ウサギはカメの夢を見る。
そいつを最初見た時、俺ことバーナードは、ケッタイな奴がいるなあと思ったものだった。
街往くサイボーグを治療して回る電子除染技師──ハルだ。街で噂になってるから名前を知っていた。
評判は良かった。どんな奴にでも親切にしてくれる善良な奴。けど、そういう奴は何度かこのスラムにポップしたことがある。どっかのNPOだか、そういう奴。でも、そういう奴ってのは大体補助金や寄付金目当ての金に目が眩んだ奴だったりで、結局、善行の真似事をするだけで本当に困ってる奴には何もしてくれないどころか食い物にするような奴で、俺は大嫌いだった。裏稼業の一環でそういう奴らを叩き潰すのはとても気持ちがよかった。
だから、ハルって奴もどっかで化けの皮が剥がれるだろう。そう思っていた。
それに、この街でサイボーグですらない、それどころか生身の人間として見てもナヨナヨした女みたいなメガネをかけた男がこの街で長く持つはずがない。とも思っていた。
けれど、意外なことにハルは長く生き延びていた。いつも側にゴツい全身旧型サイボーグの男がいるからだろうか。ケッタイな美女と野獣があったもんだぜ、全く。
多分、下手に手を出したらあのサイボーグにぶちのめされる。旧型サイボーグはおっかねぇってことを、このスラムに長く居着いた俺は肌に身を染みて感じていた。
見ろ。あの姿を。微動だにせず壁に寄りかかってる姿を。だらけているかと思えば、その目は視線をあたりに張り巡らせている。あの振る舞いはだらけているのではなく、力を蓄えているのだ。
いつもじっとしてるようなあいつらは老練な手だれであって、ノロマなカメなどでは決してない。それを見誤ったウサギからこの街では死んでゆく。この街で絶対に手を出してはいけないのは最新型サイボーグじゃなく、装いを変えていない旧型サイボーグの奴らだ。
そんな奴を味方につけているのだから、あのハルとかいう電子除染技師もきっとただものじゃない。俺はできるだけ関わりにならないよう、避けていた。
避けていた、はず、だったのだが……。
「あの」
ある日、路地に座り込んで裏稼業の稼ぎを数えてると向こうから声をかけられた。
うへぇ。って思った。
なにかしでしたか。覚えがねぇぞ!? 内心パニクっていた。
けれど、俺とは裏腹にハルはにっこり微笑んだ。
「あ、びっくりさせちゃってごめんなさい。いつも街で見かけるから」
どうやら、俺が何かしたワケじゃなさそうだった。
なんだよ、びっくりさせんなよ。
俺は肩の力を抜いて、おどけて軽口を叩いた。
「あ、そう。なに俺のファンになりたいってワケ? これナンパ?」
俺の言葉に後ろのサイボーグが俺を無言でジロリと睨む。
あ、やべぇ。やぶ蛇った。これなんかマズそう。お前らそういう仲かよ。
ハルは後ろからの圧に気付かないままニコニコしている。
なるほどね。本当に美女と野獣じゃん。
俺の訝しげな言葉に、ハルは慌てて頭を振った。
「違います。違います」
じゃあ、なんだよ。
俺が訝しんだままでいると、ハルは続けた。
「あの、定期メンテナンスってしてます? もしよかったら無料でしますけど」
それは単なる善意のお誘いだった。
────────
────
──
まあ、無料だし。評判いいし。なんかやばいことするような奴ならすぐ知れ渡ってただろうし。こういうのって試供品渡して気に入ったらまた試してねって奴だろう。それに偽善者の化けの皮を剥ぐいい機会だ。と、ホイホイついてった。途中、後ろからのサイボーグの視線がザクザクと俺の背中に刺さってたケド。大丈夫だよ、とらねぇよ!
そんなこんなで診療所代わりにしているというガレージに着いて、診察台に寝かされる。
儲かってると街の噂では聞いていたけど、案外、ボロ屋だ。質素なのが好きなのか?
