翌朝、ユメはリブ編みのTシャツに、動きやすいプリーツスカートを選んだ。どちらも黒だ。
 

 服に強いこだわりがあるわけではないし、色で何かが変わるとも思っていなかった。それでも、変換師として依頼を受けるときは、故人と依頼者のあいだで揺れないようにしたいと考えていた。

 ルールブックには、そのための指針が細かく記されている。ユメは、その内容を守る立場に立つとき、自分を必要以上に目立たせないよう心がけていた。服の色も、その一つだった。


 カウンターの椅子に腰を下ろし、扉のほうに視線を送る。


 この店では、予約も取っていなければ宣伝もしていない。世間での扱いも、知る人ぞ知るというより、どちらかといえば都市伝説に近かった。だから、扉が開かないまま一日が終わることもある。


 ときおり訪れる者もいるが、誰でも入れるわけではなかった。
入り口のまわりには結界が張られていて、そこを越えられるのは限られた者だけ。


 悪霊や、目的の定まらない死者、変換を必要としない存在は、最初からたどり着けない仕組みになっていた。


 時計の針がひと回りしても、足音は聞こえない。扉の向こうにも、気配は感じられないままだった。

 ユメは引き出しからルールブックを取り出し、ページをめくった。表紙には自分専用の印が押されていて、依頼者に渡すものよりも厚く作られている。

 依頼がない日は、この冊子を手にしながら対話の流れを思い浮かべるのが習慣になっていた。条件の例ややり取りのパターンを繰り返し確認しておけば、本番で戸惑うことも減らせる。

 形式上は家業の手伝いだが、報酬はきちんと受け取っている。変換師の務めは、気軽なアルバイトではない。

 向き合う相手は、この世を去った誰かと、その人を忘れられない誰か。あいだに立つには、それなりの覚悟と慣れが必要だった。


 ふいに、外から、駆け足の気配が近づいてくる。ばたばたとした足音が扉の前で止まる。

 ユメは手元のルールブックを閉じて、背筋を伸ばす。扉がゆっくりと開きかけたところで、吊るされた鈴が、ちりんと鳴った。

 立っていたのは、紺色のキャスケットを目深にかぶった女性だった。肩を上下させながら息を整え、ためらうような足取りで中へ入ってくる。

 年齢は四十代か五十代か、見た目だけでははっきりしなかったが、その表情には張りつめた気配がにじんでいた。


「いらっしゃいませ」


 ユメは抑揚を抑えた声でそう告げた。

 この席に高校生が座っていると知ると、大抵の来客は戸惑いを見せる。この女性も、そうかもしれないと思った。扉をくぐったとき、一度だけ足が止まった。


 けれど、すぐに切り替えた。迷いを振り払うようにして、カウンターへ向かってくる。

 女性は歩みをゆるめず、そのままカウンター越しに身を乗り出してきた。肩が上下し、息が荒い。詰め寄るような勢いのまま、ユメを見据えている。

 そして、こう言った。

「いくらでも払います。だから、夫の死因をすぐに変えてください」


 ユメは気を引き締め、引き出しからメモ帳を取り出した。

「二つ返事で応じることはできません。まず、あなた自身のことと、どなたの死因を変えたいのか、その理由を詳しく教えてください。どうぞ、椅子にお座りください」

 女性はうなずき、椅子に腰を下ろした。呼吸を整えながら、鞄の中から免許証を取り出し、机の上に差し出す。

蜂須賀はちすが美絵子みえこと申します。五十三歳です。十日前に、夫が亡くなりました。名前は蜂須賀はちすが慎一郎しんいちろう。五十九歳でした」

「蜂須賀慎一郎さんの死因を、変えたいと」

「はい」

「死因は……?」

です」

 返ってきた言葉に、ユメの視線が揺れた。


 。
 


 これまでに受けたどの依頼とも違っていた。経験のない内容に、頭の奥がわずかにざわつく。


 表に出してしまったと気づき、ユメは背筋を正した。だが、向かいの女性はその変化を見逃していなかった。

 美絵子は、うっすらと目を細めたまま、視線をユメから外そうとしなかった。

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