その名前を検索する

秋色

The Room

 またスマートフォンの通知にショッピングの広告が入っていた。

 若草色を背景に様々な雑貨を紹介しているこのサイト、ミュミュから、最近しつこく広告が入ってくる。


「ママ、早くお部屋にこの風船、持っていきたい」

 この春、五才になるマミがさっき商店街でもらった赤い風船を握りしめて訴える。夕暮れの帰り道の空は、淡い蜜柑の色に染まろうとしていた。私は「風船はお部屋に入らないよ」と言う。

 この場合の「お部屋」とは自宅の部屋の事ではなく、段ボールの箱の事。お人形たちの部屋という事になっている。

「お部屋に入れるんじゃなくて、るみちゃんたちに見せるだけだよ」

 るみちゃんは、マミの持っているお人形の一つ。子どもの空想というのはいつの時代もこんな感じ。私にも憶えがある。子どもの頃、広告のお菓子の写真を見ながらそこにあるものとして、食べるフリをしていた。

 それでもあまりにマミが「お部屋」にこだわるから、時々心配になったりイライラしたりもする。このまま、おかしな空想癖がついたりするのではないか、現実のお友達ができなくなるのではないか、と。

 その時、マミの手の中から風船がするりと抜け、空へと舞い上がっていった。マミの泣き出しそうな顔を見て、私は言う。「今度またもらってあげるからね。この次は放しちゃだめだよ」

 それでもマミは、暮れなずむ空の高みへ消えていく赤い風船を点になるまでずっと見つめていた。


 マンションに着き、買ってきた物の仕分けをし、一息つく。室内も冷蔵庫の中も、いつも通りきちんと片付けられている。乱雑な場所は苦手だった。大学に入って初めて付き合った男の子の住む部屋が、いつも片付かずにあれこれ物が溢れていたのを思い出す。


 *


 マミは、早速お気に入りの段ボール箱の「お部屋」を取りに行き、一つ一つ宝物を取り出しては眺めて楽しんでいた。


 私は椅子に腰掛けるとスマートフォンを開き、いつもの検索エンジンのホームページを開いた。最新のニュースや天気予報をチェックする。目に飛び込んでくるエンタメ情報やスポーツの結果。時々興味ある分野の設定をチェックし直し、更新する。そうでないと、あまり関心のない情報まで大量にスマートフォンの画面を占める事になるから。

 そこへまた、あのミュミュの広告が飛び込んできた。


 ――いつもご利用のお客様へ感謝の大サービス実施中――


 いや一度も買った事なんてないから……なんて心の中でツッコミながら、いつものようにこの広告を人差し指で手早くかき消そうとした。

 その時、子猫の置物が目に入る。猫は大好きで、昔からついつい猫のイラストのついた文房具や雑貨を買っていた。

 そんな私の心を掴むように、いたいけな置物の子猫は、ウルウルとした瞳でこちらを見つめている。こういう視線はズルい。

 いや、こんなのに騙されないと思いながらも、なんでこの広告は、私の好きなものをこんなに把握しているのだろうと不思議に感じた。小花模様の付いた硝子のボール、ポケットのたくさん付いたナイロンのリュック、ちょうど良いサイズのスマホショルダー……私の好きそうな物ばかり。と言うか私が度々検索して商品を選んでいた物ばかり。

 あらためて広告の文字を追う。


 ――いつもご利用のお客様へ感謝の大サービス実施中――の下には、こんな文句が書いてある。「ミュミュが無料で貴方のお部屋を作ります」

 その横には逆三角形のマークがあり、私はついそこを押してしまった。


 派手な勧誘の広告に行き着くと思っていたら、そこに待っていたのは、シンプルな部屋の中の画像だった。写真を加工し、リアルなイラストのようになった画像。窓にかかるカーテンはペールグリーンで、白木のキャビネットの上に、さっきの子猫の置物が飾ってある。丸い掛け時計は、いつかカフェで感じの良い掛け時計を見て、ついネットで検索したのと同じ。

