第4話 案外、悪くない
爽やかな一陣の風が開け放たれた窓から教室へ流れ込んでくる。
あと数日で夏休みという浮き立った雰囲気の午後。
私立高校なのに冷房を入れてもらえない教室は暑くて拷問のようだが、元々冷え性の塔子にとっては冷房よりも外からの風を感じる方がありがたい。
本来なら午前中授業のはずが、成績が中の下であるせいで補講を余儀なくされた塔子は同じく補講組の小百合と隣り合わせで座っている。チラチラと彼女の胸の谷間が見えるブラウスのボタンの隙間を見ながら、世俗に塗れた煩悩の主はどうやってさっちゃんの胸の谷間に頭を埋もれようかと画策中。
「であるからして、この公式を適用する。でもって、ここの数値を代入し」
数学の教師が黒板に丁寧に数式を書き込んで教えてくれているが、子守唄にしかならない。とは言え、前世を思い出した塔子は異世界に呼ばれるまでの成績優秀な自己の記憶があるので理解は容易い。しかも、うっかりしていると好成績を取りそうなので適当に手を抜くのを忘れないという努力にちょっとうんざりしてきているのだ。
もし優秀な成績を取ったりしたら幼馴染だとか言う八瀬宗十郎のいる特進クラスに入れられるかもしれないという恐怖。
いかんいかん、寒気がしてきた。
塔子は隣のさっちゃんの白い肌の艶かしい胸の谷間に癒されながら、あくびを噛み殺す。
うつらうつらとしているうちに補講も終わり、さっちゃんとお喋りしながら帰り支度をしていると廊下に愛莉が待っているのが見えた。
「愛莉、待っててくれたの」
嬉しそうに二人で行くと彼女はふいと顔を逸らして「別に」と答える。
「そんなところも可愛いねえ」
塔子のデレデレした様子に頬を赤らめながら愛莉が先に歩き出す。
「駅前のカフェ、行くでしょ。かき氷、始まったし」
愛莉が返事を期待してない様子で言うのを後ろに付いて歩きながら小百合と塔子がニヤニヤとしている。
靴を履き替え、部活動で騒がしい運動場を抜けて裏門から狭い路地を抜けて駅前へ続く裏道を進む。
他愛無い話をしながら歩く道はどんな道よりも楽しい。
塔子はそれを心の中で噛み締めている。
辛い責務を負った道は例えようもなく心を荒ませる。目的を遂行せざるを得ない状況も、誰かが傷つく戦闘も、ここにはない。
それがどんなに素晴らしいことなのか。
ふと向日葵が揺れる光景に目を止める。
太陽の方を向いて力強く生きているその姿は心を打つ。
立ち止まった塔子に親友たちも足を止める。
「綺麗だね」
小百合が呟くと愛莉も頷く。
風が突き抜けた。
「案外、悪くない」
第二の人生は思っていたのとは少し違うが、友に恵まれて、会いたかった妹にも会えた。そして世界のハッとするような美しさをこうして実感できる。
残念女子で世俗に塗れていようとも、この尊い世界で平和に生きられる幸せ。
「塔子、なんだか詩人みたい」
「え?」
小百合が微笑みながら言うのを怪訝そうに見返すと、彼女は慈愛に満ちた眼差しをくれる。
「感受性が豊かってこと」
「そうかな?」
「うん、そうだよ」
「塔子は欲望に忠実なだけでしょ」
愛莉がツンと澄まして言うが、その口元は少し上がっている。
また世間話に花を咲かせながら裏道を抜けて駅前の大通りに出る。流石に駅前となると人が多くて活気が出てくる。
お洒落な店が並んだ商店街の一角に目当てのカフェがある。
木の質感を大事にした小洒落た内装、花や観葉植物が飾られた店内の雰囲気は街中にあって自然の中にいるようで落ち着く。
四人テーブル席に陣取って、彼女らは夏限定メニューの果物をたっぷり使ったかき氷を注文する。塔子はレモン、小百合はブルーベリー、愛莉はぶどうだ。
そう待たないうちに黄、紫、赤紫の氷が薄く削られ、果物のシロップ漬けで飾られたかき氷が運ばれてくる。ホイップやバニラアイスも乗っていて塔子のテンションが上がる。
昔、異世界でも氷を食べたくて仲間の魔法使いの氷魔法で作ってもらったことがある。薄く削れるか、と魔法使いに頼むと、とんでもなく頑丈で巨大な薄い氷板を作り出した。それをなんとか削って王城の料理人が作ってくれたシロップをかけて食べていると王太子や王女たちも集まって、なんだか祭りのような騒ぎになったものだ。後で聞いた話によると氷は一般的には食べたりしないのだとか。勇者が氷を蜜をかけて食べたことが広まり、それ以降、なんだかんだと氷を食べることが流行ったらしい。
懐かしい。
塔子は親友たちの笑顔に癒されながらそれを思い出した。
あの頃、自分の生まれ育った世界の食べ物は稀でどうにか似たものを作り出そうと工夫していた。物珍しさも手伝って、様々な職業の人たちが知恵を貸してくれたが、なかなか上手くはいかなかったのだ。
こうして転生できたこの人生、美味しいものを食べ尽くそうと思う。
「塔子、それちょっと頂戴」
小百合の言葉に塔子はスプーンを持ち上げて大きめの一口を掬うと小百合の口元へ運ぶ。
リップを塗ったぷっくりした唇が開いて赤い舌が銀色の肌を舐めるように迎入れてレモン味のかき氷が彼女の口の中に消えていく。
なんだか興奮した塔子が今度は愛莉に向かってスプーンを繰り出す。
愛莉はツンと澄ましながら右の耳に艶やかな黒髪をかけ直して口を開ける。
可愛ええ。
塔子の変態的な気持ちなど知らずに彼女もレモンのかき氷を嚥下する。
「やばい、これ癖になりそう」
餌付け行為というものがこんなに興奮するとは知らなかった塔子である。
「うん、レモン味って甘酸っぱくて癖になりそうだね」
小百合が違う意味で同意してくれた。
「そうだね、甘ったるくなくてサッパリしてるから美味しい」
愛莉のつぶらな瞳が塔子をまっすぐに見つめる。何かに勘付いている様子。
「うんうん。美味しいものは正義だよねえ」
誤魔化しながら、塔子は自分の分のかき氷を秒で腹に収めるのだった。
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