第2話 門前町の喧騒


 陽光がシルバーリーフ川の川面に反射し、眩しい光が深山祐介の目を刺した。


 星の御座から続く川沿いの小道を、美幸の案内で歩き続けて数時間。足元の土埃がヨレヨレのスウェットの裾を汚し、額にはうっすらと汗が滲んでいる。


 目の前には、大きな川を跨ぐ巨大な鉄橋がそびえ、その東岸に広がる街並みが視界に入ってきた。木造の家屋やレンガ造りの工房、色とりどりのテントが雑多に混ざり合い、遠くで市場の喧騒が響く。飛行船が青空をゆっくりと横切り、蒸気機関車の汽笛が低く鳴り響く。


「ここがアイアンブリッジの東側、合衆国街の門前町だよ!」


 美幸が弾んだ声で言う。彼女はメモ帳を片手に、まるでツアーガイドのような仕草で手を振った。深山は眉をひそめ、周囲を見回した。


 『クロスロード・サーガ』のゲーム知識では、合衆国街は多民族と異種族が混在する交易の中心地だ。だが、目の前の光景は、整然とした都市というより、混沌とした仮設市場のようだった。家よりもテントや露天が目立ち、通りには異国情緒溢れる人々がひしめいている。


 金髪のエルフが絹の布を手に値切り交渉をし、髭もじゃのドワーフが鉄製の道具を叩いて売っている。ハーフリングの子供が果物を抱えて走り回り、獣人の商人が毛皮を広げて客を呼ぶ。中東風のターバンを巻いた男がラクダを連れ、東南アジア系の色鮮やかな服を着た女が荷車を押して、土埃を上げながら通りを行き交う。深山はゲームの知識を頼りに状況を分析し、低い声で尋ねた。


「門前町?」

「うん、合衆国街の本当の街中は、城壁の内側にあるの。そこは税金が高くて住めない人とか、入場待ちの商人や旅人を相手に商売する人たちが、ここにテントや家を建ててできた町なんだ。城壁がないから、モンスターとか盗賊の脅威が大変なんだけど、そのおかげで冒険者に討伐依頼が来て、クエスト稼いでる攻略組もいるよ!」


 美幸の説明は、ゲームの攻略本を読むような熱量だった。深山は黙って頷き、門前町の空気を肌で感じ取った。


 軍人時代、紛争地域や無法地帯で磨かれた勘が、ざわめきの中に潜む不穏な気配を捉える。

 露天の陰で鋭い目つきでこちらを窺う男、群衆の中で不自然に動く手――スリや詐欺師が蠢く、治安の悪い地域特有の匂いだ。深山の背筋がわずかに緊張した。


 その時、ふいに小さな影が近づいてきた。獣人の少女だ。猫のような耳と尻尾を持ち、ボロ布のような服をまとっている。彼女は深山に駆け寄り、大きな瞳をキラキラと輝かせて尋ねた。

「おじさんは、エクシアの使者ですか?」

「エクシア?」


 突然の質問に、深山は一瞬固まった。少女の純粋な眼差しに、戦場で鍛えた冷徹な心が揺れる。彼は助けを求めるように美幸を見た。


「そうだよ! 今日、こっちに来たばかりの使者様だよ!」


 美幸はニッコリ笑い、少女に答えた。


「エクシア様、使者様に祝福を……試練を乗り越えて、一日でも早く星の国に帰れますように……」


少女は歓声を上げ、深山に向かって両手を合わせ、祈るような仕草をした。彼女の小さな声が、風に混じって響く。


 祈りを終えた少女は、嬉しそうに笑い、母親らしき獣人の女性のもとに走り去った。深山は呆然とその背中を見送り、美幸に低い声で尋ねた。


「美幸……今のはどういうことだ?」


 美幸はメモ帳をパラパラめくり、得意げに説明した。


「プレイヤーはね、この世界じゃエクシアっていう神の使者って信じられてるの! 千のクエストっていう試練を達成するために、神の国から流星に乗って地上に降りてきた、ってね。星脈信仰の教えで、流星は『新たな兄弟の到来』って呼ばれてるんだ。だから、さっきの流星を見て、私も深山さんが来たってわかったわけ!」


 深山はクエストカウンターを握りしめ、少女の祈る姿を思い出した。神の使者。試練。RPGのストーリーそのままの話だが、この世界の住人にとっては現実だ。彼の胸に、複雑な感情が広がった。尊敬される存在である一方で、その期待の重さが肩にのしかかる。


