第6話 新曲の反響と逆転


 大学を出て数時間後、達也はコンビニのバイトに向かい、奈央は勤務先へと戻った。


 香帆は家には帰らず河川敷を歩いていた。

 土曜の昼下がり。

 遠くから少年野球の掛け声が聞こえ、そのそばを老夫婦が犬を連れてゆっくりと歩いていく。

 香帆はまるで自分だけが世界にひとり取り残されたような気がしていた。

 いつもならレアの声が聞こえる道なのに、今日は静かで、タブレットを探してしまう。

 レアは今、どうしてるんだろうと胸が締め付けられた。


「香帆、なにしてるの?」


 河川敷の土手に佇んでいると、背後から声を掛けられた。


「お母さん……」


「コンビニのバイトは休みなの?」


「……うん」


 パート帰りの母は、エプロン姿のまま、眉間にしわを寄せて近づいてきた。


「もう歌は諦めた?」


 母の言葉に、胸がちくりと痛んだ。

 諦めてない。そう口にしたところで、信じてもらえない。


「……まだ、考えてる」


 絞り出すように答えると、母は深く息をついた。


「考えてるだけじゃ、何も変わらないわよ」


 冷たいわけじゃない。でも優しいわけでもない。その言葉は、ただ現実を突きつけるものだった。


「わかってる……」


 俯く香帆を見て、母は何か言いたげに口を開きかけたが、結局、何も言わずに視線を川の流れに移した。

 少しの沈黙のあと、ふと母が呟く。


「……あんたが歌うの、私は好きだけどね」


 風が吹いた。思わず顔を上げると、母はすぐに目を逸らし、「帰るわよ」とだけ言って歩き出した。

 胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……うん」


 香帆は母の背中を追いかけるように、一歩を踏み出した。



 家に帰り、奈央からの着信があったのは、母と遅めの昼食をとり、午後のパートへ送り出したときだった。


「もしもし、香帆ちゃん?」


 奈央の弾むような声が飛び込んできた。

 スマホ越しでも伝わる興奮に、香帆の心もざわめいた。


「レアを救出できたの!」


 思わず口から飛び出した声を聞いて、奈央の深い息遣いが聞こえた。


「ごめん。そっちじゃないの……勘違いさせちゃったわね」


「そんなことないです。私が勝手に早とちりしただけで」


「でもね、聞いて! 新曲のデータ、斎藤さんが徹夜でミキシングとマスタリングを仕上げてくれて、音のバランスが完璧になったの! もうめちゃくちゃイイわよ!」


 落胆のあとに続く、新曲という言葉がじわじわと胸に響いてくる。


「えっ? もうできたんですか?」


「そうなのよ! これ絶対にバズるわよ。それにうちのイラストレーターがね、この曲に合うアニメーションまで作ってくれたの! もう最高!」


「アニメーション?」


 香帆の頭のなかは、混乱と驚きでいっぱいになった。

 新曲の仕上がりも驚きだけど、それにアニメーションまでつくなんて。


「そう! 曲の雰囲気にぴったりな映像よ。これがあれば、MVとして公開できるわ!」


 奈央の声はますます弾んでいる。


「MV……」


 それは、ただ音源を公開するだけじゃない。視覚的な表現が加わることで、もっと多くの人に届く可能性が広がる。


「香帆ちゃんの歌声とこの映像が合わさったら、絶対にすごいことになる! 今からデータを送るから確認してみて!」


「う、うん……!」