 上に小さな文字で説明が書いてある。「中にあるインテリアがお気に入らない場合は、長押しし、削除を選ぶと部屋から消去する事が出来ます。部屋に置かれた商品を購入する必要はありません。(部屋の中にあるものはお客様の検索履歴が反映されています)「どの部分も長押しをすると、部屋のその部分が拡大されます」


 だからなんで勝手に部屋なんか作るのよと心の中で呟きながら、そのページを指で追い払い、スマートフォンをバッグの中にしまい込んだ。


「ねえ」とマミが話しかけてくる。「これもお部屋に入れていい?」

 週末に行ったファミレスでもらったお子様ランチのオマケだった。ペンギンのミニヨーヨー。

「いいよー」と言いながら、またあの「お部屋」にガラクタが増えるのかと苦笑い。ああいうオマケみたいな物は、自分一人なら絶対に受け取らない。家の中にガラクタが増えるばかりだから。大体、本当に欲しいものなら、お金を出して買っているはずだ。

 子ども以外でオマケがもらえると喜ぶ人の気がしれなかった。ただ大学時代から付き合っていた例の彼は、いつも景品でもらった物を喜んでいたっけ。予想外の物をもらうと何か得した気がするし、うれしいと。ささいなガラクタや以前失くした物を見つけても、大袈裟に喜んでいた。

 それは、ジーンズのポケットからいつも行くお店のコーヒーの無料券かが出てきたり、コンビニのお茶のペットボトルにボトルカバーが付いていたりする程度のもの。たまには失くしたと思っていたペンをしばらく着ていない上着のポケットから発掘して喜んでいた。自分が忘れているだけだからしょうもない話。


 *


 このショッピングサイト、ミュミュは、度々「あなたの部屋を更新しました!」と大きな文字で知らせてきて、私がスマホの記事を読もうとするのを妨害してきた。でもその度、無視を決め込んだ。その甲斐あってか、ミュミュからお知らせが来る頻度は、徐々に少なくなってきた。私も、このサイトに勝手に作られた”部屋”の存在を忘れかけていた。

 でもなぜか、夜中にふとあの部屋の事を唐突に思い出して、どうなっただろうと開きたくなる時があった。


 ある日、夕食の準備の前ふと、ミュミュに作られている私の”部屋”を覗いてみた。


 ――へぇー、やるね――


 その”部屋”の中には、物が増えていた。私の好きそうな物ばかり。もちろん、見当違いの物も多い。

 幼稚園の行事のために仕方なく選んでいたヒラヒラのドレスがクローゼットのハンガーにかけてあったり、お土産でもらったクッキーの値段を調べていたら、そのクッキーが戸棚の中にあったり。

 また、この架空の部屋には、昔ながらの炬燵まで置かれていた。わが家では現代風の物でも、炬燵は使わないし、買いもしない。暖房器具としては中途半端だし、小さな子がいると、炬燵周辺が散らかるに決まっているから。

 でも早春の肌寒い日に、ふと幼い頃祖母の家の炬燵に座って、祖母の昔話を聞いた事を思い出していた。祖母の命日が近かった。ふと、あんな古いタイプの炬燵は、今でもどこかで売られたり使われたりしているのだろうかと思い、検索してみたのだった。

 想像通り、今でも現代的なデザインの物同様、昔からの定番の炬燵も売られていた。利用しているという人のブログの記事や質問サイトへの回答を見つけ、変に安心した気分にもなった。

 それでこの”部屋”に、炬燵が登場したのだ。

 私はヒラヒラのドレスやお土産クッキーの画像は削除したけど、炬燵の画像は削除せず、そのまま置いていた。

 それと同時にこのミュミュによって作られた”部屋”の事をスマホで調べてみた。

 その結果、分かった事は、やはりミュミュの広告は、うざいと皆、感じている事。でも部屋作り自体は楽しいし、それにより何か購入させられるわけでもないから、そのままにしているという意見が多い事。