 門前町の雰囲気は、異国情緒に溢れていた。赤い柱に金色の装飾が施されたチャイナ風の露天では、香辛料の匂いが漂い、獣人のテントでは焼き肉がジュウジュウと音を立てる。エルフの商人が翡翠のアクセサリーを並べ、ドワーフの鍛冶屋がハンマーを振るう音が響く。通りには、北欧系の漁師が干し魚を吊るし、東南アジア系の女が絹の布を広げて客を呼ぶ。色とりどりの旗が風に揺れ、子供たちの笑い声が市場の喧騒に混じる。


 この喧騒は、戦場の混乱とも東京の冷たい静けさとも違う。生きている――そんな脈動が、深山の胸に小さく響いた。だが、祈る少女の眼差しや『使者』の呼び声は、今の深山には背負うには重すぎた。


「はい、みなさん! ここは合衆国街の門前町、クロスロード自治州の東の玄関口でーす! 多民族と異種族が混ざり合う、交易のハブらしい活気をご覧ください!」


 美幸が、ツアーガイドの物真似で声を張り上げた。彼女はメモ帳をマイク代わりに持ち、わざと大げさに手を振る。深山は彼女のふざけた態度に小さく鼻を鳴らしたが、どこかその軽さがこの異世界の重圧を和らげていた。


「ったく、ガイド気取りかよ」

「えへへ、だってテンション上げないと、この世界キツいじゃん!」


 美幸が笑うと、彼女の短杖についた星形の装飾がキラリと陽光に光った。深山はふと、彼女が3ヶ月もこの世界で生き延びてきた事実に思い至った。ゲームオタクの大学生とはいえ、その楽観さの裏には、きっと何か強いものがあるはずだ。


 深山は美幸のガイドを受けながら門前町の奥、川沿いのエリアに目をやると、雰囲気が一変した。テントや露天が減り、粗末な板切れや布でできた小屋が並ぶ。スラム街だ。汚れた服を着た者たちが地面に座り込み、物乞いの声が響く。美幸の声が少し低くなった。


「あそこはスラム街。クエストで足を踏み入れたプレイヤーが、ひどい目に遭ったって話があるんだ。燻り組とか、ろくでもない連中がたむろしてるから、用事がないなら近づかない方がいいよ」


 深山はスラム街に視線を向けた。物乞いの群れの中に、こちらを物色する目があった。欲に満ち、冷たく計算高い――かつての裏切り者と同じ目だ。深山の拳が無意識に握り締められた。過去の記憶が、胸の奥でざわめく。彼は美幸に気づかれないよう、視線をそらした。


 二人が門前町を抜け、合衆国街の城門に近づくと、巨大な石造りの門が現れた。城壁には、星脈信仰のシンボル――星を囲む円形の紋章が彫刻されているが、長い歳月で風化し、輪郭が薄れている。門の前には、入場待ちの商人や旅人が列をなし、荷車やラクダが並ぶ。門番は5人。4人の日本人――おそらくプレイヤー――と、中東風の現地兵士だ。


 日本人プレイヤーの一人が、美幸に気づき、声を上げた。


「お、ミユキじゃん! そっちのオッサン、新しいプレイヤー?」


 美幸は手を振って応え、深山を振り返った。


「うん! 深山祐介さん、今日トリップしてきたばっかり! 深山さん、こっちはプレイヤーチームの『シルバーホーク』! リーダーのタカシさん、魔法使いのユウナさん、戦士のケンタさん、クレリックのハルカさん! 全員プレイヤーだよ」


 タカシと名乗るリーダー格の男は、20代後半くらいの軽い雰囲気。革鎧に短剣を下げ、気さくに笑った。


「よお、深山さん! 初めまして! この世界、慣れるまでキツいけど、クエスト稼げばなんとかなるぜ!」


 ユウナがクスクス笑いながら口を挟む。


「タカシ、リーダーっぽく振る舞ってるけど、昨日トロールにビビって逃げてたよね?」

「うるせえ! あれは戦略的撤退だ!」


 ケンタとハルカも笑い、チームの和気あいあいとした雰囲気が伝わってくる。深山は無言で頷いたが、彼らの軽いノリにどこか違和感を覚えた。戦場では、こんな緩さは死を意味する。


 タカシが美幸に目を戻し、少し真剣な口調で言った。

「なあ、ミユキ。新人のサポートもいいけどよ、そろそろ戦闘クエストに挑戦しないと、燻り組扱いされるぞ。クエストカウント50から全然進んでないんだろ?」

「うん、ミユキのクレリックマジック、サポートだとめっちゃ頼りになるけど、戦闘クエストクリアできれば、門番とか実入りのいいクエストも受けられるよ!」


 ハルカがフォローするように付け加えた。


「う、うん、わかってるよ! でも、戦闘は苦手だし……そのうち、ね!」


 美幸は少しバツの悪そうな笑みを浮かべた。

 深山は美幸の反応を横目で見ながら、彼女の弱気な一面に気づいた。楽観的な態度とは裏腹に、戦闘への恐怖があるのかもしれない。彼は口を閉ざし、プレイヤーチームの会話を聞いていた。