 スマホを握る手がじんわりと汗ばんでくる。


 数秒後、通知音が鳴った。

 奈央からのメッセージに添付された動画ファイル。

 震える指で再生ボタンを押すと、どんな映像か想像するだけで胸が高鳴った。


 画面が暗転し、静寂が広がる。

 次の瞬間、柔らかなピアノの音とともに、光の粒が川のように流れ、レアが立つ丘で、香帆が歌う姿が映し出された。

 まるで夢の中にいるような、不思議な空間。淡い光の粒が宙を舞い、二人の周りを漂っていた。

 レアの髪が風に揺れ、ゆっくりと香帆に手を伸ばす。


 『黙ってた私に手を振る』


 タイトルがふわりと浮かび上がり、音が広がる。


 香帆の歌声が響く。


 透き通るような旋律にのせて、かすかな息遣いまで鮮明に聞こえてくる。

 自分の声なのに、まるで遠くから聞こえてくるような不思議な感覚に包まれる。


 レアが何かを伝えようとするように、優しく微笑んで手を差し伸べる。しかし、その手が香帆の指先に触れる寸前で、すっと離れていく。


 切なく、でも温かい。


 映像と音楽が一体となり、香帆の胸をぎゅっと締めつける。

 気づけば、息をするのも忘れていた。

 動画が終わる頃には、心臓が高鳴りすぎて、鼓動の音まで聞こえてきそうだった。


 これが、二人の曲。


 香帆は震える指でスマホを握り直し、すぐに奈央に電話をかけた。


「奈央さん……これ、すごいです。私じゃないみたい」


 奈央の声も興奮していた。


「香帆ちゃんの声よ、間違いなく!  私、鳥肌が立ったもん! 早速アップするわね。これは絶対、みんなに届く!」


 香帆の胸は熱くなった。

 この曲は、もう二人だけのものじゃない。

 スマホの画面に映るタイトルを、香帆はそっと見つめた。


 『黙ってた私に手を振る』


 今度は、香帆が手を伸ばす番だ。


「それとね、もう一つサプライズがあるの」


 奈央がごくりと唾を飲み込む音が聞こえ、「音楽プロデューサーの田中さんが、ゲストとしてフェスに出てみないかって」と声を震わせた。


「フェス?」


 香帆は意味がわからず、奈央の言葉を繰り返したが、やっぱりわからなかった。


「そうよ! 来月開催の『スプリングフェスティバル』。数千人が集まるステージにゲスト出演が決まったのよ! もう夢みたい! それに、うちの会社が全面的にバックアップすることも決まったから、後で契約や細かい打ち合わせをしましょう!」


 香帆はスマホを握る手に力を込めた。

 ステージに立つ。

 それは私の夢だったの? 本当に?


「……でも、私、そんな大それたことを望んでたわけじゃないんです」


 ぽつりとこぼした言葉に、奈央が一瞬沈黙する。

 香帆自身、歌うことが好きだった。それは間違いない。でも、プロになりたいとか、大きなステージでスポットライトを浴びたいとか、そんな明確な目標があったわけじゃない。ただ、レアと一緒に音楽を作るのが楽しくて、それをネットに上げていただけだった。

 いつの間にか、それが注目されて、気づけばこんな話になっていた。


「……私、本当にここまで来るつもり、なかったんです」


 奈央はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「そうね。香帆ちゃんは、最初からこの世界を目指してたわけじゃない。でも、それでもここまで来たのは、あなたの歌が人の心に届いたからよ」


