第2話 : 歯車仕掛けの蝶は現実の夢を見るか?



注文から三日後、待ちわびていた荷物が海斗の元へ届けられた。無機質なダンボール箱には、洗練されたデザインのロゴ。「」――仮想現実への扉を開く鍵だ。逸る気持ちを抑え、カッターで慎重に封を切る。中には、流線形のヘッドセットと、身体の動きを読み取るセンサー類、そして薄い説明書の束が収められていた。


「うわ、思ったより複雑そうだな……」


説明書をめくりながら、海斗は少し顔をしかめた。生体信号のキャリブレーション、神経接続インターフェースの初期設定。専門用語の羅列に目が滑る。しかし、計算生命科学の講義で耳にした単語も散見され、僅かながら親近感を覚えた。脳波パターン、シナプス反応、仮想知覚のフィードバックループ……。講義では理論上の概念としてしか捉えていなかったものが、今、現実のデバイスとして目の前にある。この小さな機械が、人間の脳と電子の世界を繋ぐのだ。漠然とした不安と、それを上回る好奇心が胸を満たす。


「ま、なんとかなるか」


半ば投げやりに、しかしどこか楽しげに呟き、海斗はセットアップを開始した。ケーブルを接続し、ソフトウェアをインストールする。指示に従ってヘッドセットを装着し、センサーを身体に取り付けると、奇妙なフィット感が彼を包んだ。目を閉じると、起動音が静かに響き渡る。


『ニューロダイブ・システム、起動シークエンス開始。生体認証、完了。ユーザー・サトウ・カイトを確認しました。エリュシオン・ゲートへの接続を開始します』


無機質な合成音声が脳内に直接響く感覚。次の瞬間、意識が急速に現実から乖離していく。まるで暖かい水の中に沈んでいくような、それでいてどこか加速していくような、不思議な浮遊感。視界が真っ白に染まり、やがて光の粒子が収束していく。


目の前に現れたのは、簡素なインターフェースだった。アバター作成画面だ。名前は迷わず「カイ (Kai)」と入力。クラス選択画面には、剣士、魔術師、神官といったファンタジー定番の職業に混じって、「機工師 (Tinkerer)」の文字があった。健二が言っていた、モノづくりに特化したクラス。迷わずそれを選び、「見習い」の称号が付与された。外見は、現実の自分より少しだけ精悍な顔つきに調整し、髪の色を僅かに明るくした。


『キャラクター作成完了。初期都市、歯車都市クロノスへ転送します』


再び視界が光に包まれ、次の瞬間、カイ――海斗は、息を呑む光景の中に立っていた。


巨大な歯車が、空に浮かぶいくつもの小島を繋ぎ、ゆっくりと回転している。真鍮色のパイプからは絶えず蒸気が噴き出し、空気にはオイルと金属の匂いが混じり合っていた。石畳の道を行き交う人々は、革と金属で装飾された、どこか古風でありながら機能的な服装を身にまとっている。遠くには、時計塔のような巨大な建造物がそびえ立ち、その頂上からは青白い光が明滅していた。あれが都市の中枢だろうか。


「これが……エリュシオン・ゲート……浮遊大陸アトモスフィア……」


呟きは、現実とは異なる、少しだけ低く調整されたカイの声で発せられた。五感すべてが、この仮想世界の情報を受け取っている。肌を撫でる微かな風、遠くで鳴り響く蒸気機関の駆動音、そして視界を満たす圧倒的なスチームパンクの光景。それは、ディスプレイ越しに眺めるゲームとは全く違う、「そこにいる」という強烈な実感だった。


『ようこそ、冒険者カイ。歯車都市クロノスへ。当都市は、統括AIクロノス・コアの管理下にあります。快適な冒険をお楽しみください』


再び脳内に響くシステムメッセージ。統括AI、クロノス・コア。世界の全てを管理するという超高度AI。その響きには、どこか人間味のない、絶対的な管理者のような冷たさが感じられた。ふと見ると、街の衛兵らしきNPCたちの動きが、驚くほど統率が取れていることに気づく。まるで巨大な時計の歯車のように、正確無比に、定められた役割をこなしている。その完璧さが、逆にカイに微かな不気味さを感じさせた。


「まずは、機工師ギルドだな」


気を取り直し、カイはマップを開いた。初心者クエストを受けるためだ。マップに示された方向へ歩き出す。すれ違う他のプレイヤーらしきアバターたちの、驚きや興奮に満ちた声が耳に入る。誰もがこの世界のリアルさに感動しているようだった。


