最終話 最後のダンスを、あなたと

ユリの声が途切れた瞬間、世界が一拍、沈黙に呑まれた気がした。


部屋の中で、やけに大きく聞こえる自分の心臓の音。

スマホの画面は、真っ黒。でも、指だけが勝手に動いてた。まるで、自分のものじゃないみたいに。

ためらいながら、私はあの「未投稿の動画」を、もう一度タップした。


そこに映っていたのは、加工も装飾もない──ただのユリだった。


風の音。誰かの笑い声。ユリの、見たことのない真剣な横顔。

そして、カイの、あの冷たい声。

何より……画面越しに映る私の指先。何もできず、ただ止まってる。


あの瞬間が、そこにあった。


足場が崩れて、ユリがバランスを崩す。

驚きが、彼女の瞳に宿る。

私は、手を伸ばして──でも、届かなかった。


私の喉から洩れた、声にならない息。


……あれは、ただの映像じゃなかった。

まるでユリが、私にあてた手紙みたいだった。最後の、伝言。


責められてる気はしなかった。不思議と。

むしろ、ようやくユリが「見せてくれた」ことに、胸の奥が、あたたかくなった。


「……ユリ」


呼んでも、返事はない。

でも、いた。

背中のすぐ近くに。画面の向こうに。

なにより、私の中に。


**


SNSを開けば、#RedDressDance のタグは今も回ってる。

「呪いの動画」「心霊現象」「謎の転落事故」──

ユリは、もう“話題”でしかなかった。


誰も、本当のユリを見てなんかいなかった。


胸の奥から、じわじわと怒りがにじみ出す。


──やめてよ。


ユリは、消費される存在じゃない。

怖いねって笑われるために、命を落としたんじゃない。


「……投稿しよう」


声に出した瞬間、心臓が跳ねた。

怖い。叩かれるかもしれない。

私も“加害者”として見られるかもしれない。


でも、それでも。


「もう、知らないふりはやめる」


これは、ユリへの私なりの返事だった。


震える指で、私は投稿ボタンを押した。

スマホが一瞬、じんわりと熱を持った気がした。


そのとき──耳元で、誰かの声がした気がした。


「ありがとう」


風みたいに、やわらかく。

でも確かに、その声が頬をなぞって、涙を落としていった。


**


春は、気づけば街を染めていた。


まだ風は冷たいのに、通りを歩く人たちはどこか軽やかで。

新しいスニーカーが太陽を弾いて、キラリと光ってた。

季節は、ちゃんと次のページをめくっていた。止めることも、問いただすこともできずに。


私は黙って、それを受け入れるしかなかった。


あの夜、世界は何も変わらなかった。

ユリの名前がニュースに出ることもなければ、SNSのタイムラインからも彼女はすぐに消えた。

まるで、最初から何もなかったみたいに。

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透明な私が、見えますか? 浅野じゅんぺい @junpeynovel

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