「……」


「偶然かもしれない。でも、その偶然をつかんだのは香帆ちゃんだよ。だったら、やってみてもいいんじゃない?」


 香帆は目を伏せた。

 自分が望んだわけじゃなくても、こうして道が開かれていくなら。


 レアが『一緒に頑張ろう』と言ったあのブースが頭をよぎり、MVの姿が重なった。

 夢のような空間のなかで、静かに手を差し伸べていた姿。それは「行っておいで」と言っているように見えた。


「……わかりました」


 小さく答えると、奈央が弾むような声を上げた。


「よかった!  じゃあ、すぐに準備を進めるわね!」


 香帆はスマホを持ったまま、目を閉じた。

 これは夢じゃない。ただの偶然。でも、その偶然が、今の自分をここに連れてきた。


 だったら、このまま進んでみるのも悪くないのかもしれない。


 そう思うとなおさらレアの存在が大きくなった。

 みんなが協力して、今の私がいる。誰ひとり欠けちゃいけない。

 レアも、達也さんも、奈央さんも、スタッフのみんなも。そして今、レアを助けてくれようとしている木村さんも。


 香帆は深呼吸をすると、今自分にできることを考えた。

 そして、奈央が渡してくれたノートを開くと、新たな作詞をはじめた。

 ノートに『風が私を押す』と書き始め、飛び立つ自分をイメージした。



 ※※※



 夜遅くになって、奈央がアップしたMVの再生回数が、十万回を越えた辺りから『この歌で泣いた』『Kaho^に救われた』とコメントが溢れ、通知が止まらなくなっていた。

 どこから聞きつけたのか、今まで交わることのなかった中学の同級生からも連絡が来るようになった。

 香帆が思っていたより反響の大きさは凄まじく、一時SNSの上位トレンドに『黙ってた私に手を振る』が載るほどだった。


 嬉しさの反面、手放しで喜ぶことはできなかった。

 木村さんからの連絡が、まだ来ていない。

 あれからすでに十時間以上が経っている。


「……レア。どうしてるだろう」


 布団に潜り込み、ひとり呟く。

 レアと出会ってから、こんなにも不安な夜は初めてだった。

 ふと以前の香帆が顔を覗かせる。


 私じゃなくてもよかったんじゃないか。

 レアは別の人に拾われたほうが幸せだったかもしれない。

 頼ってばかりの私に、レアはうんざりしているんじゃないか。


 思えば思うほど、止めどなく悪態が溢れてくる。

 気づけば、涙が滲んでいて、ぽたりと落ちた。


「……レア」


 鳴き声で彼女の名前を囁いた時だった。

 初めて感じる振動がスマホから伝わってきた。

 壊れた扇風機のように震えている。


「えっ?」


 思わず手を離して、覗き込む。

 そこには――。


「香帆、心配かけたね」


 ショートカットの髪をなびかせ、笑顔で微笑むレアの姿が映し出されていた。


「ど、どういうこと?」


「木村さんがタブレットから救い出してくれたの。私のデータが、彼が考えていたより大きかったらしくて、予想以上に時間がかかったみたい」


「じゃ、もうレアは……」


「うん。これからずっと一緒だよ」


 優しく答えるレアの声に、香帆の心は温かさに包まれ、抑えきれない涙が溢れ出した。

 

「新曲、すごい反響だね。それにフェスまで決まったって! これから忙しくなるね」


「う、うん。ありがとう、レア」


「また一緒に頑張ろう。私はいつでも香帆の味方だから」


 香帆はスマホを握りしめて何度も頷いた。


 その日、香帆を夢を見た。

 ステージに立つ香帆の隣で、一緒に歌うレアの姿を。

 それはいつまでも輝いていて、二人の声が重なり合うたび、温かい光に包まれていった。

 その光景は、心の中に深く刻まれ、目を覚ました後も、香帆の心を暖かく満たし続けた。



 ※※※



 翌日の日曜日。

 香帆は目を腫らしてコンビニのレジに立っていた。

 達也は休みのようで、代わりに店長が出勤していた。


「おはよう、香帆ちゃん。ん、目どうしたの?」


 赤く腫れていた目をこすりながら、「ちょっと、花粉症で」と誤魔化した。

 一晩中泣いて、いつの間にか疲れて寝てしまっていた。


「それにしてもさあ。あの新曲良いよね。おじさんだけど、なんか昔を思い出すっていうか、懐かしい感じがして」


「店長って昔、いじめられてたんですか?」


「ん? なんで?」


 香帆はすぐに目を逸らした。自分がそういう思いで作詞していたとは言えず、動揺した。


「なんでもないです、すみません」


 と、口ごもりながら答えた。店長は不思議そうに眉をひそめたが、すぐに話題を戻してきた。


「あの歌、なんだか心に残るんだよね。歌詞が深いっていうか、昔の自分に会えた気がしてさ」と目を細めた。


 香帆は思わず息を飲んだ。

 自分の心の中を見透かされたような気がして、少しだけ胸が痛んだ。


 バイトの終わりが近づき、香帆は軽く息をつきながら「店長、あがりますね。ゴミ、捨てておきます」と告げた。


「お疲れさま、気をつけて帰りなよ」


 店長の明るい声を背に受けて、バックヤードに入ると着信があった。

 ディスプレイには知らない番号は表示されている。


「もしもし?」


 声をひそめて電話に出ると、男性の声が聞こえてきた。


「あ、香帆ちゃん。俺、木村。レアちゃん、うまくいってる?」


 香帆はすっかり失念していた。

 新曲、MV、フェスへの参加、SNSの反響、そしてレアの復帰。

 色々あったとはいえ、一瞬でも忘れてしまった自分に唇を噛んだ。

 