そんなこんなで、定期メンテナンスというのは滞りなく行われた。途中、傷跡に気づかれて、服を全裸に剥かれて強化外骨格の傷の多さをブチギレられたが。ちんぽ取ってるとはいえ、恥ずいんだが!? 気恥ずかしさに軽口を叩く。
「いやん、助平♡」
「だまらっしゃい! なにをどうしたらここまで傷だらけになるんですか!」
くそ、誤魔化せねえ。
俺はサイボーグだっていうのに、医者に不摂生を叱られる患者のような仕打ちを受ける羽目になっていた。
それはとても大層善意の発露であって、ありがたいんだが、めんどくせぇ……。
俺は、裏稼業で危ない仕事を退屈凌ぎに受けていた。
だって、つまらねえんだもん。生きてたって。
スコアがわりの貯金をどれだけゲームオーバーにならずに積み上げられるか、そういうゲームのつもりだった。
けれど、そんな遊びにも飽きてきた。だって、もう最強装備に身を包んでしまったから。
俺は全身を効率を求めて最新型サイボーグに換装していた。まあもっとも最強は旧型サイボーグの方なんだけれど、アレはちょっと戦闘に振り切りすぎてスマートじゃない。それに高速低防御のキャラを使いこなす方がひりつきがある。
まあでもそんなひりつきにも飽きてきたのだ。
だからかな。
案外、自分の身を案じて怒ってもらえるというのは、めんどくさくはあったけど、心地がよかった。説教は右から左に抜けてほとんど聞いてなかったケド。
そうこうしていると、定期メンテナンスという話がいつの間にか治療するという話になっていて、断る間もなく、硬化ジェルを全身に塗りたくられる。全身をヌメヌメにされるもんだから、おっと、ここはそういうお店なのかな? とおちゃらけた。
「あふん♡」
「おバカ!」
すぐさまツッコミが入る。面白かった。初対面のはずなのに我ながら結構打ち解けれたと思う。
俺は効率を求めて邪魔だからとちんぽも切り落としていたけれど、そうじゃなかったら本当に変な気分にでもなっていたんだろうか。まあ、そうなったらなったで、控えてるサイボーグにブチ殺されそうだケド。
仕上げに光を照射され、ジェルの硬化処理を終えた俺は、まるで新品同様の体に戻っていた。強化外骨格に刻まれていた傷が綺麗さっぱりで、思わず感嘆の声を漏らす。
「お〜、すげえ」
「傷隠しはできましたけど、あんまりやりすぎると耐久性下がっちゃいますからね」
「はぁい」
俺は、おちゃらけて子供のように返事をしながら、感心していた。そりゃ評判になるわ。この体なら全裸で街を歩いても恥ずくないかもな。俺、ちんぽねえし。
とはいえ、服を着るのは文明人の嗜みで。
俺はピカピカの体に気に入りの服を着ながらハルに問いかけた。
「なぁ。お前、なんでこんなことしてんの?」
俺としては、ごくごく当然な質問だった。
金が稼ぎたいだけなら、わざわざこんなところに来る必要はない。電子除染技師は生身の人間の脳内チップのメンテナンスしてるだけでボロ儲けできる。危険なサイボーグのスラムで診療所なんて開く必要はない。
何か理由があるはずだった。
「……この街にしか居場所がない人達がいるから、この街を守りたいんです」
ハルは無意識にだろうか、壁に寄りかかってる、いつも一緒にいるサイボーグへと視線を走らせた。その視線は何かしらの熱を帯びていて。
ああ、両想いってことね。なるほどね。納得いった。
それは飾らない言葉で、本心で。それだけに信用するに値する言葉だった。それに、こいつら本人らは気づいてないだろうが、目でめちゃくちゃモノを語る。だから、嘘じゃないとはっきり断言できる。
恋心。
下手な綺麗事よりよほどいい。
その上で立派におこぼれをこうして俺や街の他のサイボーグに振り撒いてるってんだから、ハルは立派な善人だった。そこらの大層な理念を掲げる偽善者よりよほどいい。ちゃんと当事者として目的意識と理由がある奴は、偉そうに何か口を出しただけで何かやった気になる馬鹿どもよりよほどよかった。
俺が見てきた上辺だけの綺麗事を言う奴とは違った。
気に入った。
「ほら、これ」
俺は懐から、今日路地で数えてた裏稼業での稼ぎ、その内のいくらかの金を突き出す。
相場は分からねえが、まあ足りるだろう。
「え? 僕、無料って言いませんでしたっけ」
ハルはびっくりした顔でお金を押し返してくるが、俺は無理やり握らせる。
うん、覚えてる。
けど、俺は払いたいと思った。
「別に。俺、金、困ってねえから貰っとけよ」
