第3話 : 鳴らない歯車と銃声のプレリュード
目の前にある、冷たい金属の蝶。
数時間前、いや、数分前まで仮想世界(エリュシオン・ゲート)の中にあったはずのそれが、今、現実の自分の部屋の机の上に、まるで最初からそこにあったかのように鎮座している。
「……なんだよ、これ……」
海斗は呆然と呟いた。指先が微かに震えている。恐る恐る手を伸ばし、真鍮色の翅に触れてみた。ひんやりとした金属の感触。ゲーム内で感じたものと寸分違わない。しかし、あの時カタカタと動いていた翅は、今はぴくりともしない。ただの精巧な金属細工のようだ。裏返してみても、ゼンマイを巻くようなネジは見当たらない。
何かの冗談か? 健二あたりがこっそり仕掛けた手の込んだイタズラ? いや、彼が自分の部屋に忍び込めるはずがない。そもそも、こんなに早く、ゲーム内で作ったものと全く同じものを現実で用意できるわけがない。
混乱する頭で、海斗はスマートフォンのブラウザを開いた。「エリュシオン・ゲート アイテム 現実」「VRMMO バグ 現実化」「ニューロダイブ・システム 不具合」。思いつく限りのキーワードで検索をかけるが、表示されるのはゲームの攻略情報やレビュー、あるいは単なる憶測や都市伝説の類ばかり。同じような現象を報告している書き込みは見当たらない。
「……やっぱり、俺だけなのか?」
孤独感がじわりと胸に広がる。これは、ゲームのバグなのだろうか? それとも、ニューロダイブ・システムという未知のデバイスが、自分の脳に何か異常な作用を引き起こしているのだろうか? 計算生命科学の講義で聞いた、ブレイン・マシン・インターフェースのリスクや副作用に関する話が、嫌な形で頭をよぎる。
もしかしたら、これは現実ではないのかもしれない。まだゲームの中にいる、あるいは夢を見ているだけなのでは? そう思って自分の頬をつねってみるが、鈍い痛みがはっきりと感じられた。机の上の蝶も、部屋の空気も、どこまでもリアルだ。
「……健二に、話してみるか」
藁にもすがる思いで、海斗は健二にメッセージを送った。『なあ、エリュシオン・ゲートでさ、ちょっと変なこと起きたんだけど』
すぐに既読がつき、返信が来る。『お、カイ、もう始めたのか! どうだ、面白いだろ? で、変なことって何だよ?』
『いや、それが……ゲームで作ったアイテムが、ログアウトしたら現実の部屋にあったんだ』
『は?www 何言ってんだお前www 寝ぼけてんの?』
『いや、マジなんだって! 金属の蝶、クロックワーク・バタフライってやつ!』証拠として蝶の写真を撮って送る。
『うお、すげーリアルな作りだな! お前、そんなの持ってたのか? エリュシオンのスクショじゃなくて?』
『だから、これは現実の俺の部屋で撮ったんだって! ゲームで作ったやつと全く同じなんだ!』
『……えー? マジで言ってんの? ちょっと信じられねえけど……バグか? それとも、運営からのサプライズプレゼント的な?ww』
健二の反応は、予想通り半信半疑といったところだった。まあ、無理もない。自分だって、実際に目の当たりにしなければ信じられなかっただろう。
『運営からのプレゼントなわけないだろ……とにかく、なんか気味が悪いんだ』
『ふーん……まあ、レアなバグ引いたんじゃね? ラッキーってことで、飾っとけよ! それより、今度一緒にPT組もうぜ! 俺、タンクだからカイ(機工師)みたいな後衛いると助かるわ!』
健二は深刻には受け止めていないようだった。それ以上説明するのも億劫になり、海斗は『ああ、そうだな』とだけ返し、会話を終えた。結局、誰に話してもまともには取り合ってもらえないだろう。この奇妙な現象は、自分で調べるしかないのかもしれない。
手掛かりは、やはりエリュシオン・ゲートの中にあるはずだ。あの蝶が作られた場所で、何か情報が得られるかもしれない。あるいは、他のプレイヤーも同じような経験をしている可能性だって、ゼロではないはずだ。
意を決し、海斗は再びニューロダイブ・システムを装着した。起動音と共に、意識が再び仮想世界へと引き寄せられる。