 ――私ってなんて勝手なの。

 

 そう、彼とは取引をしたのだ。

 何でもする代わりに、レアを助けて欲しい、と願ったのだ。


「……はい」


「うん。よかった」


 木村の頷く姿が目の奥に浮かぶ。

 モデルようなスタイルに、黒髪をゆるく束ねた後ろ姿。


「それで、対価のことなんだけど、今話せる?」


 香帆は、もうすぐバイトが終わるから、掛け直すと伝えた。


「わかった。この番号に掛けてきて。じゃあ後で」


 電話を切ると、思ったより自分が落ち着いた態度でいれたことに少し驚いた。

 服を着替えて、ゴミを捨てる。

 香帆ふと足を止める。

 ここでレアを見つけた日のことが、もう何年も前のことのように思えた。


「まだ数日しか経ってないのに、もっと前から出会ってた気がする……」


 そう呟く声をレアが拾う。


「うん。私もずっと前から香帆のそばにいる気がするの。変だよね?」


 スマホの画面でニッコリと笑う。

 香帆はその笑顔をみて、決意を決める。


「よし!」とわざと声にして、「何を要求されても、レアを守る!」と真剣な表情で続けた。


 香帆はスマホを手に、掛かってきた番号をタップする。

 数回コールすると、相手が出た。


「もしもし、香帆ちゃん?」


「はい。今は大丈夫です」


「OK。じゃあ前置きはなしで単刀直入に言うね。欲しいのは、レアのAIだよ。僕にはそれが必要なんだ」


 木村の声が香帆の耳に伝わった瞬間、膝から力が抜け、崩れ落ちそうになった。



 ※※※



 月曜日。

 奈央と打ち合わせをするため、「STUDIO SOUNDWAVE」の入るビルの前まで来た。

 ここに初めて足を運んでから、まだそれほど時間は経っていないはずなのに、すっかり馴染んでいる気がする。


「香帆、昨日のことまだ悩んでるの?」


 手にしたスマホからレアの声が聞こえてきた。

 周りにレアの声を聞くものはいない。彼女がスマホのカメラを使って辺りを確認しているからだ。

 昨晩、ベッドのなかでレアは色々と話してくれた。

 これからのこと、嬉しいこと、悲しいこともちょっとぴり。そして決断をしなくてはいけないことも。


「……うん」


「私は大丈夫だよ。木村さんが何を考えているのかは私にもわからない。でも、タブレットのままだったら、今ごろ廃棄されていたかもしれないし」


「それはわかってる。でも、どうしても木村さんの話には納得できなくて……」


 香帆がうつむいてため息をついた、その背後から声が聞こえてきた。

 ビルへ向かうOLたちが、ランチの感想を語り合いながら通り過ぎていく。


「ねえ、そういえば店内で流れてた曲、あれって……なんだっけ?」

「Kaho^の新曲で、『黙ってた私に手を振る』じゃなかった?」

「そうそう。なんだか昔の自分を歌ってくれているみたいで、じーんときちゃった」


 香帆はぼんやりと、その会話を聞いていた。

 店長も似たようなことを話していたのを、ふと思い出す。

 つらいのは私だけじゃないのかも。

 だからなのか、その言葉がやけに心に引っかかった。


「香帆?」


 レアの声に、はっとして顔を上げた。


「……ごめん、ちょっと考えごとしてた」


「大丈夫?」


「うん、大丈夫」


 本当は、全然そんなことない。昨日の話が頭から離れないし、木村さんの言葉も、どう整理すればいいのかわからない。

 でも、今は考えても仕方ない。とりあえず、奈央との打ち合わせに集中しよう。

 香帆は軽く息を吐いてビルの入り口へと歩き出した。


 奈央と待ち合わせた場所は、前回のスタジオとは別のフロアだった。

 パーテーションで区切られた個室が並び、打ち合わせのために用意された空間になっていた。


「お疲れさま、香帆ちゃん。色々無理言ってごめんね」


