第43話 ブルーローズ・パッション14

 ホームを揺らす、人のものとは思えない叫び。


 あおいは今にも、エウリッピ・デスモニアに止めを刺すところだったが、長剣を握った手は止まる。視線は当然のようには声の主へと引き寄せられる。


「アレは……」


 死のとこで、エウリッピ・デスモニアも同じ物を見ていた。


 腐敗して濁り切った黒色が一番目立っていた。次にダイオキシンでも浴びて枯れた樹皮のような体表。肉体は手足も含めて枯れ枝のように細い。単調な黒で統一された体であるが故に、胸の沙羅双樹さらそうじゅのような白い花が際立つ。顔に目や鼻といった部位は確認が出来ない。


 総括そうかつすると葵にも、心当たりのない異形だった。


「お前が作ったやつだ。アレは、何だ?」


「知らな……い」


「知らないって、お前……」


 無責任極まる言葉を発したエウリッピ・デスモニアに葵は頭を抱えた。


 弱点を含めて、何の前情報もない状態で、あの怪物に挑まざるを得ない状況に葵は置かれてしまっている。最悪以外の言葉が浮かばない。


「Jesus(ジーザス)」


 リッパーは2本を喪失、残りの2本が刃毀はこぼれをしている。デストロイには予備も含めて十分な残弾がある。長剣もまだ武器として機能していて、切り札を使うことも可能。


 問題は、葵自身の体だった。


 腹部の傷と大腿部だいたいぶの傷の出血は切り札の出力に影響が出る。それ以前に、前回の戦闘からダメージを負っている葵の左足が限界に到達している。未だ動いているだけでも十分に御の字の状況だ。