光の奔流が収まると、そこは先ほどログアウトした歯車都市クロノスの広場だった。喧騒、蒸気の匂い、巨大な歯車の駆動音。先ほどまでの現実での混乱が嘘のように、再び圧倒的な臨場感が海斗を包む。しかし、今はただ楽しむ気分にはなれなかった。
まずは、機工師ギルドへ向かい、ギルドマスターのバルトに話を聞いてみることにした。
「バルトさん、さっき作ったクロックワーク・バタフライについてなんだが……」
「ん? おお、お前さんか。あの蝶がどうした? なかなか良い出来だったぞ」
NPCとは思えないほど自然な反応が返ってくる。
「いや、その……あれって、何か特別な効果とか、そういうのあるのか?」
「特別な効果? いや、あれはあくまで初心者向けの課題だ。精密作業の練習だな。観賞用以外の使い道はないはずだが……なぜそんなことを聞く?」
バルトは不思議そうな顔をしている。やはり、ゲーム内のキャラクターに聞いても無駄か。
次に、広場で他のプレイヤーたちに声をかけてみた。「すみません、クロックワーク・バタフライってアイテム、何か変わったこと起きませんでした?」「ログアウトしたら現実にも同じものが……とか」「いや、知らんな」「バグじゃない?」「運営に報告してみたら?」反応は様々だったが、誰も海斗と同じ経験はしていないようだった。
やはり、自分だけの現象なのか……。
途方に暮れかけた時、ふとクエストボードが目に入った。『緊急依頼:郊外の廃坑道に異音調査。機械系のモンスター出現の報告あり。腕に覚えのある冒険者の協力を求む』
機械系のモンスター。異音。もしかしたら、あの蝶と何か関係があるかもしれない。根拠のない直感だったが、他に当てもない。海斗――カイは、そのクエストを受けることにした。
クロノスの街を出て、指定された廃坑道へ向かう。灰色の岩肌が続く荒涼とした道をしばらく歩くと、古びた坑道の入り口が見えてきた。入り口周辺には、錆びついたトロッコや壊れた採掘機械が放置されている。
「ここか……」
カイが坑道に足を踏み入れようとした、その時だった。
「――そこまでよ!」
凛とした声と共に、鋭い銃声が響き渡った。カイのすぐ横を、何かが高速で通り過ぎる。見ると、坑道の暗がりから飛び出そうとしていた、蜘蛛のような形をした小型の機械モンスターが、火花を散らして地面に転がっていた。
驚いて声のした方を振り向くと、そこには一人の女性プレイヤーが立っていた。革のジャケットにゴーグル、腰にはホルスターに収められた、装飾的ながらも明らかに実戦的な蒸気銃。先ほど街ですれ違った、あのプレイヤーだ。
「あんた、新入り? 危ないじゃない、あんなのに気づかないなんて」
彼女は悪びれもせず言い放ち、慣れた手つきで蒸気銃の薬莢を排出する。
「あ、あなたは……」
「リリィ。見ての通り、蒸気銃士よ。あんたは?」
「カ、カイです。機工師見習いで……助かりました、ありがとうございます」
「カイね。機工師か、ちょうどいいかも。私もこの先の異音調査に来たんだけど、一人じゃちょっと不安でね。もしよかったら、一緒に行かない?」
リリィと名乗る彼女は、悪戯っぽく笑いながらカイに手を差し出した。その目には、強い好奇心と、どこか見定めるような光が宿っているように見えた。
予期せぬ出会い。しかし、この不可解な世界で、一人で進むよりは心強いかもしれない。それに、彼女なら何か知っている可能性も……。
「……はい、よろしくお願いします、リリィさん」
カイは少し迷った後、その手を取った。歯車都市の喧騒から離れた廃坑道で、二人の冒険が、そして現実と仮想の境界を探るカイの本当の戦いが、静かに始まろうとしていた。
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あとがき
第3話、お読みいただきありがとうございます!
現実での混乱と調査、そして舞台は再びエリュシオン・ゲートへ。
謎多きこの世界で、カイとリリィはこれからどうなっていくのか。そして、あの金属の蝶の謎は解けるのか……?
次回、二人の共闘と新たな発見にご期待ください!
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