というか、定期メンテナンス以上のことしてんじゃん。俺の体がピカピカになっているのがその証拠だ。
それに、それ以上に勉強になったと思った。だから、勉強代のつもりだった。
後、勝手に疑ってたしな。その詫びも込み。
「でも……」
まだお金を受け取ることを渋るハルを見兼ねてか、壁に寄りかかっていたサイボーグが手をヒラヒラとさせながら口を出した。
「もらってやればいい。渡したいってんだから」
「じゃあ」
すると、ハルはようやく決心がついたのか、俺の手から金を受け取った。
そうそう。素直に貰っとけばいいんだ。
「お前、すごいな」
「え?」
いきなり俺に褒められたハルはキョトンとしている。
俺は構わず、続けた。
「俺、バーナード」
「あ、僕ハルです」
俺の自己紹介に釣られてハルも自己紹介をした。
うん、知ってる。
「よろしくな」
俺が拳を突き出すと、ハルはちょっと首を傾げてから拳をコツンとぶつけてきた。うん、お前思ったよりノリいいじゃん。いいね。
「じゃあな」
俺は上機嫌で診療所代わりにしているのだろう、ガレージから出た。
さて。
診療所から出て、すぐに俺はコンコンと顎に手を当てて考えていた。
ハル。
この街の唯一の電子除染技師。
善意の第三者ではなく、当事者としてサイボーグ達に救いの手を差し伸べている、見るからにお人好し。
あんな善人がいるんだなとこの身で思い知らされた。それに比べて自分はどうだ。
俺は、この街で何をやっている。
裏稼業で金だけ集めて、自分の体を効率を求めて改造して、俺は一人で生きていくとちんぽも切り落として、それで、その先に何がある。
何もなかった。
結局、自分一人だけでは何もかもが自己満足に過ぎないのだ。そう思い知らされた。
そんな生き方はもう飽きたのだ。
なら、生き方を変えなければならない。
俺も、俺もハルみたいに、本当に誰かのために──。
そんな時、街の空き地の広場にたむろするガキどもを見かけた。
これだ──と俺は思ったのだ。
それからの俺は以前にも増して金稼ぎに奔走するようになった。
ガキどもに声をかけて、街にいくらでもポップするサイボーグの死体からパーツを拾い集めさせて買ってやる。んで、それを別の街に持ってって売り捌いては、裏稼業の
ただ金を配るより、金儲けに一枚噛ませてやる方がガキどもは俺を信用した。一見理由のない善意ほど怖いものはないと俺もガキどもも知っていたし、だから俺は理由を用意してやった。
正直、楽しかった。
ガキどものためという大義名分を得た俺は水を得た魚だった。
そうこうしているうちにハルとも何度も関わることがあって、情報を売ってやったり、時には怒られたりしながら打ち解けていった。
ある日のこと。
たまたま出歩いてる時にハルとハルを守るサイボーグ──プルートと出会った。プルートっていう名前なのは、ハルと話す内にいつの間にか自然と知った。
「バーナード、子供たちに色々してあげてるんだって?」
何度か出会うたびに、揶揄っていたから、ハルからも俺にすっかり打ち解けて、敬語じゃなくて砕けて喋るようになっていた。これはもう友達って呼んでいいんじゃないかって思う。俺は、友達ができるのなんて初めてで、存外、他者という存在が心地よかった。
俺は、ずっと、一人で生きてきたから。
「おう、新しく商売始めてな! 親分として手駒にはいい思いさせてやらないとな!」
「君のおかげで、スリや売春する子供たちが減ってるみたいだよ。危ない目に遭う子も減ってるみたい。
──子供たちに代わって、ありがとうね」
ハルは、なぜか俺にお礼を言う。
「まあ確かに、それは俺の功績だけど、なんでハルがお礼を言うんだよ?」
俺は、心底、疑問に思ってしまう。
別に、スラムのガキどもはハルの身内というわけでもないし、ハルのためになることをしたわけじゃあなかったから。
「だって、この街で悲しいことが減ることはすごく嬉しいことだから」
ハルは、まっすぐ俺の目を見て、微笑んだ。
そっか。そうだよな。俺は納得していた。
ハルは、お人好しなのだ。
だから、多分、このスラムでガキどもが傷つくところを見かける度に、きっと心を痛めていたりするのだ。ハルはどこまでも真っ直ぐだから。
そして、俺はハルのそういう真っ直ぐに好意や心配を他者にぶつけられるところが、なんていうか、その、すごく、くすぐったかった。一応、俺にだって言い分はある。こんなスラムで! ハルみたいな善人に耐性がある奴がいるわけないだろ!