 逃げるか、乾坤一擲けんこんいってきか。


 だがしかし、先にやることが存在している。


「もう歩くだけなら特に問題はないだろ。後は何処へなりとも行けばいい」


 葵はエウリッピ・デスモニアの長剣を、彼女の前に立てた。


「私に後ろから撃たれるの……怖い?」


 死に体の身であるのに、エウリッピ・デスモニアは明るい声でわらう。


「下らない話に興じている暇はない」


 切り捨て、葵は自身の長剣を正眼に構える。


 長期戦を仕掛けて勝てる見込みはない。先に葵の体力が尽きる。かといって、短期決戦を挑むというのは、勇み足が過ぎる。


 どう挑むべきか。


 葵が思案している彼方で、あの異形に攻撃を仕掛けようとしている九竜の姿が目に入った。


「バカ野郎‼すぐに下がれ‼」


 咄嗟とっさに飛び出した、葵。


 合わせるように異形も、跳ねた。


「はぁ‼」


 先に動いたのは、葵。長剣を逆袈裟ぎゃくけさに振るった。異形の体を泣き笑いさせる意図だったのに、


「ほんと、嫌になるぜ」


 異形は、葵の一撃を簡単に受け止めていた。


 顔に横一文字に引かれた線が、開く。


『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa‼』


 耳障りどころではない、不協和音の叫びが葵の鼓膜を震わせた。息はシアン化水素のように臭く、ただの人間が相手なら殺せるだろう威力だ。


「その臭い口を、塞げよ‼」


 刃の一撃は、通らなかった。蹴りは、受けても動じることすらない。つまり、葵の攻撃は、あの異形に対して効果を発揮していない。


 異形の右手が、動く。異様に長く、鋭い3本の指が標的を葵に設定している。


 ―マズい‼


 威力の是非は、見た目通りかそれ以上だろう。ダイレクトに受ければ、確実に致命傷となりうる一撃になるはずだ。


「このっ‼」


 葵は異形の首に当てた右足を、また同じ個所に打ち込む。樹皮のような見た目と硬さ、それでいながら打てば柔軟に沈む気持ち悪さがあった。


 迫る、三本の鋭爪。


 しかし、その手が葵へと至ることはない。


 手をずっと凝視していた翠色みどりいろの瞳に映るのは、濁った黒色とは正反対の、木工ボンドのような嫌悪感を覚える白色だった。


「ああいう硬い奴は、関節部分が弱い。子どものころに殺した騎士と同じよ」


 彼方で、エウリッピ・デスモニアがサリエルFDを片手に立っていた。


『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa⁉』


 自分の右手が消えたことに戸惑っているのか、痛みにあえいでいるのか。異形は悲鳴とも怒号とも区別がつかない咆哮を上げた。


「うっせぇ‼」


 受け止められていた長剣を葵は無理やり押し込もうとした。


 しかし、異形の手は、肉身は嘲笑するように鋼の牙の進行を阻む。


「おおおおおおおおおお‼」


 ならば、それ以上の力で切り開くのみ。


 葵は長剣を握る手に、より強く力を入れる。


「邪魔だぁ‼」


 掌の半ばから侵入しては肘までを一直線に斬った。2枚に裂けて、濁った黒い体表とは対になるボンド色の白い体液が舞う。


 続けて、首。それが終れば、脳。最後に、心臓。


 算段を付けた葵の視線は、上へ向く。


 長剣の狙いを、首へと定める。


「死ねぇ‼」


 跳ね、回転のエネルギーも加算した一撃。これで防げないだろうと、葵は止めを刺せる打算の元に攻撃をしていた。


 ―ギィィィィィン‼


 確信を得て攻撃した葵の一撃は、何事もなかったように復元されつつある右腕に防がれた。そして、白色の腕は元の黒色へと姿を変えていく。


「不死身かよ‼」


 止めのつもりで放った首への斬撃は、濁った黒色の樹表のような腕に防がれた。


 左手は、まだ攻撃が可能な状態にある。


 横一文字に引かれた口が、開く。シアン化水素のような吐息が葵の髪を揺らした。


「下がって‼」


 聞こえたエウリッピ・デスモニアの声に葵は後ろへ体を跳ねさせた。その際に抜いたデストロイで異形へと射撃を行う。尤も結果は推して知るべし。右手の鋭爪は豆鉄砲のように銃弾を弾いてポップコーン種のようにした。


「本当に硬いな‼」


 焦燥しょうそうに駆られる葵に対し、


「問題ないわ」


 と終始冷静な態度を貫くエウリッピ・デスモニアは、慣れた手つきで銃弾をサリエルFDに装填している。


 その中に差し挟まれた別の銃弾を見て、葵はエウリッピの意図を察した。


「アレで殺せるのか?」


「さあ、私も初めてやるから」


 連続する火薬の破裂音。その最中に紛れ込んだ、違う色をした銃弾。


「ぶっつけ本番かよ」


 エウリッピ・デスモニアの行動に葵が苦笑している間に、異形の体が内側から膨れ上がる。隙間から溢れる膨大なエネルギーを伴う紫色の光が垣間見えた。


 葵は煙草の箱を小突いて出そうとして失敗。2回目で成功した。


「タバコ、体に悪いわよ」


「案外悪いんでもないぜ。1本どう?」


「遠慮しておくわ。美味しくないもの」


 葵が煙草にジッポーを付けたタイミングで、異形の体は紫色の炎と白い体液を散らしながら飛び散った。超新星が爆発するような強すぎる紫色の光は、相も変わらず美しい。くつわを並べて戦っていたころを自ずと思い出させた。


「どうやって倒すか」


 ぽつりと、葵が呟いた。


「では、交渉をしましょうか」


 流れてくる紫煙が鬱陶うっとうしいといった様子でエウリッピは言う。




 九竜くりゅうは、完全に蚊帳の外だった。目の前で起きた現象を言葉とする術を持たず、ただ流転するばかりの事態を見ていることしか出来なかった。


 知っていた人間が、吸血鬼。今も十分に受け止められない現実であったのに、怪現象としか言い表しようがない現実は、九竜の心を根幹から揺さぶるには威力が高すぎた。


 だがしかし、戦いは、終わっていない。九竜も、この舞台から降りてはいない。


「お前はまだ戦えるか?」


「……ああ」


 頭上から聞こえる弦巻葵に答える声は、弱い。九竜は、戦えるなどとのたまえるだけの根拠を失っていた。


 人が花に食われて、怪物に成り果てた。たった10分以内の出来事だ。海馬に押された恐怖の烙印らくいんは九竜に、そのときを思い出させる。


 死にたくないと叫んでいた七伏を、無慈悲に食らった沙羅双樹さらそうじゅのような白い花。同じ場所から生まれ出でた、黒い異形。


 どう立ち向かえばいいのかなど、九竜には分かるはずもない。


「申し訳ないが、アタシとこいつはさっきの戦闘で満足に戦えない状態だ。もう、お前に頼るしか方法はない」


 そんな、今にも剣を下ろしてしまいそうな九竜に、弦巻葵つるまきあおいは余計な希望を捨てろとだけ告げた。


「逃げたければ逃げればいい。ただな、今日この日に逃げ出したら、お前はあの2人を自分の手で守れない。弱者は、一生弱者だ」


 おののく九竜を見抜いたのだろう。


 弦巻葵は1つの未来を、示す。


「誰が、逃げるなんて言った?」


 それだけは、ない。


 九竜はあけぼのを抜き、刀身に己を映す。


「オレは、2人を守るためにここに来た」


 それだけが、九竜を動かす原動力で、


「それを果たさないで‼終れるわけがない‼」


 弦巻葵に、何よりも、自分に言い聞かせた言葉だ。


「その意気だ」


 決意に揺るぎはない。そのように、弦巻葵は受け取ったのだろう。九竜の背を叩いた姿は、本当に期待していると教えてくれる。


「相談は済みましたか?」


 九竜と弦巻葵の会話が一段落したところで、エウリッピ・デスモニアが割って入る。


「ちょっとばかり不本意ですが、私もここからは協力させてもらいます。元を辿れば、私の蒔いた種でもありますから」


「お前の蒔いた種以外にどんな原因がある」


 文句を言いつつ、弦巻葵はエウリッピ・デスモニアの隣に並び立つ。


「手は?」


「ありますよ」


 弦巻葵の問いに、エウリッピ・デスモニアは1秒の時間も挟まずに答えた。

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