CUBE 箱庭の景色

九三郎(ここのつさぶろう)

 「洋ナシじゃなくて梨がよかったのに。」


 彼女の言葉に今日初めて人に共感して、ただ安かったから買ってきて”あげた”だけだったもう用無しのラフランスをキッチンのカウンターに置く。今日の彼女とはもうセックスできないだろうとわかったので、取り合えず冷凍庫から取り出した製氷皿の氷を氷室に補充しておいた。彼女が機嫌を損ねるきっかけを1つ潰しておくだけで、その日の風呂上がりにのんびり映画を見る時間が中断される事が2回は減るだろうから。


 「じゃあ冷蔵庫の中に入れておくよ。好きな時に食べてね。」


 キッチンの脇の水切り台に立てかけてあるまな板に手を伸ばして、その間に彼女が皿を洗ってくれていたおかげで綺麗になっているシンクを見下ろしながら、今日もまた少しだけ、彼女をより好きになる事ができるようにする。


 「梨でしょ。剥くのめんどくさいなぁ・・・。」


 まだ乾ききっていない皿の一番左奥に並べられていた比較的水気の切れている白い平皿をなるべくガシャガシャ音を立てないように取りながら、

 「じゃあ今剥いちゃうからさ、一緒に食べよ。」

と言って同時に右手で洋ナシの入ったビニール袋の持ち手の輪に指を通して持ち上げた。ナシの他に30%引きだった鶏のささみ肉が入っていて、それが予想通り重りとなってビニールを中指の第2関節に食い込ませる。


 「ん、わかった。冷蔵庫にチューハイ入ってるよ。」


 彼女は壁沿いに置かれた二人掛けの足付きソファの上に脚を伸ばして座っていて、緩めのショートパンツが尻までめくれてパンツの端が見えているのもわかっていてもそれに気にするような事はなく、いつものように白い太腿の根元の方を爪で掻いている。一瞬たりとも目を離さないスマホの画面には昨日ライブがあったお気に入りのアイドルのライブ映像が流れているのだろう。


 「まだちょっと早くない?夕ご飯の時に飲もうよ。」


 彼女は相変わらず無表情でアイドルの動画を見ている。返答がないのは否定したり文句を言いたい事がないからだ。彼女は喉が渇いているかもしれないし甘いものが特別好きなわけでもないから、とりあえず氷入りの水を一緒に出してあげれば少し嬉しいと思ってくれるだろう。


 「なんのチューハイ買ったの。」


 「和梨のやつ。期間限定の。」


 「はは。梨って、同じ味になっちゃうじゃん!」


 「うん。面白いかなぁって思って、言ってみた。」


 面白くもなんともない冗談をわざわざ僕に言ってくれる彼女が世界で一番可愛い。面白くない事を言っても僕が彼女に対して機嫌を損ねたり評価を下げるような事は無いだろうとわかっているから僕に軽口を飛ばしてもいいと思っている事が感じられて、心の底から気持ちがいい。


 梨をビニール袋から取り出し包丁を棚から出してまな板の上に置いてからシャツの袖を肘まで捲っている時、ぼぅっと見上げた視界の真ん中にあった天井の白い電灯が網膜に焼き付いて、まな板を再び見下ろしても黄色いオーブを纏った青白い円の残像が視界の同じ位置にずっと痺れたみたいにこびりついている。

 自分は正直この照明の色が気に入っていない。


 「ねぇ、電灯の色をさ、もう少し暖色系の奴にしたいんだよね。」


 「・・・暖色系かぁ。部屋の雰囲気変わっちゃうよぉ?」


 「そうだよねぇ。」


 「てかさ、明るさの調整できるやつにしたいかも。」


 「あぁ、確かに。眩しいんだよね、今。」


 手元の蛇口でこの後すぐに用済みになる筈の梨の皮を洗っている。蛇口の水を止めてタオルで梨と一緒に両手の水気を拭き取っている最中、目の前のリビングでぼぉっと天井を見上げている彼女の頬を何となく見ている。ツルまで太い暗い緑色のスクエア眼鏡を小さい鼻に乗せている横顔は、最近流行りの小顔効果とやらが効いているようで、普段より一層小さいように見える。


 「今度電気屋行こ。買いたい物もあるし。」


 「なに買いたいの?またあんまりデカいのだと困るんだけど。」


 「ボディシェーバー。」


 「・・・わかった。今週末ね。梨もうそろそろ剥けるからちょっと待ってて。」


 「うん。」


 梨を剥くのは得意じゃない。

 皮の下1ミリのつもりで3ミリ持ってかれることもある。

 あんまり歪にすると機嫌を損ねそうだから、その緊張が多少の品質を底上げしている気がする。

 僕も考えてみれば洋ナシより和梨の方が好きだ。

 しっとりした洋ナシの舌触りも嫌いじゃないけど、和梨のシャキシャキした食感と溢れる瑞々しさが好きだ。

 お菓子には洋ナシの方が合うんだろうけれど、生で食べるなら和梨がいいかもしれない。

 彼女もきっと同じ事を思っているんだろうか。

 結構大きい梨だな・・・。

 2人で食べるのでちょうど良いのかもしれない。




 「梨剥けたよ。」

 「うん。ありがとー。」


 彼女がずっと食い入るように見ていたスマホを机の上に置いてくれた。


 「あ、スマホ置いてくれた。」


 「え、なに、それが。」


 「いや、なんか、ちょっと嬉しいなって。」


 「スマホ見ながらフォークで刺して食べるの難しいよ。」


 「確かに。」


 ソファに寝そべっていた体が起き上がり、お尻が2回弾んで左右の膝小僧が机の上の皿に向き合った。


 「隣いい?」


 「うん。」


 既に一つ梨をフォークに刺して口元に運んでいた彼女が一度開けかけた口を閉じてなんとなしに下の方を確認して、またお尻を10センチくらい持ち上げはしたものの、別に座る位置を直す事もなく再びソファに腰を落とした。


 「よっこいしょっと。」


 自分の方が体重が重く、もう買って3か月になるソファに払う気遣いもなしに腰を落とすと、同じクッションに乗っていた彼女の体も波打つように上下に揺れた。

 一応同棲しているけれども、彼女は元からそこまで感情表現に熱を持つタイプではなかった。自分にそう見えているだけで自分の洞察力が無いのかもしれないと偶に思って少し申し訳なく思ったりもするけれども、大抵はその後すぐに理不尽に機嫌を悪くした彼女から悪態をぶつけられて、自分ばかりをあまり悪く考えないようにしようと思ったりする。


 「洋ナシってなんかザリザリしてるの入ってるよね。」


 「わかる。これってなんなんだろうね。」


 「やっぱり和梨の方が好きだなぁ。」


 「ぼくも。」


































































































 洋梨は咀嚼音がしない。

































































































 家の前をスクーターが走り抜けた。

































































































 「美味しいね。」



 「美味しい。」


































































































































 「お皿、洗っといてね。」

 「わかった。」

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