第9話 本当に奪われたもの(前編)
金曜の夕方。週末前のオフィスは、少しだけ空気が軽い。
それでも藤原の心は、重たいものを引きずっていた。
「じゃあ、今週分の報告書、上長への提出お願いしてもいいですか?」
振り返ると、朝倉涼が立っていた。
最近では責任ある案件も任され始めている。
(なんで、こんな短期間で……)
苛立ちに近い疑問が、喉の奥にこびりつく。
彼の態度には一切の驕りも、敵意もない。それが逆に、藤原を追い詰めてくる。
自分が地道にやってきたものが、音もなく追い抜かれていく感覚。
——いや、それだけではない。
(もしかして、あいつは……転生者なんじゃないか?)
この世界を“やり直す”チャンスを与えられた者。
その優位性に気づかれないよう、巧妙に振る舞っているだけなのではないか。
そんな妄想にすがることでしか、自分の“停滞”を正当化できなくなっていた。
夜、自宅。
藤原はいつものように掲示板を開く。
《転生者に奪われた世界》スレッドは、また更新されていた。
>「俺は知ってる。あいつは記憶を持ったまま転生してきてる」
>「だからこんなに要領がいい。俺たちが迷う場所を、迷わず進める」
その言葉に、藤原は心の中で何度もうなずいた。
(そうだよな。俺がこのまま凡庸で終わるはずがない。——この世界が、書き換えられていなければ)
月曜。週明けの会議で、藤原は報告内容をうまくまとめきれず、上司から軽く指摘を受けた。
そのすぐ後に発言した朝倉は、的確に現状を整理し、代替案まで提案した。
「助かったよ、朝倉さん。さすが」
周囲から漏れる賞賛の声が、ナイフのように藤原の胸を刺した。
(やっぱり、そうだ……。あいつは、俺のいた“元の世界”の、主役になってる)
——本来のこの世界は、自分がもっと評価されていたはずだった。
努力してきた分だけ、正しく報われていたはずだった。
にもかかわらず、今の自分は、誰からも「そこそこ」程度にしか扱われない。
その違和感の理由を、“自分のせい”にはしたくなかった。
そして、その代わりに見つけたのが——朝倉涼だった。
ある日、クライアント先から戻った帰り道。
ふとしたやりとりの中で、朝倉が言った。
「なんか……この仕事、前にもやったことある気がするんですよね」
笑いながらの何気ない一言だった。
けれど、藤原の妄想には、これが決定打となった。
(やっぱり……あいつ、記憶があるんだ)
それからというもの、藤原は少しずつ、現実との接触を失っていった。
資料作成のミス、クライアント先での対応漏れ。
上司からの評価も、目に見えて落ちていく。
なのに、頭の中ではずっと、掲示板の言葉が響いていた。
>「転生者のせいで、人生が狂った。それは俺の責任じゃない」
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