「ま、まあ? 俺は大義賊を目指してる漢だからな! これぐらいチョチョイよ」
気恥ずかしくて、口から出まかせを言う。
「なにそれ」
ハルはクスクスと手を口に当てて笑う。ハルに笑われるなんて初めてで、俺はちょっとムキになってたと思う。
「石川五右衛門って奴が極東にいてさ──」
俺は、極東にかぶれているところがあって、ちょっと暇があればJIDAIGEKIを見ていたものだから、適当に話を盛っていく。けれど、そんな与太話をハルは真剣に頷きながら聞いてくれた。多分、俺がこの話をしたからか、ハルは時折、これ以降、極東の話題を振ってくれるようになった。
「応援してるね。バーナード」
そして、俺の与太話を馬鹿にもせず、真剣な眼差しで応援されてしまうものだから、俺はドキッとしてしまう。それからも色々と話してたけど、俺はちょっと上の空だったと思う。
……俺、ちんぽ切り落としてなかったら、ハルのこと、本当は、どう思ってたんだろう。
ハルとプルートの二人と別れて一人歩く間、そんな疑問が俺の心に浮かんでいた。
また、ある日のこと。
俺が広場でガキども相手に大義賊としての務めを果たしていると、そこにハルとプルートがやってきた。
聞けば、俺がサボりにサボっている定期メンテナンスを受けさせに来たのだと言う。
俺は快諾した。
なんというか、その、こうして定期メンテナンスをサボっているとハルが心配してはるばるやってきて気にかけてくれるのが嬉しかったのだ。俺は、構ってちゃんなのだった。
だから、本当は定期メンテナンスの時期だなとか、そういうのは全部分かってたし、覚えてた。ハルがやって来てくれるのをずっと楽しみに待ってた。
けれど、ハルが勝手に自分のお節介をめんどくさがってるんだと勘違いしてくれているから、敢えて訂正はしないでいた。だって、ほら、さ。大義賊が構ってちゃんなんて格好がつかないだろ?
そんなこんなで。俺は、大義賊の務めを果たした後、約束通り、ハルとプルートのニコイチカップルと一緒に診療所へ向かった。
「バーナード、こんなになるようなこと続けてたらいつか死んじゃうよ」
ハルは定期メンテナンスで、傷だらけの俺の体に硬化ジェルを塗る度、いつもそんなことを言う。めんどくさいけど、嬉しかった。
ただ、本当にハルは心の底から心配してくれていることも分かっているから、ここらが引き際だとハルを元気づけるために俺はいつもの決め台詞を言った。
「んー、ハルに心配されるのは光栄なんだけどよ。大丈夫。俺はタダじゃ死なないから!」
「またそれ……?」
ハルは訝しむが、俺には秘策が一つあるのだ。
願うならば、頼りたくない手ではあるけれど、用意しとくに越したことはない秘策だ。
ただ、今回はいつもと様子が違っていて、ハルはまだ不安がってるようで。決め台詞の効き目が薄い。いつもなら苦笑してくれるけど、お約束にし過ぎて慣れちゃったかな。そういや最近ハルの女友達の一人が死んじまったんだっけかとか俺は色々内心焦った。
ハルが心配してくれるのは嬉しいけど、ハルに嫌な気持ちをさせるのは、本意じゃなかった。
慌てて言葉を捻り出す。
「大丈夫、大丈夫。そんなハルが心配しなくても、義賊のおこぼれとして蓄えもあるし、区切りがいいところで。いずれどこか別のとこに移って安全な商売でもするって」
「…………」
けれども、ハルはやっぱ暗い顔をしたまんまで。俺はしまったなと思った。
自分ばかり楽しくてハルの気持ちを蔑ろにしてしまった。
その日は、定期メンテナンスが終わっても、結局、ハルの明るい表情が戻ることはなかった。
俺はなるべく今後は気をつけようと、診療所からの帰り途で、そう自分の胸に誓った。
けれども、それからも相変わらず俺は未だに危ない仕事を続けていた。
俺が気に入らないNPOの奴らはハルが現れてから姿を現さなくなったし、ガキどもに配る金の方もガキどもから買い集めたパーツの商売で賄えていたが、俺にはもう一つある壮大な計画があったのだ。そのためには、もっともっと金が必要だった。
自分一人のためじゃやる気になれない、そんなゲームが誰かのためならできるのだ。