機工師ギルドは、街の一角にある、ひときわ大きな歯車が壁に埋め込まれた建物だった。中に入ると、工具や設計図、奇妙な機械部品が所狭しと並べられ、オイルの匂いが一層強く漂ってきた。カウンターの奥には、ゴーグルを額に上げた、熟練の職人といった風貌のNPCが座っていた。


「新入りか? 機工師の世界へようこそ。儂はギルドマスターのバルトだ」


NPCとは思えないほど自然な口調だった。AI技術の進化はここまで来ているのか、とカイは内心で感嘆する。


「はい、カイです。今日始めたばかりで」

「ほう、そうか。ならば、まずは腕試しといこう。機工師の基本は、精密な作業と発想力だ。簡単な課題を出そう。そこに置いてある材料で、『クロックワーク・バタフライ』を組み立ててみろ」


示された作業台の上には、小さな歯車やゼンマイ、薄い金属板などの部品が置かれていた。設計図も添えられている。


「面白そうじゃないか」


カイは目を輝かせた。元々、細かい作業は嫌いではない。計算生命科学で扱う複雑系のシミュレーションにも通じる、部品同士が組み合わさって新たな機能を生み出すプロセスに、彼は知的な興奮を覚えていた。


指示通りに部品を手に取り、組み立てを始める。小さなネジを締め、歯車を正しい位置にはめ込む。カチリ、カチリと小気味よい音が響く。指先の感覚が驚くほどリアルで、金属の冷たさや、部品同士が噛み合う感触がはっきりと伝わってくる。集中するうちに、時間はあっという間に過ぎていった。


そして、最後のゼンマイを巻き上げ、蝶の形をした金属の胴体にセットする。そっと指を離すと、真鍮色の翅がカタカタと小刻みに震え、やがてゆっくりと、しかし確実に羽ばたき始めた。作業台の上を、小さな金属の蝶が健気に飛び回る。


「できた……!」


思わず声が出た。ゲームの中とはいえ、自分の手で何かを創り上げたという確かな達成感が、カイの胸を満たした。それは、大学のレポートを書き上げた時とは質の違う、もっと根源的な喜びだった。


「ほう、なかなか筋が良いじゃないか。合格だ。これがお前の最初の作品だ、持っていくといい」


バルトは満足そうに頷き、クエスト完了のウィンドウが表示された。報酬として、いくつかの素材と経験値が手に入る。カイは、まだカタカタと翅を動かしているクロックワーク・バタフライをそっと手に乗せた。ひんやりとした金属の感触と、微かな振動が心地よい。


「ありがとうございます」


礼を言い、カイはギルドを後にした。まだ日は高いようだったが、初めてのダイブで少し疲労感も覚えていた。名残惜しさはあったが、今日はこの辺で終わりにしようと決める。


『ログアウトしますか?』

「はい」


意識が再び現実世界へと引き戻される感覚。視界がホワイトアウトし、次の瞬間、そこは自室の天井だった。


「……ふぅ」


ヘッドセットを外し、カイは大きく息をついた。軽いめまいと、仮想現実とのギャップに少し戸惑う。まだ指先には、金属の蝶の感触が残っているような気がした。


ぼんやりとした頭で、机の上にヘッドセットを置こうとした、その時だった。


「え……?」


視界の隅に、何かが映った。

机の上、PCのモニターの横。そこに、それはあった。


冷たい金属光沢を放つ、一匹の蝶。

真鍮色の翅は、今は動きを止めている。

それは、数分前までエリュシオン・ゲートの中で、自分の手で組み立てたはずの、『クロックワーク・バタフライ』と寸分違わぬ姿をしていた。


時間が止まったかのような錯覚。

心臓が嫌な音を立てて跳ねる。


ゲームで作ったものが、なぜ、現実のここに……?


カイは、その金属の蝶から目が離せないまま、立ち尽くしていた。港湾都市・湊川市に差し込む午後の光が、その小さな、ありえない存在を鈍く照らし出していた。




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あとがき

第2話、お読みいただきありがとうございました!

ついに幕を開けたVRMMO「エリュシオン・ゲート」の世界と、海斗(カイ)の新たな日常。しかし、ログアウトした彼を待っていたのは、早くも訪れた不可解な出来事でした!

果たして、あの金属の蝶は何なのか? 次回、現実と仮想が交錯する物語の続きをお楽しみに!

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