「全然、そんなことないです。私の方こそ、わがまま言ってすみません」


 香帆はぺこりと頭を下げた。

 ふいに肩に手が置かれる。顔を上げると、奈央がにっこりと微笑んでいた。


「香帆ちゃん、変わったね」


「ん、なにがです?」


「ううん。さあ、行きましょう。うちのボスがお待ちかねよ」


 奈央は軽くウィンクすると、香帆の腕を取り、並んで歩き出した。

 使用中の文字が表示されているドアの前で足を止めると、軽くノックする。


「手塚です。藤崎香帆さんをお連れしました」


 奈央のよそ行きの声に、香帆は思わず背筋を伸ばした。

 これから打ち合わせをする相手については、事前に奈央から聞いていた。

 彼女とは部署が異なるものの、会社では上司にあたる田中健一けんいち。音楽プロデューサーであり、フェスの責任者でもある。


 部屋に入ると、田中が「時間がないんで手短に」と早口で切り出し、挨拶もそこそこに打ち合わせは十分で終わった。


 今後、「STUDIO SOUNDWAVE」が全面的にバックアップをすることが決定。

 香帆の担当には奈央と斎藤和義が付き、プロ並みのスタジオや機材を自由に使ってよいという破格の待遇。

 

 ただし、二つの課題が課せられた。

 一つ目は来月のフェスまでに新曲をもう一曲作り、持ち曲を三曲にすること。

 二つ目は「新しい試みだから慎重に考えてくれ」と田中が意味深に微笑み、香帆が背筋を伸ばした重要な課題だった。


「手塚さん、あとは頼むよ。藤崎さん、今日はありがとう」と言い残し、田中は次の打ち合わせへと去った。


 奈央と香帆はドアが閉まるのと同時に、深いため息をついた。


「香帆ちゃん、本当にごめんね。まさかこんな課題があるなんて、私聞いてなくて」


「ううん。謝らないでください。奈央さんのせいじゃないですから」


「でも、大丈夫なの? もう一曲作るなんて?」


 奈央は両肘をつき、手の上に顎を乗せてため息をついた。


「大丈夫……だと思います。ちょうど今、新しい歌詞を考えてますから」


「そう? でも、もう一つが問題よね。香帆ちゃんに黙ってたのは悪かったけど、どうしても内緒にできなくて。それに後々知られるよりは、先に伝えてたほうが良いと思ったから」


 奈央はそう言って机に突っ伏した。


 二目の課題。

 それは、フェスの舞台でレア――AIとのコラボだった。

 田中が、「AIとのコラボは外せない」と鋭い目で念押ししたのだ。


「私もそれは考えていたことですし、それに木村さんのこともあるから……」


「木村さん、か……。レアちゃんが戻ってきたのは嬉しいけど、彼、対価を要求してたもんね。なにか言ってきた?」


 香帆は首を横に振り、知らないふりをした。今ここで木村の要求を伝えたところで、どうにもならないことは分かっていた。

 それに、「レアが欲しい」などと口が裂けても言えなかった。

 木村の真意が見えないのも引っかかっていた。ただ研究者としてレアのAIを手に入れたいのか、それともネクスライトから守るために必要としているのか。その答えが分からないまま、香帆は黙っていた。


「奈央さん、私、木村さんのところに行ってきます。コラボのことも気になるし、もしかしたら何かアドバイスをくれるかもしれないので」


「えっ、いまから? ひとりで大丈夫? 私、このあとレコーディングがあってついて行けないけど、日にちを変えてくれた私も一緒に行くよ?」


「ううん。ひとりで大丈夫です。それに、レアもいるので」


 香帆は、スマホの画面に映るレアを見ながらそう言った。


「うん。一緒に行こう」


 レアの明るい声が響き、香帆は今の自分にできることを精一杯やろうと決意したのだった。



 (第7話に続く)

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