母、襲来。
その日は、予定もなく、いつものように診療所代わりのガレージを開け、定期メンテナンスか急患患者を受付に座って待つ。そんな、なんの変哲もない日になるはずだった。
「ここがあの息子のハウスね」
なにやら家の外で聞いたことがあるようでないセリフがした。聞き覚えのある声だった。
僕が嫌な予感を覚えていると、その人影はガレージに飛び込んできた。
「母さんが、来たわよ!」
多分、なにかしらのミームを捩って使ってるんだろうなと思う。
ガレージのシャッターを潜って仁王立ちで現れたその人影は宣言通り僕の母だった。
「母さん!? なんで来たの!?」
僕の仰天ぶりもなんのその、母はしれっと言う。
「いやだって、ハル貴方ずっと連絡よこさないじゃない」
それは申し訳ないけれども!
「だから、来ちゃった」
来ちゃった。ってそんな気軽に来ていいところではないはずなのだが。
ここはサイボーグ兵の寄り合うスラム、生身の人間が大した用もなく寄り付いていい場所じゃない。……僕? 僕は、愛に生きてるから。
「危なくなかった?」
「ああ、なんかゲートで名前を告げたら、この街の司令官さん? って人と少しお話しすることになって、ほら、今もあそこにいる人達が滞在中一緒にいてくれるんですって」
母の言葉に、見れば黒服サングラスの男が二人、後ろに控えていた。これが映画で見るようなSPというやつか。司令官さんが、僕の母ということで気を利かせてくれたのだろう。
「私、要人になった気分よ。一般人の安全にここまで気を遣ってくれるなんて、ニュースで聞くよりこの街も案外いいところみたいね」
……それはきっと僕の母だからで、本当に要人扱いされているんだけれど。わざわざ説明するのも面倒なので、
「でしょう!」
と強く言い切った。
こういうのはパッションとノリで誤魔化すに限る。
「ところで、あの司令官さんイケメンよね。貴方あの人と知り合いなの? すごく褒めてたわよ」
「あはは……」
笑って、誤魔化す。
司令官さん、母に何を喋ったんだろう。司令官さんは良識と常識のある人なので、そこまで心配してはいないが、あの人、僕のこととなると目が曇る。多分、僕が聞いていたら恥ずかしくなるぐらい、ベタ褒めしたんじゃないだろうか。
そんな会話をしていると、助け舟がやってきた。
「お母さん、お久しぶりです」
「プルートさん、お体の方は大丈夫?」
「おかげさまで」
「あの時は、本当に息子がお世話になりました。何度お礼を申し上げても足りません」
「いいえ、いいえ。傭兵としてあの事態に正規軍よりも早く駆けつけることができて、ハル君を守ることができて、誇りに思っています」
あの時というのは、僕がテロにあった時のこと。あの時、僕は
なんだこれは、三者面談か。
僕は、学校を卒業したはずなのだが。
僕はこっそり
「(いつもと口調違くないですか?)」
「(いやそりゃお前の母さんには気ぃ遣うだろ!?)」
まあ、そりゃそうか。
母と
「うちのハルはどうですか?」
「どうと言いますと?」
「ご迷惑をおかけしたりなど──」
「そんな、そんな! 滅相もありません! ハル君にはいつもお世話になってばかりですよ!」
お世話。毎晩セックスしてることだろうか。
最初の頃はそりゃあ電子ドラッグ依存症の治療をしていたけれど、最近では、僕の方が診療所のお手伝いをしてもらってばかりな気がする。夜に、僕を求めて泣きついてくれるのは、僕としては嬉しいことだし。
僕は、深く考え込んでしまったが、隣では、相変わらず二人の世間話が続いている。
「ハルは電子除染技師なんですよね」
「ええ」
「私、機械にはあんまり疎くて、よく分からないんですが……」
母さんは、昔から機械があまり得意ではなかった。今では先進国ではほとんどの人が入れてる脳内チップもあまり活用できていない。
僕が、電子除染技師になりたいと言った時もあまりよく分かっていなかった。恩人の兵士さんの力になりたいのだと言ったら、快諾してくれたけれど。
「立派な医者ですよ! 機械のお医者さんみたいなものです」
「そうなんですか」
「この街のみんなハル君のお世話になっていますよ、ええ」
「そんなに、ですか」
多分、褒めちぎられていると実態から外れているような気がしちゃうのかな。
それか電子ドラッグの治療という裏社会に通じているのがやましいからか。
うん、後者だな。
立派な医者と言われると危ないことに関わっていることを隠してる気分なのだ。
「それと、この街は危ないんだとか」
ちょうど、母もそのことについて
「ハル君にはいつも俺が側に付いてますし、この街には彼ら軍の人も常に駐屯していますから、何も問題ありませんよ」
お。と思った。
