5
朔弥が俗世へ戻った時、日はすでに落ちきっていた。綾人を境界門まで送った後、清華と共に馬車の料金を支払いに行ったのだ。お金はいつも通り折半にした。彼女とは生まれた時から一緒で家族同然の付き合いだが、だからこそこういうのはきちんとしなければならないと思っている。
「ごめんね、荷物多くて」隣で清華が言った。
「いつものことだろ、気にすんな」
朔弥はたくさんの紙袋を抱えていた。言うまでもなく清華の購入品だ。小さい家具や本など、郵送できる物は実家に送るよう手配したが、それでも二人でやっと持てる量だった。
朔弥は俗世にアパートを借りていて、その隣に清華が住んでいる。だから二人で運べるのであれば問題はない。
アパートに辿り着くと、朔弥はそのまま清華の部屋に入った。荷物を隅に置き、ベッドに腰を下ろした。夜は外食にしようと事前に話していたが、どうも動く気にはなれなかった。それを感じ取ったのか、清華もソファに座り込んだ。
今日は朝から動き回っている。しかし、それで疲れたわけではない。普段している一、二時間の稽古の方がよほどきつい。今は肉体よりも精神的な疲労の方が大きかった。
「さっきはらしくなかったね。朔弥があんなこと言うなんて」清華が言った。答えずに黙っていると、彼女は続けて訊ねてきた。「なんであそこまで言ったの?」
「言葉通り、もう少し考えて欲しかった。それだけだ」
レトロ街の喫茶店で休憩した後、綾人に黎明館を案内した。学院の雰囲気を肌で感じ、少しでも入学に対して前向きになってくれればいいと思ったからだ。だが彼の反応は朔弥の期待したものではなかった。それでつい、思っていることが口から出てしまったのだ。
「ふうん。でも意外だったよ。もう綾人のことは諦めたんだと思ってたから」
朔弥としては清華にそう思われていることが意外だった。「どうしてそう思う」
「だって、昨日お父さんが綾人を学院に誘ったって話を聞いた時、朔弥ちっとも嬉しそうじゃなかったもん」
「そりゃあ、清治さんが綾人と二人にしてくれって言った時点で、学院に勧誘することは少し予想してたからな。けど、顔見てお前も思っただろ? あいつこそ全然嬉しそうじゃなかった」
まあねえ、と清華は立ち上がりキッチンへ行った。彼女は冷蔵庫からお茶を取り出すと、二つのコップを持って戻ってきた。
「でも、あれじゃますます行く気なくなっちゃうんじゃない? あたしでも不安になるもん」
痛いところを突かれ、朔弥は顔をしかめた。「べつにプレッシャーをかけるつもりはなかったさ……」注がれたお茶を一口飲み、でも、と続けた。「前みたいに軽々しく誘っていいものかって考えてたら、ああいう言い方になったんだ」
「どういう意味?」
朔弥は膝に肘を置いて前に身体を屈め、彼女の目を見た。
「お前、綾人のことどう思う?」
えっ、と声を上げ、清華は髪の毛先をいじり始めた。彼女が照れる時の仕草だ。
「どう、って……べつに」
「あー、ちがうちがう。言い方が悪かった」朔弥は頭の中で言葉を選び直した。「綾人は魔術師になるべきだと思うか?」
「なにそれ。そんなの、綾人が決めることでしょ」
「だよな。俺もそう思ってた」いや、と朔弥は曖昧な口ぶりで続けた。「今でもそう思ってはいるんだが……」
清華が怪訝そうに見てきた。「何が言いたいの?」
「妖政郷のためを思えば、綾人は魔術師になるべきだと、俺は思う」
清華は眉根を寄せ、さらに怪訝な顔をした。「妖政郷のため? どうしてそんな壮大な話になるのよ」
「お前も気付いただろ? 綾人と二人で話したいって言った時の、清治さんのあの目」
清華は口を閉ざした。彼女も思い当たってはいたようだ。
昨日、清治に綾人を引き合わせた時のことだ。二人で話がしたい――清治にそう言われ、朔弥は当惑してその場に立ち尽くしてしまった。発言ではなく、そう告げた彼の目に驚き入ったのだ。
「あの目は、俺たちには一度も向けられなかったものだ。あれは期待の眼差しだった」