 そしてもう一つ、意外な事が分かった。

 ミュミュのサイトの背景は、いつも若草色で、これがこの企業のイメージカラーなのかと思っていた。 

 でも利用する人によって、「ターコイズブルーの背景のミュミュってショッピングサイト」とか、「ウチのはミュミュの背景、桜色になっている」とか、「ワインレッドのショッピングサイトで一見、大手のやつと間違える」とか、バラバラなのだ。

 そう言えば、若草色は、私の好きな色で、この色の商品を無意識に探している。

 ただ、子どもの頃から好きだった色ではない。子どもの頃は、ピンク色が好きだった。

 グリーン系を好きになったのは、大学に入ってお付き合いを始めた例の彼の影響だった。明緑色からカーキ色までグリーン色の好きだった彼の。


 *


 元々友人も少なく大人し目の自分が、大学に入ってその人と知り合い、付き合うようになって、よく笑うようになった。いつもちょっとした事で笑わせられていた。

 子どもの頃いやいや稽古に通っていたピアノを、音楽自体を好きになったのも、バンド活動をしていた彼の影響だった。ピアノが弾けると知って、誘われたサークルでおそるおそる弾いたキーボードの音色は、自分でも驚くような美しい音色だった。一緒にバンド活動やろうぜと言われ、新しい世界に一歩踏み出した気分だった。

 本当に好きだったけど、ある時、喧嘩してそれきり別れてしまった。

 就活の流れに逆らうように大学三年目で彼が大学を中退し音楽事務所と契約すると言い出したのが原因。実行力のある人だけに実際に行動に移した。私も誘われたけど断った。

 一緒に夢をみているような、とても楽しい時間だったけど、同時に振り回されている感じも、我儘に付き合っている感じも拭えなかった。

 彼が私にあまり良い影響を与えてないというのが周囲の良識派の意見だったので、別れた事を周りから反対されなかった。

 バンド活動を続けていたため、就活が上手くいってなかったのも事実だったし。

 たぶんあのまま付き合っていても、私の周囲にいる人達とうまくいかなかったのだろう。当時は喧嘩した時の心のささくれで、不思議なほど自然に大事な人との別れを受け止められた。

 突然悲しい気持ちに気付いたのは、むしろ社会人になってからかもしれない。たまに彼の名前を検索して、もしかしたらどこかの音楽事務所のホームページに彼の名前を見つけるかもしれないと期待した。でも同姓同名のどこかの誰か以外、ヒットする事はなかった。


 そんな何もかもがいつか記憶の底に沈み、平凡な会社勤めをして、結婚。今は思い出す事も少なくなっていた。


 でもショッピングサイト、ミュミュの背景の若草色が私の世界の水平線にあるものを教えてくれた気がした。


 私の部屋は寂しい。


 それはマンションのこの部屋もそうだし、ショッピングサイト、ミュミュの、今はインテリアが充実してきた”部屋”の中もそうだ。

 もちろん愛してくれる家族もいるし、今は側にいない誰かを愛しく想い続けている日常でもない。

 ただ満月に程遠い、いびつな月みたいに何かが欠けている。

 この画面の部屋のソファーの陰を長押ししたら拡大されて、そこに何か思いがけないお宝が隠れているかもしれない、なんて敢えておかしな空想にひたってみる。それはいつも行くお店のコーヒーの無料券かもしれないし、アパレルの誕生月限定プレゼント券かもしれない。またはいつの間にか無くした外国の風景の絵葉書かもしれない。



 そんな探し物をする空想が心の隅を去ると、私は、久し振りに検索してみる気になった。一字一字。

 誰も検索した事のないかもしれない名前を。彼の名前。


 検索履歴を残しておけば、部屋にとりあえずキープされるように、自分の記憶に残り続けるから。


 そしてこの検索履歴を誰かに伝えるために。


 私が探している事を伝えるために。


 今も応援しているちっぽけな存在がいる事を知らせるために。もし何かで自分の名前が「ミュージシャン」と併せて検索されている事を知ったら、きっと宝物を見つけた気分になるだろうから。いつか上着のポケットに見つけたお気に入りのペンのように。


〈Fin〉


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