 深山達プレイヤー同士の会話が一段落すると、中東風の門番兵士が一歩進み出た。鉄製の胸当てと槍を持ち、浅黒い肌に鋭い目つきが際立つ。軍服の端正さや、胸当てに刻まれた星の紋章が、彼の誇りを示していた。槍の柄には使い込まれた跡があり、長年の戦闘経験を物語る。兵士は深山のクエストカウンターを見て、目を輝かせた。


「試練の神エクシアよ、新たな使者を我々に導きたまえ。この者に星の絆と勇気を与え、試練を乗り越えさせたまえ」


 兵士は槍を地面に立て、片膝をついて祈りを捧げ始めた。低く響く声が門前に広がり、入場待ちの商人や旅人たちも深山に視線を向け、祈りを捧げる者まで現れた。ラクダを連れた中東系の商人が手を合わせ、エルフの旅人が静かに頭を下げる。門前町の喧騒が、一瞬だけ静寂に包まれた。


 深山は戸惑い、背筋に冷や汗が流れた。こんな注目を浴びるのは、戦場での狙撃手の視線以来だ。彼はタカシたちに視線で助けを求めた。


 タカシは肩をすくめ、笑いながら言った。


「慣れろよ、深山さん。俺も最初はビックリしたけど、こいつらにとっては神聖なことなんだ。このスマートフォンが『エクシアの刻印』って呼ばれてて、カウント増やすたびに尊敬されるぜ。まあ、燻り組になると冷たい目で見られるけどな」


 その言葉にユウナが付け加えた。


「そうそう! カウントが500超えると、街中でチヤホヤされるよ! タカシ、300でイキってるけど、全然足りないよね!」

「だからうるせえって!」


 シルバーホークの軽いやりとりに、深山は小さく息をついた。神の使者という扱いは、重荷だが、この世界での立ち位置を理解する手がかりにはなる。彼はクエストカウンターを握りしめ、門の方を見た。


 門を潜ると、合衆国街の租界エリアが一気に視界に飛び込んできた。市場の喧騒が耳を劈く。赤い柱と瓦屋根のチャイナ風建築が立ち並び、獣人のテントからは焼き肉の香ばしい匂いが漂う。エルフの高床式木造家屋は、蔦が絡まり自然と調和している。ドワーフの石造り工房からは、ハンマーの音と火花が飛び散る。通りには、東南アジア系の商人が絹の布を広げ、中東系の男がラクダを連れて歩く。北欧系の漁師が干し魚を並べ、色とりどりの旗が風に揺れる。


 子供たちが笑いながら走り回り、異種族の客が値切り交渉に熱を上げる。香辛料、果物、鉄製品、絹――あらゆる匂いと色彩が、深山の視界を埋め尽くした。


「すごいでしょ? ここは合衆国街の租界エリア  多民族と異種族が混ざってて、めっちゃ活気あるんだよ!」


 美幸がはしゃぎながら説明する。彼女の声は市場の喧騒に混じり、興奮で少し高くなる。メモ帳を片手に、ツアーガイドの物真似を再開した。


「はい、みなさーん! こちら、合衆国街の心臓部! クロスロードの多文化が織りなす、交易のメルティングポットでーす!」


 深山は彼女のふざけた態度に小さく鼻を鳴らしたが、内心ではこの活気に圧倒されていた。


 日本では見られない色彩と混沌。戦場や東京の無機質な街とはまるで違う、生き生きとした世界だ。だが、同時に、彼の勘が再びざわめいた。市場の喧騒の中に、微かな不協和音を感じる。


 美幸がさらに説明を続けようとしたその時だった。


「ここもすごいけど、中洲のシルバーマーケットはもっとすご――」


 彼女の言葉が途切れる。遠くから、男の怒鳴り声が響いた。続いて、ガシャンという物が壊れる音。


 深山の耳は、市場の喧騒を掻き分けて、別の音を捉えた――鞘から剣が抜かれる、金属の擦れる音。軍人としての経験が、トラブルを即座に察知させた。彼は反射的に身構え、美幸の肩を軽く押して下がらせた。



「…何か起きてる」

深山の声は低く、鋭い。美幸は目を丸くしたが、彼の緊迫した雰囲気に気づき、メモ帳を握りしめた。市場の喧騒が、まるで嵐の前の静けさのように、不穏な空気を帯び始めた。

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