清華は、うーんと唸るだけでまだ半信半疑のようだった。無理もない、彼女は綾人が魔術を使う姿を見たこともないのだ。
「半年くらい前に綾人の家にある地下室を見せてもらったことがある。あいつそこで錬金術をやってるんだ」
「錬金術?」清華は小首を傾げた。どうしてそんな無駄なことを、と続きそうな口調だった。
「魔力結晶を錬成してるんだ。熱力変換の、それも独学でだ」
朔弥の言葉に、清華は瞬きを何度か繰り返した。言葉の意味を一つひとつ吟味しているように見えた。
まさか、と彼女は言った。「信じられない。熱力変換の錬成なんて、錬金術専攻の第四階梯でようやくできるようなことよ? それを独学で?」
「俺たちだって客観的に見れば第三、甘く見積もってぎりぎり第四階梯くらいだ。同い年の綾人が第四クラスでも不思議はない。それに、俺はこの目で見た」
錬金炉に向かう綾人の顔を朔弥は思い出した。炉の焔に照らされる彼の表情には、ある種の神秘を待ち構えているような誠実さがあった。何かが違う――そう感じた。
そして作業が終わった後、「なんでこんな鍛錬を続けてるんだ」と訊いてみた。すると彼はこう言ったのだ。
「べつに鍛錬のつもりはないよ。僕にとっては精神統一みたいなものかな。滝行とか瞑想と同じさ」
こいつは本物かもしれない、と朔弥は思った。これまでいろんな魔術師と会ってきたが、魔術の行使を「精神統一みたいなもの」なんて言われたのは初めてだった。彼の異常性の一端を垣間見たような気がした。
「たまに綾人の家に行って木刀で打ち合ってるのは知ってるだろ」
「うん。綾人と出会った頃、あたしも見に行ったもの」
「
それを聞いて、清華は目を見張った。「……負けた? 綾人に?」
朔弥は静かに頷いた。「手を抜いたわけじゃない。なのに負けた。初めから動きがいいとは思ってたが、あそこまでとは思ってなかった」
「……魔術戦闘じゃないよね?」
真面目にそう訊いてくる清華に、朔弥は思わず笑みをこぼした。「んなわけないだろ。もしそんなことになったら親父に直談判してでも魔術師の道を絶ってるさ」
でも、と言って朔弥は続けた。
「自主的な修行もせず、ただ俺と遊び感覚で勝負してただけで一本取るようになった。正直言って化け物だ。天才だよ、あいつは。そうじゃなけりゃ、教会にいた時に何か特別な訓練を受けてたとかだな」
清華は気圧されたように息を呑んで押し黙った。朔弥の負けず嫌いも、幼い頃からどれだけ稽古に励んできたかも彼女は知っているからだろう。その朔弥がここまで言うのだ。
「もし綾人が並の魔力量を持って魔術に努力を傾ければ、断言できる――二年……いや、一年で俺は魔術戦闘でも勝てなくなる」
「まさか……ありえないわ」
あり得ないのは清治の方だと朔弥は思った。あの時の目が本当に期待の込められたものなのであれば、彼が一年かけてようやく気付くことのできた綾人の異常性を、清治はたった一瞬で見抜いたということになる。そんなことはあり得ない。以前から綾人の能力を知っていたとしか思えない。
「もう一度訊く」朔弥は言った。「綾人は、魔術師になるべきだと思うか?」
清華は口を噤んだ。朔弥の言わんとしていることをようやく理解したようだ。
綾人が魔術の道を歩もうとすれば、彼は間違いなく相伝主義者の標的となるだろう。至る所で不当な扱いを受けるはずだ。そんなことは朔弥も望んではいなかった。
さらに最悪なのは、占領されている妖政郷の復権のために利用されることだ。今の七大領域が虎視眈々と錬金教会の首元を狙っているということを、朔弥はよく知っていた。父親と清治の後ろ姿を見てきたからだ。
親父たちは、何かとんでもないことを企んでいるのではないか、と彼は思った。その企みに綾人を利用しようとしている。
清治の目に宿っていた妖しい光を彼は思い出していた。
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