そう、功を急いだのがよくなかったのかもしれない。
その日も、俺は裏稼業の仕事を済ましたところだった。
その日は『荷物』を運ぶだけの仕事を済ませて、これで報酬がもらえるなんてチョロいぜだとか思いながら、報酬のアタッシュケースを歩く手の振りに合わせて、大きく振り回していた。『荷物』の中身は興味ない。どうせ違法摘出臓器とか電子ドラッグじゃない、ガチモンの違法ドラッグとか碌でもないものだろう。でなけりゃ、裏稼業で俺に仕事は回ってこない。
今回の仕事は俺が名指しだった。俺は結構、裏稼業業界では名が売れてたし、報酬も良かったから飛びついた。それに、ものを運ぶだけなら危ないことも比較的少ない。ハルに心配かけさせずに済むとも思ったのだ。
後から考えれば、妙だと気づくべきだったのかもしれない。俺は名が売れているのと同時に、結構、恨みも買っているのだから。例えば、NPOだとか。
俺は家に帰る前にちょっと立ち寄って、誰もいない裏通りの廃ビルで報酬を確認した。別にアジトってわけじゃないが、人目につかないここはちょっとした小事を済ますにはうってつけだった。
アタッシュケースの中には、札束がぎっしりと詰められていて、俺は思わず胸が高鳴るのを感じた。
これだけあれば──、ガキどもをこの地獄から救ってやれるかもしれない。
俺は満足して、アタッシュケースの蓋を閉じた。
カチリとアタッシュケースの蓋の金具が音を鳴らして、次の瞬間──。
アタッシュケースが爆ぜた。金属片と爆炎が猛烈な密度で俺を襲った。
瞬間、俺の体は火だるまに包まれる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──。
思考が痛みに塗りつぶされ、俺は地面を転げ回った。
防御力を高めた強化外骨格であっても全身を燃やされては意味がなかった。生身の残っている部分からぐずぐずと焼け爛れていく。
それだけではなかった。
呼吸ができない。喉を掻きむしるが、その喉がもはやなかった。喉があるはずの場所を指が空を掻いて、それなのに、死ねなかった。
サイボーグだから。俺は人より脳内チップを高性能にしていたから。
痛い。苦しい。助けて。誰か──、
────ハル。
俺は縋る思いで、救援信号を送った。
────────
────
──
少し時間が経って、火は消えて、俺の体は燃え尽きていた。
身体中が燃えた痛みとか窒息の苦しみとかは意外なことにもう感じてはいなかった。それらを受容する器官がオーバーフローして壊れたのかもしれない。それだけならばまだいいが、ただ、脳が、自分自身が、少しずつ腐り落ちていくことが怖くてしょうがなかった。酸素が供給されない脳の中で脳内チップが奮闘していたからか、進行はゆっくりではあったけれど、自分自身の記憶や考えていたこと、大切なこと、人格、俺を構成するそれら全てが、端から崩れて
これでは、仮に生き延びれたところで意味がなかった。
せめて、俺が俺のまま死にたい。
誰か助けてくれ! 物言えぬ体の中で俺は泣き叫んでいた。
そうこうしていると、足音が聞こえた。
そして、それはきっと救援信号を受けて駆けつけたハル達だった。
まずプルートが、俺の顔を覗き込んで息を漏らした。
いつもハルの旦那とか、彼氏とか、言われない限り表情を変えないようなプルートが、そんな仕草をするってことは、やっぱり俺の容態は芳しくないのらしかった。
それからプルートが立ち上がるとハルと何か言い合っていて、それが終わるとすぐにハルが俺の側に座り込んで、何やらカバンから何かを取り出して地面に並べた。
俺からは、ハルの表情がよく見えていた。
ああ、ハルは、俺なんかのために泣いてくれるんだ。俺なんかさ、善行してたって全部ゲーム感覚だったのに。
ハルは、涙をこぼしてはいなかった。けれど、その目にはいっぱいに涙を湛えていて。
もう、泣いているようなものだった。
なんだよ。お前、好きな人のために電子除染技師してるみたいな顔してたけど、ちゃんと周りのこと大切に想ってるんじゃん。それとも、俺も、ハルの大切な人の内の一人になれたって思い上がってもいいのかな。
