の中身を見て驚愕した。さっき頼んだトニックウォーターが1本千円もする、しかもフルーツの盛り合わせが9千円。ポッキーが1万2千円。ピザが1万8千円。一番安い鏡月のボトルが6千円。

「おい、ブス。延長でお前を指名してやるから何か食え」

「ありがとうございます」そう言いながらも内心はちっとも嬉しくなんてなかった。松本からまだ解放されないんだ。でもご飯食べられる、そこだけは嬉しかった。

美穂はここで気持ちが変わった。どうせこの男は何もしなくても怒鳴ることをやめないだろう。どこが地雷なのかもわからない。だったらもう怒鳴られる事にビクビクしないでその場をやり過ごすしかないんじゃないかと。美穂は気持ちを入れ替えた。


「じゃ~あ、ピザとポッキー頼んでもいいですかあ」美穂はなるべく明るい声を出した。

「ああ、いいよ。それにしろ」

「ありがとうございまあす」トニックウォーター2本とピザとポッキー。たったこれだけで3万2千円。その内、何割かが美穂にキャッシュバックされる。美穂はがぜんや る気になった。数字を見ただけで、これが私の給料になると思うとモチベーションに繋がった。

美穂は飲み物を作り「いただきま〜す」と言って男とグラスを合わせた。

焼酎のトニックウォーター割は飲みやすくておいしく美穂は一気に飲み干した。それを見て松本の顔がほころんだ。

「いい飲みっぷりじゃねえか、おい。いいね、俺はな、こういう女がかわいいと思うんだよ。酒をチビチビ飲むような変な女じゃなくてな。くっと飲み切る、何杯でも何杯でも底なしにいける奴が好きなんだよ。ほらもっと飲め、酒を空けろや」

松本はまた服の上から美穂の胸を何度も鷲掴みにした。

「もおう」と言いながら美穂は手を払いのけて飲み物を作り始めた。こうなったら飲んでやる。こいつの財布が空になるくらい飲んでやる。  

美穂は容赦しない、暴言浴びせられて身体を乱暴に触りまくるこの男に負けたくない。こんな事でめげないと誓った。

ここはきっと似たような客しか来ないだろう。弱気になっておどおどしていたらやっていけない世界なんだ。お酒の力も手伝って何かが吹っ切れた。

私はこの世界で生き残る、泣かない、もうこれしかないと決意した。

 

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