それからも
────────
────
──
この前、ミアの彼氏だった男に僕が攫われてから
隣を歩く母が、話を切り出した。
「プルートさんって嘘が下手ね」
「え」
「この街が本当に安全なら、こんな風に付き人がつく必要ないでしょう?」
「あはは……」
母は後ろの付き人二人を見やりながら、指摘した。
ごもっとも。
僕は笑って誤魔化すしかなかった。
「あんたこの街で何やってるのよ。私にまであんな付き人がつくなんて、変でしょ」
それはそう。僕は苦笑しながらもきちんと話すと長くなってしまうから、端的に答えた。
「大切なことだよ」
愛する人の居場所を守ること。
それより大切なことはこの世界にきっと他にない。
「それは危険なこの街にいなきゃいけないほど、大切なことなの?」
「うん」
僕は、深く頷いた。
母さんには心配をかけてしまうかもしれないけれど、僕は愛に生きることにしたから。
「……そんなにプルートさんのことが好き?」
「え?」
僕は、そんな素振り一切出した覚えがなかったからびっくりしてしまう。
けれど、母は鼻をフンと鳴らして、当然とでも言いたげだ。
「分かるわよ。女手一つで育てた息子ですもの」
そういうものなんだろうか。僕は親になったことがないから、分からないけれど。
「昔から、あの人にメッセージ打ってる時、あんたいつも鮮やかに笑っていたわ。プルートさん、プルートさんってよく懐いてたものね」
ああ、そんなこともあったっけ。昔から僕は
多分、僕はテロで父を亡くしたから、その分もあったんだと思う。
「はぁ……、うちの家系はハルで途絶えてしまうのね」
母は、大きなため息を吐いた。
実の息子が同性愛者というのはショックなものなんだろうな、やっぱり。
女手一つで育てたのにこんなことになってしまって、流石に、申し訳なくなってしまう。
「あ、えと、ごめんなさい」
「いいわ。私、妹いるし、そっちの家系に子孫は期待しましょ」
それでいいのかとも思うけど、母は意外なことにあっけからんとしている。
自分の息子が同性愛者なことも一瞬で受け入れてしまったのだ。
そういう図太さがなければ、女手一つで子供を育てられなかったのかもしれない。
「もう何も言うつもりはないけど、ああそうだ。一つだけ──」
母はそこで一度、言葉を切った。
なんだろう。
「うちの人──お父さんのことたまには思い出してあげて、忙しくても、それぐらいならできるでしょ?」
ああ、それは大事なことだなと思った。
父は僕をテロから守り亡くなった。その父の死を忍ぶことは僕もやぶさかではない想いがある。
僕は素直に頷いた。
「うん。分かった。けど、お墓参りとかいいの?」
普通。墓参りぐらいしに帰って来なさいとか言いそうだけど。
「やることがあるんでしょ? なら、お父さんも分かってくれるわ」
母はしれっと言ったが、父に対しての全幅の信頼の現れだった。きっと、父が生きてたらオシドリ夫婦だったんだろうな。
僕も、
「さてと、あの人達にもプルートさんにも悪いし、今日は泊まるけど、明日早めにここを発つわね」
「え? 来たばかりなのに?」
僕は、びっくりとしてしまう。もう少し、ゆっくりしてけばいいんじゃないかと思う。
家からここまでくるのに結構大変だった記憶がある。
バスも電車もないから、車を雇ってここまで来たのだ。
けれども、そんな僕の心配とは裏腹に母はニヤリと妖しく笑った。
「貴方たちが好きあってるなら、お邪魔しちゃ悪いでしょ?」
僕の母には、どうにも全てお見通しのようだった。
────────
────
──
翌朝。
母は昨日の宣告通り、早朝から帰る支度をしていた。
荷物をまとめ、待たせていた付き人二人に荷物を渡している。
僕と
そんな僕たちの元に、忘れ物がないか確認を終えて、付き人に車のトランクを閉めてもらった母が駆け寄ってくる。
「じゃあ、もう帰るけれど、元気でいるのよ。──プルートさんも!」
「うん。母さんも気をつけて」
「ええ、お母さんもお元気で」
そして、母が車に乗り込もうとするところで、
「なぁ、ハル。お前、母さんと一緒に──」
あ、いつもの悪癖始まったなと思った。その瞬間だった。
「プルートさん、ハルをよろしくね!」
「…………」
母の笑顔の援護射撃が
母さん、強ぇー……。
そのまま母が司令官さんの手配した車に乗り込んで、走っていってしまって、車が小さくなって見えなくなった頃、
「お前の母さん、おっかねぇよ」
「あはは……」
僕は笑って頷くことしかできなかった。
母は強し。
その一言に尽きる、そんな母の訪問だった。
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