冒険へのチケット

一十 にのまえつなし

春のホーム、桜の想い

春の風がまだ冷たい4月の金曜日の夕方、私はいつものように駅のホームで電車を待っていた。桜の花びらが線路に散らばり、夕陽が淡いオレンジ色にホームを染め、どこか詩的な空気が漂っていた。まるで、桜の花びらが舞う中で、大切な誰かを遠くから見つめるような、切ない時間が流れているようだった。

 そんな中、緑のチェック柄のワンピースを着た小学生くらいの女の子が、慌ただしく私の視界に飛び込んできた。


彼女は小さな枝を手に持っていて、その枝にはビニール袋に入った荷物がしっかりと結びつけられていた。まるで時代劇の直訴する農民のように、彼女は枝を高く掲げ、「お願いします!」と叫んだ。声がホームに響き渡り、周囲の人々が一瞬振り返る。私は驚きつつも、彼女に声をかけた。


「危ないですよ、大丈夫ですか?」

「終点まで行きますか?」

「ええ、行きますよ」

「これ、持っていってほしいんです。お願いします」

 私は目を丸くした。

「え、私が? でも、知らない人に預けるなんて…」


「大丈夫です! 中身はただの本と手紙だけ。どうしても届けたい人がいて、私、今日ここで会えなかったんです。」

 彼女の瞳は真剣で、少し潤んでいるように見えた。知らない相手との突然の出会い。どこか非現実的で心がざわつく瞬間だった。

 断る理由しかなかったが、私はとりあえずその荷物を預かることにした。ビニール袋の中には、古びた文庫本と封筒が入っていて、確かに怪しいものではなさそうだった。

「分かりました、でもどうやって届ければ…?」

「封筒に住所書いてあります。お願いします…ああ、そうだ」

 急に鞄から何かを取り出した。


「お礼に」と差し出されたのは、インスタントカメラで撮ったチェキだった。そこには、さっきの彼女が枝を持って笑顔で写っている姿が映っていた。背景には桜の花びらが舞い、まるで春の風が写真の中に閉じ込められたようだった。

「いや、お礼なんて要らないですよ」と私が手を振ると、彼女は「どうしても!」と押し付けてくる。結局、そのチェキを受け取るしかなかった。


 電車がホームに滑り込んできた瞬間、彼女は「ありがとう!」と叫んで、人混みに消えていった。

 私は手に残されたチェキと、枝に吊るされた荷物を見つめながら、なんだか不思議な物語に巻き込まれたような気分になった。


 電車に揺られながらチェキを手に持つ。窓の外には、春の夜の街が流れていく。ふと、頭の中で優しいメロディが流れ始めた。彼女の笑顔と、「ありがとう」と裏に小さく書かれたチェキは、まるで遠くへ続く物語のチケットのように感じられた。


 翌日、封筒に書かれた住所を頼りに荷物を届けると、そこには彼女と同じ緑のチェック柄の服を着たおばあさんが住んでいた。

説明しながらチェキを見せると「あの子らしいねえ」と笑いながらおばあさんは荷物を受け取り、私に温かいお茶を淹れてくれた。お茶を飲みながら、おばあさんが語った。


「あの子、昔の私にそっくりなの。いつも誰かに何かを届けたがるのよ」

「でも、なぜ会えなかったんですか?」と私が尋ねると、おばあさんは少し目を細めて遠くを見るような表情になった。

「実はね、あの子の叔母…私の娘が、急に体調を崩してしまって。本当はあの子を駅まで迎えに行くつもりだったけど、病院に付き添うことになってしまってね。でも、約束を破ってしまったことにはかわらないものね。でも、あの子なりに、会えない代わりに、大切なものを届けたかったんだと思うのよ」


 おばあさんは封筒から手紙を取り出し、そっと読み始めた。微かに見える文面。そこには、女の子のぎこちない字で「おばあちゃん、だいすき」と書かれていた。おばあさんの目には涙が浮かび、私も思わず胸が熱くなった。


 お茶を飲み終えたとき、窓の外を吹き抜ける春の風が、どこか優しく、ほのかに桜の香りを運んできた気がした。

 知らない相手との出会いが、伝えられた想いと温かさを心に残した。

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