「助けてあげられなくてごめんね、バーナード。いま楽にしてあげるからね」
気にしなくていいのに。トチったのは俺で、ハルは何も悪くないのに。
言葉にしてあげたいのに、口が動かなかった。もう俺の体じゃないみたいだった。
「僕は、君がスラムの孤児たちに商売の分け前を気前よく配ってくれてるところ、本当に好きだったよ。君の武勇伝を子供たちは楽しそうによく聞いていてくれた。君はこの街の希望の一つだった」
ハルは最後だからとお別れの言葉を述べていて、ああ、俺も喋れたらお別れに言いたいことあるのに。あったはずなのに。何か言ってなかったことがあったのに。
消えかかる自我の中で必死に言葉を探す。口にすることはできなくても、想い返すことぐらいはしてあげたかった。
崩れていく自我の中で、これだけはまだ残っていた。
──なぁ、ハル。俺、お前にいつだったか石川五右衛門に感銘を受けたって言ったけどさ。
違うんだ。俺は、本当は、お前に憧れてたんだ。
お前みたいに誰かを助けて回るお人好しってやつになってみたかったんだ。
なあ、ハル。俺、俺なりに頑張れたよな? ウサギはカメに追いつけたかな。
「ありがとう。よく眠って」
ハルが俺に何かをして、俺の意識がバチンと消えた。
ありがとう。俺を俺のままでいさせてくれて。
俺が最期に思ったことは、そんなことだった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「バーナード。一年ぶりだね」
僕ことハルは墓参りにやってきていた。
今日は、バーナードの命日だ。あいにくの曇天であまり天気はよくない。
簡素な十字架が墓地には並んでいる。この街ではよく人が死ぬから丁寧に墓を作っていてはキリがないのだ。
「君がいなくなってから、この街はだいぶ変わったよ」
色んなことがあったんだ。ストリートチルドレンを孤児院に送り届けても、なお色んなことが。けれど、ここでは話すことはやめておく。今日は、バーナードにたくさん話してあげたいことがあるのだ。
「そうそう、孤児院からね。子供たちがバーナードへ手紙みんな書いてくれたみたいだよ。ほら、こんなに。ファンがいっぱいだね」
バーナードのお墓の前で鞄から取り出した子供たちからの手紙を拡げる。
山のようにあるそれが鞄にパンパンに詰まっていた。
僕は、それら一つ一つをバーナードの墓の前で朗読した。
バーナードに届いてくれるように。
「バーナード、君はみんなの親代わりだったね」
長い時間をかけて読み終えた僕は、バーナードのお墓に笑いかける。
バーナードは子供たちに愛されていた。手紙の数がその証左だった。
「君がいなくなって、寂しいよ。君はいなくならないと思ってた」
バーナードはいつも引き際を弁えていたから。
ううん、違う。本当は、いつまでも君の優しさに頼っていたかったんだと思う。
「先に置いて行っちゃうなんて、ズルいよ」
子供たちは未だに君のこと大事に懐いていてくれてるのに。
僕もこんなに寂しく思っているのに。
愛されたまま死んじゃうなんて、勝ち逃げもいいとこだった。
バーナードはそういうところがある。
お調子者で、みんなの人気者で、憎めない奴。
「子供たちにいつか本当のこと教えてあげないといけないね」
僕は、天を仰ぎ見る。
そうしないと、涙が溢れそうで。
「バーナード。子供たちも、僕も、君のことが大好きだったよ」
僕はその言葉と共に手紙の他に用意していた花を捧げた。
区切りをつけないといけなかった。
「もういいのか?」
「ええ」
後ろに控えていた
いつまでも死者に甘えてはいられないから。
思い出は優しすぎていつまでも浸りたくなってしまう。
「じゃあな。バーナード。俺も、お前のこと嫌いじゃあなかったぜ」
去り際に、
「また来年」
そうして、僕達は、肩を並べて、バーナードの墓の前から、大切な友達がもういない世界を歩いていくのだった。
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